「でも……あんなに元気に笑って……」
貧血を起こしたことはあったけれど、空野はずっと笑っていた。ときどき彼女が病人であることを忘れるくらい、明るい笑顔を見せていた。
空野の母親は悲しそうに微笑み、「きっとあなたとの時間が楽しかったのね」と零した。
「それでね、未来から伝言があるの」
茫然としている僕に、優しい声が投げかけられる。
「『あのとき渡せなかったお礼、よかったらもらって』って。私にはなんのことか教えてくれなかったんだけど、『そう言えばわかるから』って言うのよ」
なにも言えずに空野の母親を見れば、胸が張り裂けそうになった。
(どうして……。どうして僕はあのとき……)
空野の話を最後まで聞かなかったことが、大きな後悔となって押し寄せてくる。
今になって、取り返しのつかないことをしたのだと気づいた。
「『五分だけふたりきりにして』って言われてるから、またあとで来るわね」
かけられた言葉が、耳からすり抜けていく。
背後で空野の母親が出ていった気配がしても、僕はただ空野を見つめたまま動けなかった。
ようやくして手を伸ばし、小さな手に触れる。
「空野……」
今にも目を覚ましそうなのに、彼女が瞼を開けることはもうない。
なにをしてもこの現実が覆らないと、どこか冷静な僕が囁く。
濁流のように押し寄せてくる後悔が、僕の心を覆い尽くしては責め立てた。
「お礼なんて……本当にいらなかったんだ……」
空野がまた笑ってくれるだけでよかった。
どれだけわがままを言ってもいいから、いつかまた彼女と一緒に過ごしたかった。
ごめん、と声にならない言葉が落ちる。それでも、どうしても伝えたいことがあるから、熱を持った喉の奥から声を絞り出した。
「……っ、今夜は月が綺麗ですね」
まだ日が高く、今夜の月が綺麗かどうかなんてわからない。少なくとも、今の僕の目に美しく映ることはないだろう。
「……お礼を言うのは僕の方だったんだ」
空野未来は、僕にはあまりにも真っ直ぐすぎて手が届かない。
そう思っていたのに、一緒に過ごした日々を思い返せば、彼女はごく普通の女の子だった。
「ありがとう……。僕を相棒に選んでくれて……」
すべてを悟っても唇に触れることはできなくて、滑らかな頬にそっとくちづけた。
少ししてふすまの外から声をかけられ、立ち上がった僕は空野の母親にお礼を言って、空野の家を後にした。
夏の日差しは、僕を容赦なく照りつける。痛いくらいの眩しさに、力ない笑みが漏れた。
「空野未来は最初から最後まで、なんて身勝手な女の子だったんだ……。僕は振り回されてばかりだったおかげで、涙も出ないよ」
涙なんて出るはずがない。
けれど、どうしてか視界に映る憎らしいくらいの青空が歪んでいく。目にする景色のすべてがグチャグチャで、その輪郭はなにひとつはっきりしない。
明るく天真爛漫で、真っ直ぐだけれど自由奔放。コロコロと変わる表情は愛らしく、ときにはわがままを押し通す。
僕が恋をしたのは、とてもじゃないけれど僕の手に負えないような女の子だった。
初恋は叶わないと、最初に言い出したのは誰なのか。しかし、初恋相手が死んでしまったせいで叶わない――なんて予想もしなかった。
僕のちっぽけな初恋は永遠に報われることはなく、けれど記憶の中には強烈な思い出だけが残っている。
この先、どれだけ美人で聡明な女性と出会ったとしても、僕はきっと空野未来に抱いた以上の恋心を持つことはない。
僕がどんなに素晴らしい青春時代を送ろうと、空野未来と過ごした日々以上の思い出はきっとできない。
まばゆいくらいにひたむきな彼女は、永遠に僕の青春そのものになったのだ――。
貧血を起こしたことはあったけれど、空野はずっと笑っていた。ときどき彼女が病人であることを忘れるくらい、明るい笑顔を見せていた。
空野の母親は悲しそうに微笑み、「きっとあなたとの時間が楽しかったのね」と零した。
「それでね、未来から伝言があるの」
茫然としている僕に、優しい声が投げかけられる。
「『あのとき渡せなかったお礼、よかったらもらって』って。私にはなんのことか教えてくれなかったんだけど、『そう言えばわかるから』って言うのよ」
なにも言えずに空野の母親を見れば、胸が張り裂けそうになった。
(どうして……。どうして僕はあのとき……)
空野の話を最後まで聞かなかったことが、大きな後悔となって押し寄せてくる。
今になって、取り返しのつかないことをしたのだと気づいた。
「『五分だけふたりきりにして』って言われてるから、またあとで来るわね」
かけられた言葉が、耳からすり抜けていく。
背後で空野の母親が出ていった気配がしても、僕はただ空野を見つめたまま動けなかった。
ようやくして手を伸ばし、小さな手に触れる。
「空野……」
今にも目を覚ましそうなのに、彼女が瞼を開けることはもうない。
なにをしてもこの現実が覆らないと、どこか冷静な僕が囁く。
濁流のように押し寄せてくる後悔が、僕の心を覆い尽くしては責め立てた。
「お礼なんて……本当にいらなかったんだ……」
空野がまた笑ってくれるだけでよかった。
どれだけわがままを言ってもいいから、いつかまた彼女と一緒に過ごしたかった。
ごめん、と声にならない言葉が落ちる。それでも、どうしても伝えたいことがあるから、熱を持った喉の奥から声を絞り出した。
「……っ、今夜は月が綺麗ですね」
まだ日が高く、今夜の月が綺麗かどうかなんてわからない。少なくとも、今の僕の目に美しく映ることはないだろう。
「……お礼を言うのは僕の方だったんだ」
空野未来は、僕にはあまりにも真っ直ぐすぎて手が届かない。
そう思っていたのに、一緒に過ごした日々を思い返せば、彼女はごく普通の女の子だった。
「ありがとう……。僕を相棒に選んでくれて……」
すべてを悟っても唇に触れることはできなくて、滑らかな頬にそっとくちづけた。
少ししてふすまの外から声をかけられ、立ち上がった僕は空野の母親にお礼を言って、空野の家を後にした。
夏の日差しは、僕を容赦なく照りつける。痛いくらいの眩しさに、力ない笑みが漏れた。
「空野未来は最初から最後まで、なんて身勝手な女の子だったんだ……。僕は振り回されてばかりだったおかげで、涙も出ないよ」
涙なんて出るはずがない。
けれど、どうしてか視界に映る憎らしいくらいの青空が歪んでいく。目にする景色のすべてがグチャグチャで、その輪郭はなにひとつはっきりしない。
明るく天真爛漫で、真っ直ぐだけれど自由奔放。コロコロと変わる表情は愛らしく、ときにはわがままを押し通す。
僕が恋をしたのは、とてもじゃないけれど僕の手に負えないような女の子だった。
初恋は叶わないと、最初に言い出したのは誰なのか。しかし、初恋相手が死んでしまったせいで叶わない――なんて予想もしなかった。
僕のちっぽけな初恋は永遠に報われることはなく、けれど記憶の中には強烈な思い出だけが残っている。
この先、どれだけ美人で聡明な女性と出会ったとしても、僕はきっと空野未来に抱いた以上の恋心を持つことはない。
僕がどんなに素晴らしい青春時代を送ろうと、空野未来と過ごした日々以上の思い出はきっとできない。
まばゆいくらいにひたむきな彼女は、永遠に僕の青春そのものになったのだ――。