放課後になると、いつもホッとする。
閉塞感に包まれた学校から解放され、自由と安寧が約束された自宅の部屋に帰れるというだけで晴れ晴れしい気分なる。
登校時に反して足取りも軽やかで、心は開放感に包まれている。
七月も下旬間近の今は、エアコンが効いた電車の中でも蒸し暑く、駅から家に着くまでには汗を掻くだろう。
茹だるような街を歩くのは憂鬱だけれど、だからこそ涼しい部屋でアイスを食べながら漫画を読む……という行為が至福になる。
愛読している漫画の最新刊は、学校の最寄り駅の構内にある本屋さんで調達済みだ。
電車の中で帰宅後の過ごし方を決めて顔を上げたとき、少し離れた場所にいる空野の姿が視界に入ってきた。ドアの傍に立つ彼女は、ぼんやりと窓の外を見つめている。
空野の家の最寄り駅は、恐らく僕が降りる駅のひとつ前だ。
学校の最寄り駅からJRに乗り、そこから三駅目でこの在来線に乗り換えるのは、僕が知る限り同じクラスには僕たちしかいない。
最初に気づいたときは、ほんの一瞬だけ親近感を抱きそうになったけれど……。入学式から一週間と経たずして、彼女とは住む世界が違うのだと知り、そんなものはどこかに消えた。
電車が駅に滑り込み、ドアが開く。ここで降りる空野の後ろ姿を見ていると、彼女は乗降する客たちの邪魔にならないように端に寄り、なぜか自身は降りなかった。
プシューッと空気が抜けるような音がして、ドアが閉まる。
空野は再び窓の外に顔を向け、心ここにあらず……とばかりに景色を眺めていた。
彼女がどこで降りようと、僕にはまったく関係ない。僕は次の駅で降りて近所のコンビニでアイスを買い、家に帰って涼しい部屋で至福のときを過ごすのだ。
そう思っていたのに、ついうっかり降りそこねてしまった。
「あっ……」
小さな声が漏れたときには、さっきと同じような音を立てたドアは閉まるところだった。
諦めて次の駅に降り立つと、隣のドアから降りてきた空野が改札口の方に向かった。
(空野もここで降りるのか)
彼女の後ろ姿を眺めながら同じ方向に歩を進め、一定の距離を保ったまま改札を目指す。
ところが、前を歩いていた空野が急に立ち止まり、僕も反射的に足を止めた。
(い、いや……僕まで立ち止まることはないんだよな)
なんとなく気づかれてしまうのが嫌だった。彼女は僕の最寄り駅は知らないと思うけれど、もし変な誤解をされたらたまったものじゃない。
四月に始まったばかりの高校生活が、早々にピンチを迎えてしまう。入学して三ヶ月でストーカーだと思われるのは御免だ。
そんな気持ちを抱え、素知らぬ顔をして空野から距離を取りつつ彼女を追い抜いたとき。
(……え?)
視界の端に映った横顔がやけに思い詰めていた気がして、つい振り返っていた。
(やばっ!)
