「僕が空野に対して迷惑に感じてるのは、空野の身勝手な振る舞いについてだ。勝手に病院に付き合わせたり、急に学校帰りに海に引っ張られたり、無理に泳がされたり……。そういうところは本当に迷惑だと思ってる」
歯に衣着せない僕に、空野は目を真ん丸にした。大きな瞳がさらに大きくなっても、彼女に構わずに言葉を被せる。
「僕は学校に友達がいないような日陰者だ。でも、ひとりが好きだし、別にそれでいい。ただ、平穏な学校生活を脅かされそうな今は、自己中な空野に対して不満を持ってる」
予想だにしていなかったのか、空野はぽかんとしていた。
僕は至って平常心だというように足を組み、彼女から目を逸らして前を向く。すっかり海は見えなくなった窓の向こうには、のどかな街並みが流れていた。
「……そっか」
小さく零された言葉が鼓膜に届き、心臓が跳ね上がる。彼女の表情が見えないことに不安はあったけれど、まだ視線を横に向けることはできなかった。
「変なの」
すると、ふふっと笑った空野は、なにがおかしいのかクスクスと声を上げた。驚いて隣を見れば、彼女の肩が震えている。
呆気に取られていた僕は、ハッとして平静を装う。笑みを零した瞳にすべてを見透かされているようで、居心地が悪くなった。
「日暮くん、ありがとう」
そんな僕に投げかけられたのは、場違いなお礼。
なぜそんな言葉をかけられるのかわからない僕を余所に、正面の窓を見遣った空野は笑みを浮かべている。
「そら――」
「次の駅で降りなきゃ。あ、今日は送ってくれなくていいから」
疑問を解消したい僕を遮った彼女が、明るく言い放った。
「……そうしたいのは山々だけど、今さらそんなことできないだろ。途中で倒れられても責任取れないから、空野が家に入るまで見届ける」
けれど、淡々と返せば、空野は一瞬だけ目を見開いたあと、嬉しそうに破顔した。
「日暮くんは名誉を守らないといけないんだもんね」
本当は、今の僕の頭の中にはそんな考えはなかった。
それでも、空気を読んで「そうだよ」と答えると、彼女が「尾行が上手かったらよかったのにね」なんて冗談を飛ばした。
空野の家の前に着いたときには、周囲は夕焼けに染まり始めていた。
振り向いた彼女にバッグを渡せば、代わりにポケットから出した紙を二枚持たされた。
手のひらほどの大きさの紙は、有名な遊園地の入園チケットだった。
「明後日の日曜日、朝十時にそこで待ってる」
「は……?」
「日暮くんが来てくれるまで待ってるね」
「……え、いや! ちょっと、空野!」
思考が追いつかない僕に、空野は「またね」と言い置いて玄関のドアの向こう側に消えてしまった。
手の中にあるチケットは二枚。それはつまり、僕と彼女の分ということだ。
僕が遊園地に行かなければ空野は入園できないけれど、彼女は僕が行くまで待つつもりだろう。
(いやいや、なんでこうなるんだ……)
あれだけきつい言い方をしたから、僕を相棒にするのは諦めると思っていた。そのためには、僕がストーカーではないという誤解を解かなければいけなかったものの、そこはもうどうにかなる気がしている。
ところが、空野は僕に怯むことも気を悪くすることもなかったのか、とんだものを預けて帰ってしまった。
スマホで呼び出したところで、彼女が出てくるとは思えない。だからといってインターホンを押せば、本人以外が出てくる可能性がある。
(いっそポストに……!)
ハッとして目の前にあるポストに手を伸ばしたけれど、直後に手が止まってしまう。
もう関わらない方がいい。入院するかどうかは空野が決めることだとはいえ、このまま彼女に振り回されて行動を共にし、もしなにかあっても責任は取れない。
〝あのとき〟痛い思いをした僕は、この先ずっと事なかれ主義でいようと決めた。その気持ちは変わらないのに、なぜかチケットから手が離せない。
(ああ、もうっ!)
