途中、優絃はすれ違う人ごとに挨拶を交わす。

「やあやあこんにちは。先日は楽しいひと時をありがとうございました」
「こちらこそ、美味しい唐菓子をありがとうございました。また是非いらしてくださいませね」

 春風のように爽やかな笑顔を向けられて、日頃つんけんしている弘徽殿の女房も、甘える猫のようになる。
 その様子を尻目に、小雀は彼と初めて会った日を思い浮かべた。
 あれはひと月ほど前。
 お供を連れて鞍馬山に参詣し、宿坊に泊まった時だった。

 月夜の庭景色を見ようとして、皆が寝静まった頃に簀子へと出た。
 目の前に池があり、池の向こう側では梅の木が紅い花を付け、微かな風で水面の月が揺れるさまはとても美しく、思わず「きれい」と呟いた時だった。

「大丈夫だったのですね」

 はっとして振り返ると背の高い男が立っていた。
 扇を翳しているので顔は見えない。

「雪の日、頭を打ったように見えたので、心配していたんですよ」

 ――えっ?
 驚きのあまり小雀は扇を落としそうになった。
 何しろ雪の日に頭を打ったのは一度しかない。それも夜、闇に紛れてとある貴族の家に〝盗み〟に入った帰り道だ。

 男はそれを知っている。
 いったい何者なのか。

 青白く月明かりに映える白地の狩衣、八藤丸文の指貫(さしぬき)は色が濃い。身なりからして若い上流貴族に違いない。
 敵か味方か。ぞわりと緊張が走った。