すでにこちらに向かってきていた空野から視線を逸らせば、彼女が改札口を抜けるのが視界の端に映る。人波に逆らえなかった僕も、そのまま改札を出てしまった。
本日二度目のうっかりに、肩を大きく落とす。
踵を返してホームに戻ろうとしたけれど、少し先でまたしても立ち止まっている空野が目に入り、なんだか無性に彼女のことが気になった。
僕には縁のないクラスメイトの存在に、視線を引っ張られるような感覚。理由はわからないものの、程なくして空野が歩き出したときには僕も同じ方向に足を向けていた。
やめておけ、と事なかれ主義の僕が告げる。
でも気になるよな、と小さな好奇心が囁いてくる。
悩みながらも五分ほど歩いていると、空野が角を曲がった。咄嗟に小走りになった僕も、同じ道をたどったけれど、左に折れた僕が目にする景色の中に彼女の姿はなかった。
どうやら見失ってしまったらしい。がっかりしたような、ホッとしたような、複雑な感情に包まれる。
そもそも、なぜ空野の後を追ってしまったのかもわからないけれど、特に関わる気があったわけでもない以上、彼女と鉢合わせるのは気まずい。
ようやく冷静になれた今、見失ってよかった……と思った。
刹那――。
閉塞感に包まれた学校から解放され、自由と安寧が約束された自宅の部屋に帰れるというだけで晴れ晴れしい気分なる。
登校時に反して足取りも軽やかで、心は開放感に包まれている。
七月も下旬間近の今は、エアコンが効いた電車の中でも蒸し暑く、駅から家に着くまでには汗を掻くだろう。
茹だるような街を歩くのは憂鬱だけれど、だからこそ涼しい部屋でアイスを食べながら漫画を読む……という行為が至福になる。
愛読している漫画の最新刊は、学校の最寄り駅の構内にある本屋さんで調達済みだ。
電車の中で帰宅後の過ごし方を決めて顔を上げたとき、少し離れた場所にいる空野の姿が視界に入ってきた。ドアの傍に立つ彼女は、ぼんやりと窓の外を見つめている。
空野の家の最寄り駅は、恐らく僕が降りる駅のひとつ前だ。
学校の最寄り駅からJRに乗り、そこから三駅目でこの在来線に乗り換えるのは、僕が知る限り同じクラスには僕たちしかいない。
最初に気づいたときは、ほんの一瞬だけ親近感を抱きそうになったけれど……。入学式から一週間と経たずして、彼女とは住む世界が違うのだと知り、そんなものはどこかに消えた。
電車が駅に滑り込み、ドアが開く。ここで降りる空野の後ろ姿を見ていると、彼女は乗降する客たちの邪魔にならないように端に寄り、なぜか自身は降りなかった。
プシューッと空気が抜けるような音がして、ドアが閉まる。
空野は再び窓の外に顔を向け、心ここにあらず……とばかりに景色を眺めていた。
彼女がどこで降りようと、僕にはまったく関係ない。僕は次の駅で降りて近所のコンビニでアイスを買い、家に帰って涼しい部屋で至福のときを過ごすのだ。
そう思っていたのに、ついうっかり降りそこねてしまった。
「あっ……」
小さな声が漏れたときには、さっきと同じような音を立てたドアは閉まるところだった。
諦めて次の駅に降り立つと、隣のドアから降りてきた空野が改札口の方に向かった。
(空野もここで降りるのか)
彼女の後ろ姿を眺めながら同じ方向に歩を進め、一定の距離を保ったまま改札を目指す。
ところが、前を歩いていた空野が急に立ち止まり、僕も反射的に足を止めた。
(い、いや……僕まで立ち止まることはないんだよな)
なんとなく気づかれてしまうのが嫌だった。彼女は僕の最寄り駅は知らないと思うけれど、もし変な誤解をされたらたまったものじゃない。
四月に始まったばかりの高校生活が、早々にピンチを迎えてしまう。入学して三ヶ月でストーカーだと思われるのは御免だ。
そんな気持ちを抱え、素知らぬ顔をして空野から距離を取りつつ彼女を追い抜いたとき。
(……え?)
視界の端に映った横顔がやけに思い詰めていた気がして、つい振り返っていた。
(やばっ!)
すでにこちらに向かってきていた空野から視線を逸らせば、彼女が改札口を抜けるのが視界の端に映る。人波に逆らえなかった僕も、そのまま改札を出てしまった。
本日二度目のうっかりに、肩を大きく落とす。
踵を返してホームに戻ろうとしたけれど、少し先でまたしても立ち止まっている空野が目に入り、なんだか無性に彼女のことが気になった。
僕には縁のないクラスメイトの存在に、視線を引っ張られるような感覚。理由はわからないものの、程なくして空野が歩き出したときには僕も同じ方向に足を向けていた。
やめておけ、と事なかれ主義の僕が告げる。
でも気になるよな、と小さな好奇心が囁いてくる。
悩みながらも五分ほど歩いていると、空野が角を曲がった。咄嗟に小走りになった僕も、同じ道をたどったけれど、左に折れた僕が目にする景色の中に彼女の姿はなかった。
どうやら見失ってしまったらしい。がっかりしたような、ホッとしたような、複雑な感情に包まれる。
そもそも、なぜ空野の後を追ってしまったのかもわからないけれど、特に関わる気があったわけでもない以上、彼女と鉢合わせるのは気まずい。
ようやく冷静になれた今、見失ってよかった……と思った。
刹那――。