侑李は生まれた時から、体が弱かった。
当時5歳の私は、両親から「心臓が悪い」ということだけ聞かされていた。

心臓っていわれても、体のどこにあるか分からないし、心臓の何が悪いのか分からなかった。
病院に行って治せばいいのにって思ってたぐらいで。



生まれてからずっと、侑李は病院にいた。小さい透明な入れ物に入れられていて、そこから出なかった。

両親は侑李につきっきりで、ほぼ私は父方の祖母達にお世話になっていた。

小学校の入学式も、両親は来なかった。
ずっと侑李につきっきりだった。

1番に見て欲しかったランドセルを背負う姿を見たのも、祖父母。初めての授業参観も祖父母が来た。

兄は「仕方ないだろ」って、泣く私を慰めてくれた。

弟が生まれるのがとても楽しみだったのに、いっぱい抱っこするの!って喜んでたのに、私は侑李が疎ましくて。
両親をひとりじめする侑李に、すごく嫉妬していた。


正直、1度も抱っこしたことが無い弟は、可愛いとは思わなくて。ずっと治療室にいる侑李の顔を、あんまり覚えようともしなかった。

侑李が大きくなっても、病気は良くならず、「移植」とか、よく分からない単語を話す両親をただ見つめるだけだった。


もう歳だった祖父母は、私が小学高学年の時に、祖母が亡くなった。その半年後、追うように祖父も亡くなった。

私はいっぱい泣いた。
だってほとんど、私を育ててくれたのは祖父母だったから。両親よりも、大好きな存在だったのに。


「密葉、侑李のところ行くわよ」

侑李のお見舞い·····。
行きたくない。
なんで私が行かないと行けないの?

ずっとお母さん達だけで行ってたんだから、私は行く必要無いでしょって、ずっと思ってて·····。


「侑李が密葉に会いたいって言ってたから」


いつどうなるか分からない弟の言うことは、絶対。
それが私達の中で、当たり前のようになっていた気がする。



私が11歳の時、侑李は6歳。
病室のベットの上で「お姉ちゃん」と言う侑李。あんまり弟だという実感が湧かない·····。
だってずっと病院にいたから。
家にはいなかったから。調子がいい時は家に来たことはあったけど、逆に侑李が家にいると違和感があった。


その頃から、両親は仕事を変え、お金を貯めるために遠い場所で働き始めると言い出した。


離れることになるけど平気かと聞かれた。
別に家事はもう一通りできてたし、兄もいるし、両親がいないのは今までで当たり前になっていたから、両親が離れると言っても困らなくて·····。

けど、侑李は?
侑李はどうなるの?

お母さん達、毎日のように病院に行ったよね?



「密葉、侑李のこと、お願いね」


両親がそんな事を言う。
私が両親に変わって、侑李の見舞いに通えと言ってるのだと、すぐに分かった。



両親達が来ないと分かれば、侑李は泣いた。

ずっとずっと泣いていた。

両親の愛を独占していたくせに·····。

泣きたいのは、私の方·····。


小学校の帰りに、侑李の所へ寄った。

侑李は「お姉ちゃん」と笑うようになった。


お姉ちゃん!
お姉ちゃん!
お姉ちゃん!


「じゃあ、そろそろ帰るね、もう暗くなってきたから」

「え、もう帰るの?」

「え·····?うん、侑李ももうすぐ夜ご飯でしょ?」

「お母さんたちはいつも面会時間がおわるまで、いてくれたよ」


そうだね、だから最近は、兄と2人で夜ご飯を食べてたよ。お母さん達はいなかったよ。侑李がずっと、一緒にいたから。


「待って·····、行かないで·····、少し苦しいから·····、もう少しいて·····」


侑李が泣きそうな顔で、私の服を掴む。
そんなふうに言われると、帰ることが出来なくて。

侑李はずっとそうだった。
私が帰ろうとすると、辛そうにする。
寂しいから、そういうのだと、何回も同じような事が続けば侑李が仮病を使っているのはすぐに分かった。


「密葉っ、何時だと思ってんだよ!」


遅くなれば、兄に怒られる。「だって侑李が·····」と言えば、「言い訳するな」と言われる。

兄が作った夜ご飯を見て、隠れて泣いた。





次の日も、侑李のお見舞いに行った。

私がここへ来て1時間ほどで帰ろうとすれば、「帰らないで·····、今日、本当に、苦しくて·····」と、また仮病を使う。


両親にも同じことを言っていたのだと思えば、凄く腹が立った。



「いい加減にしてっ、私はお母さんじゃないの!」

私は初めて侑李に対して怒鳴り、椅子から立ち上がった。



「·····おねぇちゃん·····、いかないで·····」

「また仮病!? もうやめてよっ、侑李の言う通りになると思わないで!!」

「おねえちゃ·····」

「うるさいっ」


私は病室を飛び出した。

どうして私がっ·····。

どうして·····!!


