注文したカレーは、安いレトルトのような味だった。これで九百円はぼったくりだ。
ロコモコにすると言っていた空野は、なぜかカウンターで冷やしうどんを頼んでいた。テーブルを挟んで向かい合いながら、やっぱりよくわからないな……と思った。

「さて、泳ぎますか!」

満腹になった僕は、彼女の言葉にため息を漏らす。

「日暮くん、着替えてきてよ」
「僕は適当に待ってるから、空野だけ泳いでくればいいよ。水着もないしね」

急に海に来ることになったから、僕は水着を持ってきていない。幸いにも、今日は体育の授業がなかったから、ださいスクール水着すら持っていなかった。

「私は見学してるから、日暮くんだけ泳いできて。水着なら、ここでレンタルできるから」
「……待て。おかしくないか? どうして海が嫌いな僕が水着をレンタルしてまで泳がなきゃいけなくて、海に来たかった空野が見学なんだ」

不服を申し立てる僕に、空野が苦笑を浮かべる。

「だって、私は運動禁止だもん」
「えっ……」
「こう見えても病人だよ? 最近の体育の授業は、貧血ってことで見学してるんだ」

そういえば、彼女は昨日の体育の授業は見学していた。
普段の体育は男女別だけれど、水泳のときはプールを半分ずつ使用しているため、女子たちもすぐ傍で授業を受けている。
ただ、昨日はまだ空野が病気だなんて知らなかったし、女子特有の理由か風邪気味なのか……くらいにしか思っていなかった。

「そんなわけで、日暮くんには私の代わりに泳いでもらいます」
「悪いけど、僕は運動が苦手だし、ほとんど泳げない。空野の事情はわかったけど、こればかりは僕も譲れないよ」
「なるほど」

頷く彼女を見て、安堵感を抱く。ところが、これで諦めてくれるだろうと思ったのも束の間、僕の憂鬱は終わらなかった。

「日暮くんの言い分はわかった。でも、私は別にクロールをしてって言ってるわけじゃないよ? 水着を着て海に入ってくれればいいだけだから」

にっこりと笑う顔には、もうすでに覚えがある。
つまり、やっぱり僕には拒否権なんてないのだ。



空野が選んだ水着は、膝上丈のカラフルなトロピカル柄のものだった。

「似合ってるよ!」
「本気で言ってるなら、空野のセンスを疑うよ。こんなの、ただ浮かれた痛い奴じゃないか」
「日暮くんって後ろ向きだよね」
「余計なお世話だよ」

どうやら彼女は、本気でそう思っているらしい。「似合ってるのになぁ」と言う顔は、不服そうだった。

「では、いってらっしゃい」
「まさか本気でひとりで泳がせるつもり?」
「まぁまぁ、いいじゃない。大丈夫だよ! 私はパラソルの下で待ってるから」

なにもよくないし、なにが大丈夫なのかもわからない。
ただ、空野はなんとしてでも僕を海に放り込みたいようで、背中をぐいぐいと押されてしまった。「荷物はちゃんと見とくから」なんて言われても、安心感は芽生えない。

ため息混じりに波打ち際まで行くと、彼女がにっこりと笑って僕の背中から手を離した。
裸足になった指先に、寄せてくる波が触れる。海水は冷たく、汗を掻いていた体には気持ちよかったけれど、僕にはいかんせん水泳のセンスがない。

重い足取りで歩を進めておもむろに振り返れば、空野はまだ背後で僕を見ていた。

「ほら、もっと楽しそうにしてよ!」

満面の笑顔で発された要望に僕から漏れたのは、笑みではなく深いため息。
(空野って、あんな奴だったのか)
心の中でごちて冷たい海に入っていき、腰まで海水に浸かったところで再度振り向くと、彼女はパラソルの下にいた。
嬉しそうに手を振る姿を見ても、やっぱりため息しか出ない。

まったく泳げないわけじゃないけれど、下手くそなクロールを披露する気はない。
けれど、ぼんやりと立っているのも心許なくて、仕方なく仰向けに浮かんでみた。
視界にはうんざりするほど綺麗な青空が広がり、眩しい太陽に目を細める。海水浴日和の晴天だというのに、僕の気分は落ちていくばかりだ。

「この分だと、他も全部付き合わされるんだろうなぁ」

気が重い僕は、とにかく空野が約束を果たしてくれることだけを信じて、自分の名誉を守るために頑張るしかない。
ストーカー呼ばわりされてしまったら平和な学校生活は消え去り、運が悪ければ三年間ずっと地獄のような日々を送るはめになるかもしれないのだから……。