駅に向かって歩く僕の手の中には、空野の思惑通り二枚の紙切れが収まっていた。
歯に衣着せない僕に、空野は目を真ん丸にした。大きな瞳がさらに大きくなっても、彼女に構わずに言葉を被せる。
「僕は学校に友達がいないような日陰者だ。でも、ひとりが好きだし、別にそれでいい。ただ、平穏な学校生活を脅かされそうな今は、自己中な空野に対して不満を持ってる」
予想だにしていなかったのか、空野はぽかんとしていた。
僕は至って平常心だというように足を組み、彼女から目を逸らして前を向く。すっかり海は見えなくなった窓の向こうには、のどかな街並みが流れていた。
「……そっか」
小さく零された言葉が鼓膜に届き、心臓が跳ね上がる。彼女の表情が見えないことに不安はあったけれど、まだ視線を横に向けることはできなかった。
「変なの」
すると、ふふっと笑った空野は、なにがおかしいのかクスクスと声を上げた。驚いて隣を見れば、彼女の肩が震えている。
呆気に取られていた僕は、ハッとして平静を装う。笑みを零した瞳にすべてを見透かされているようで、居心地が悪くなった。
「日暮くん、ありがとう」
そんな僕に投げかけられたのは、場違いなお礼。
なぜそんな言葉をかけられるのかわからない僕を余所に、正面の窓を見遣った空野は笑みを浮かべている。
「そら――」
「次の駅で降りなきゃ。あ、今日は送ってくれなくていいから」
疑問を解消したい僕を遮った彼女が、明るく言い放った。
「……そうしたいのは山々だけど、今さらそんなことできないだろ。途中で倒れられても責任取れないから、空野が家に入るまで見届ける」
けれど、淡々と返せば、空野は一瞬だけ目を見開いたあと、嬉しそうに破顔した。
「日暮くんは名誉を守らないといけないんだもんね」
本当は、今の僕の頭の中にはそんな考えはなかった。
それでも、空気を読んで「そうだよ」と答えると、彼女が「尾行が上手かったらよかったのにね」なんて冗談を飛ばした。
空野の家の前に着いたときには、周囲は夕焼けに染まり始めていた。
振り向いた彼女にバッグを渡せば、代わりにポケットから出した紙を二枚持たされた。
手のひらほどの大きさの紙は、有名な遊園地の入園チケットだった。
「明後日の日曜日、朝十時にそこで待ってる」
「は……?」
「日暮くんが来てくれるまで待ってるね」
「……え、いや! ちょっと、空野!」
思考が追いつかない僕に、空野は「またね」と言い置いて玄関のドアの向こう側に消えてしまった。
手の中にあるチケットは二枚。それはつまり、僕と彼女の分ということだ。
僕が遊園地に行かなければ空野は入園できないけれど、彼女は僕が行くまで待つつもりだろう。
(いやいや、なんでこうなるんだ……)
あれだけきつい言い方をしたから、僕を相棒にするのは諦めると思っていた。そのためには、僕がストーカーではないという誤解を解かなければいけなかったものの、そこはもうどうにかなる気がしている。
ところが、空野は僕に怯むことも気を悪くすることもなかったのか、とんだものを預けて帰ってしまった。
スマホで呼び出したところで、彼女が出てくるとは思えない。だからといってインターホンを押せば、本人以外が出てくる可能性がある。
(いっそポストに……!)
ハッとして目の前にあるポストに手を伸ばしたけれど、直後に手が止まってしまう。
もう関わらない方がいい。入院するかどうかは空野が決めることだとはいえ、このまま彼女に振り回されて行動を共にし、もしなにかあっても責任は取れない。
〝あのとき〟痛い思いをした僕は、この先ずっと事なかれ主義でいようと決めた。その気持ちは変わらないのに、なぜかチケットから手が離せない。
(ああ、もうっ!)
駅に向かって歩く僕の手の中には、空野の思惑通り二枚の紙切れが収まっていた。



