『あれま。作家って大変なんだな。んで? お前の一番苦手な路線ってどんなんよ』
「……それ、あたしに訊くんだ?」
誰のせいで書けなくなったと思ってんの、という抗議の意味も込めて、刺々しく質問返しにしてやった。けれど、あまりいじめるのもかわいそうだし、八つ当たりするのも(とはいえ、原因が彼であることは間違いないのだけれど)良心が痛むので、情けないけれど彼女は渋々答えた。
「まあいいや、答えてあげる。恋愛系だよ。あたし、デビューしてから一回も、恋愛系は書いてないの」
『うん、知ってる』
「……え?」
『いや、いい。気にすんな。つうかさ、理由訊いていい?』
(……いや、「気にすんな」って言われても気になるし。っていうか、アンタが理由訊くんかい)
岡原の言動はツッコミどころ満載だし、無神経だ。大人なら、そこは訊くべきではないと思うのだけれど――。
『――お~い、真樹ー? もしも~し、聞こえてるかー?』
真樹が絶句していると、電話が切れたと思ったのか、彼はまだ呼びかけ続けている。
「バカ、聞こえてるってば。――理由、どうしても聞きたいなら教えてあげるけど。笑わないって約束してよ?」
『分かった分かった。笑わねえから』
真樹が念押しすると、彼はすでに笑っていながら頷いた。
(っていうか、もう笑ってんじゃん)
「笑うな」って言ったそばからコレだよ、とツッコもうとしたけれど、やめた。これでは一向に話が進まない。
「理由は……、あたしに一人も彼氏がいなかったから。あたしね、あれから誰とも付き合ったことないの」
『えっ、マジで!? お前、そんなにモテなかったっけ?』
「……岡原、ぶっ飛ばすよ?」
コメカミをヒクヒクさせながら真樹が低ぅい声でそう告げると、さすがの岡原もビビったらしい。殊勝に「悪りぃ、調子に乗りすぎた」と謝った。
「自慢じゃないけど、モテないワケじゃないんだよ。これでも、この五年の間に何人も付き合ってほしいって言ってくれた人いるんだから。でもね、全部あたしから断ったの」
『なあ、それって……俺のせいか?』
「ノーコメント」
真樹は澄ましてそう答えた。彼も、真樹に対して負い目は感じているらしい。
「まあでも、心配しないでよ。同窓会までに間に合わせて何とか頑張るから。あたしも同窓会、楽しみにしてるしさ。――それに」
『それに?』
もう意地をはらずに素直になろう。――真樹はそう決心した。
「アンタさ、同窓会の日にあたしに伝えたいことあるって言ってたじゃん?」
『うん、言ったけど』
「あたしも、アンタに伝えたいことがあるから。だから――」
『うん、分かった。俺も当日まで楽しみにしてっから』
「岡原……」
真樹が最後まで言わなくても、彼は分かってくれた。きっと、彼女の気持ちにもずっと前から気づいていたのだろう。
『だから仕事頑張れよ! 途中で音ぇ上げてほっぽり出すようなことすんじゃねえぞ!』
「うん! ほっぽり出したりしないよぉ。これでもあたし、プロだからさ」
駆け出しとはいえ、プロの物書きとしてのプライドがある。ファンをガッカリさせたくはないのだ。
「――あっ、けっこうな長電話になっちゃったね。ゴメン、時間大丈夫だった?」
『ああ、大丈夫だ。俺、一人暮らしだし。夜はメシ食って、風呂入って寝るだけだから他にやることもないしな』
「えっ、そっちも? あたしも一人暮らししてるんだよ。三階建てのマンションの二階で1DKの部屋なんだけど」
『へえ、そうなん? 俺んとこは二階建てアパートの二階、角部屋。ワンルーム』
お互いの部屋の話で盛り上がり、また長電話が長引きそうになり、真樹は「ヤベっ」と思った。「なるハヤで」と言われている仕事があるので、時間が惜しい。
「――ゴメン、岡原! あたし、そろそろ切るね。ゴハン前にちょっと仕事したいし」
『おう、そっか。分かった。じゃあな』
