空野の家の最寄り駅である長尾(ながお)駅に着くと、彼女は「改札口まででいい」と言ったけれど、僕は淡々と改札口を抜けた。

「どっち?」

僕の問いに笑顔で「あっち」と答えた空野が、右側にある北口を指差す。

「……なにも訊かないんだね」

藍色になっていく空の下を歩いていると、空野が独り言のようにごちた。

「普通は訊かない? なんで病院に行ったんだとか、点滴した理由とか」
「……普通がどうかは知らないけど、別に詮索する気はないよ」
「どうして?」

不思議そうな面持ちを寄越され、息を小さく吐く。

「気にならないわけじゃないけど、こういうことって安易に訊くべきじゃないと思ってるから。それに、友達ならまだしも、僕らは別に友達じゃない。色々訊けるほどの仲じゃないし、空野だって僕に質問されても困るだろ」

僕は、ぼっちのスペシャリストだ。自分の振る舞いはしっかりとわきまえている。彼女と僕は異性で、ただでさえ男子から女子に体調のことを尋ねるのは難易度が高い。

それなのに、空野の友達ですらない日陰者の僕が、クラスの人気者の不調について詮索できるはずがない。そもそも、当初の僕の目的は彼女の機嫌を損ねないようにして、明日からの学校生活での安寧を勝ち取ることなのだ。

他人に興味を持ったり、余計なことに首を突っ込んだりすれば、無駄な火の粉が飛んでくるのは身をもって経験している。今はとにかく自分の名誉が守られることを確認して、できるだけ早く家に帰りたい。

「ねぇ、ちょっと公園に寄らない?」

ところが、また厄介な提案をされて肩を落としそうになった。

「早く帰った方がいいよ。事情は知らないけど、空野の体調が悪かったのは事実なんだから」
「大丈夫。うち、すぐ目の前なの。ほら、あの青い屋根の家」

空野の指を追うと、公園の斜め前に青い屋根の家が建っていた。白い外壁に青い屋根なんて、家まで爽やかなデザインだ。

「それ、僕に選択権は?」
「別にあるよ?」

答えと相反する意味深な笑みに、僕は深いため息を漏らした。



十九時を過ぎた小さな公園内には、誰もいない。滑り台は夕闇に染まり、ブランコは風に揺れている。空野は、その片方に座って軽く地面を蹴った。
僕も、仕方なく隣のブランコに腰を下ろす。どうやら、彼女が飽きるのを待つしかないらしい。

「私ね、もしかしたら死ぬかも」

意外にも、空野は早々に口火を切った。
ただし、その内容を予想だにしていなかったせいで、僕の反応が一拍遅れてしまった。

「い、いや……死ぬって……大袈裟だろ」
「残念ながら大袈裟じゃないんだよね」

あっけらかんとしているようで、その瞳は真剣そのものだ。嘘を言っているとは思えないし、彼女はそもそもこんな冗談を言うタイプにも思えない。

「中学一年のとき、急性骨髄性リンパ腫になったんだ。白血病って言えばわかるかな?」

瞠目する僕を見て、空野は眉を寄せて微笑んだ。

「検査でわかってからはすぐに入院して、一年半くらい入退院を繰り返しながら抗がん剤治療をして、寛解って言うのかな……一応、治療は終わったんだけどね……」

彼女の横顔は夕闇に消えそうなくらいに弱々しく、不安に塗れていた。

「二週間前に家で倒れて、病院に運ばれて検査したら……再発、してた……」

唇を噛みしめているのは、きっと涙をこらえているんだろう。学校では決して見ることがなかった表情は、僕の心をひどくかき乱した。

「白血病って完治っていうのはないらしいんだけど、それでもさー……ひどいよね」

空野は泣きそうな顔で笑い、震える声をごまかすように息を深く吐いた。

「夏休みに入ったら、入院するんだ」
「……このこと、友達には?」
「誰にも言ってない。友達には『夏休み中はずっと鹿児島(かごしま)のおばあちゃん家にいるから会えない』って言ってある。いつかはバレるかもしれないけど、まだ言いたくなくて……」

彼女の話に耳を傾けながら、矛盾点に気づく。

「じゃあ、どうして僕に話したんだよ……」
「うーん、なんでだろ……。なんか言いたくなったっていうか、日暮くんなら絶対に誰にも言わないって思ったから、かな?」

肩を竦めて苦笑を零す空野は、「だって言わないでしょ?」と首を傾げた。

「いや……そりゃ、言わない、けど……」

言わない。言えるわけがない。
彼女が命にかかわる病気を患っている、なんて……。