エレベーターに駆け込み、1階のボタンを押し、閉まるボタンを連打した。


1階につき、もうこのまま帰ろうと思った。
けど、今更になって侑李の病室にランドセルを置いたままなのを思い出す。


けど、今すぐ戻ろうとは思えなくて。
少し落ち着いてから戻ろうと考え込む。

侑李だって、いきなり両親がいなくなって寂しいんだ。私が両親の代わりにならないといけない。侑李も病院にずっといて、寂しい思いをしているのだから。だからあんな風に、仮病を使ってまで、私と一緒にいたかったんだから。



落ち着いた私は、侑李に謝ろうと思った。

ごめんね、お姉ちゃんが悪かったね。
侑李が寂しくないようにできるだけ傍にいるからねって。



だけど、病室に戻った私が見たのは、バタバタと侑李の病室を出入りする看護師や医師。

その中の中心にいるのは、さっきまで笑っていた弟·····。



病室の扉の近くで倒れていて、その場で発作が起こり倒れて、ナースコールも押せず、身動きが出来なくなった侑李の発見が遅れたと、あとから聞いた。


すぐに分かった。
侑李は私を追いかけようとしたのだと。
そして、発作が起こってしまったのだと。

仮病じゃなかった·····、侑李は、本当に、苦しかったんだ·····。


私が、イラついて、あんな事をしなければ·····侑李は、こんな事にならなかったかもしれないのに。




ひとつの発作が命取りになる。私は侑李を殺そうとした·····。弟を·····。

侑李に「ごめんなさいごめんなさい」って、何度も謝った。侑李は「ぼくもごめんなさい·····。泣かないでお姉ちゃん。大好きだよ」って、泣きそうな顔で笑っていた。

死にそうになったっていうのに、笑っている侑李を見て、私は侑李を大切にしようと思った。

弱くて、両親をひとりじめしていた侑李は、本当は優しくて強い子だった。


その日から、私は侑李を‘弟’として見るようになった。侑李が寂しそうにすれば、傍にいた。「大好きだよ」と言われれば、「私も大好き」と返事をするぐらいに。







「だから、侑李が寂しそうにすれば、傍にいるし。侑李が辛そうなら、私も同じように分かり合おうと思って·····」

和臣に過去のことを話した。
和臣は黙って話を聞いてくれて。


「·····そうだったんだな」

和臣は、「おいで」と、私を引き寄せる。
優しく抱きしめる和臣に、私は抵抗しなかった。


「今はどうなんだ?」

「·····どうって?」

「侑李のこと、嫌いなのか?」

「ううん、好き·····。大事な弟だと思ってる」

「そうか」


ポンポンと、抱きしめながら頭を撫でてくる。



「話してくれてありがとうな」

私の涙のせいで、和臣の服が濡れていく·····。



「·····嫌いになるでしょ?」

「何が?」

「·····私のこと·····」


私は無意識に和臣の服を掴んでいた。そうでもしないと、自分を保てなくなりそうで。


「嫌いな奴を抱きしめたりしねぇよ」

「·········和臣·····」

「そんな簡単に嫌いになる訳ないだろ。俺がどれだけ密葉に惚れてるか、まだ分かんねぇ?」


和臣の抱きしめる力が強くなる。



「··········ほんとに·····?」

「それ以上疑ったら、キスするから」


疑ったらって·····。

私は腕の中で和臣を見上げた。
やっぱり硬派で、真面目な顔つきの和臣。

でも、ピアスはすごく似合ってて。


「·····キスするの?」

「ん?」

「疑ったら」

「そうだな、分からせるまで」


好き。
和臣が、好きでたまらない。

どうして和臣が、私の事をこんなにも想ってくれるなんて、今でも分からない。


「侑李·····」

「うん?」

「分かってくれるかな·····」


もし、侑李が嫌って言ったら·····。
その時は和臣とは、また、サヨナラをしなくてはならないかもしれない。

でも、それと同じぐらい、和臣のことも好きだから。大切だから。


「侑李が寂しいって、思わないかな·····。許してくれるかな··········」

「密葉·····」


和臣とこうして会うことを。
大切な存在が増えた事を·····。


「·····私、和臣の事、好きでいてもいいのかな·····?」

「いいに決まってるだろ」


私の問いに即答してくれた和臣は、少しだけ抱きしめる力を緩めた。

そしてそのまま、少し顔を近づけてきて。