「うん、じゃあ」と言って、真樹は終話ボタンをタップした。そのままカバーを閉じ、充電ケーブルを差し込む。
ちなみに、彼女が今いるのは寝室兼書斎の洋間である。食事の時はダイニングテーブルを使うけれど、それ以外の時間の大半はここで過ごしている。
ベッドとクローゼット、本棚が置かれた部屋の中央に鎮座ましましている、折りたたみ式の座卓の上のノートパソコンを再び開き、USBに保存してあるプロットのファイルを真樹は開いた。今日ボツをくらった新刊のものである。
これは過去に既刊が三作出ているシリーズもので、主人公の青年とヒロインの妖狐とのつかず離れずのビミョーな関係がウケているのだけれど。
「コレに恋愛要素を絡めろ、ってことか」
真樹は座卓に頬杖をつき、呟いた。
この二人に恋愛的な展開をもたらすのは、あながち不可能ではないかもしれない。
よくありがちな〝異類婚姻譚〟っぽくはなるだろうけれど、男女なのだから不自然ではないかも、と真樹は思った。
「まずは、どっちの片想いからにするか、だけど……」
とりあえず、書くだけ書いてみよう。――真樹はキーボードに両手を置き、少しずつ内容の修正を始めた――。
――それからあっという間に数週間が過ぎた。
真樹は岡原と約束したとおり、新刊のプロットの修正をものすごい勢いで終わらせ、ものの三日で片岡からオーケーをもらった。
そしてすぐ原稿の執筆に取りかかり、それは早くも第二稿目に入っている。
『――なんだ、麻木先生。書けるじゃないですか!』
改訂版の第一稿を読んだ片岡は、感心したようにそう言っていた。
それはそうだ。真樹だってやればできる。今までやろうとしなかっただけで……。
それに加えて、彼女は一旦書き始めると早いのだ。タイピングは中学の頃からずっとやってきているので、今ではもうブラインドタッチまでできてしまうほどの腕前である。
――それはさておき。
「――服は……、こんなモンでいいかなぁ。あんまり派手すぎても浮いちゃうし」
同窓会当日の朝。真樹は寝室で姿見として使っているスタンドミラーの前に立ち、自分の服装をチェックしてみた。
彼女が選んだコーディネートは、控えめな小花柄がプリントされた七分袖の黄色いワンピースに、デニム風のレギパン。靴はカラシ色のフラットパンプスにするつもりだ。
「場所も中学校の敷地内だし、あんまりオシャレしても仕方ないもんね」
ヘアスタイルは、下手にいじらず無難にハーフアップにし、白いハート形のバレッタをつけた。
「――さてと、そろそろ出るかな」
時刻は十時半。同窓会は十二時からだけれど、真樹は自転車に乗れないので中学校までバスと電車を乗り継いで行かなければならない。
今日は祝日なので、道路事情でバスが遅れることを計算に入れて、彼女は少し早めに出ることにしたのだ。
友達と出かけたり、新作の打ち合わせをしに行く時に使う白いキャンパス地のトートバッグを肩から提げ、キチンと戸締りをしてから階段を下り、管理人の佐伯さんに声をかけた。
「おはようございます、佐伯さん。行ってきま~す!」
共用部で掃き掃除をしていた佐伯さんは、いつもの恵比寿顔で真樹に挨拶を返す。
「ああ、おはよう。今日が同窓会だったね。行ってらっしゃい」
「は~い!」
――池袋駅へ向かうバスの座席は、思いのほか空いていた。真樹は一番後ろの窓際の席に座り、外の景色を眺めながら五年前に思いを馳せる。
中三の夏休み、真樹の一家は中学の学区内だった渋谷区内から現在住んでいる豊島区内に引越した。抽選で、豊島区の公営住宅に当たったのだ。
そして彼女はその二学期から卒業までの半年間、越境通学をしていた。今日のように、バスと電車を乗り継いで――。
卒業式の日の朝、この路線バスの車窓から見た景色を、真樹は今でも覚えている。
(……あれから、街の景色もずいぶん変わったなぁ)
東京の街は、毎日めまぐるしく変化していく。古い店舗が次々となくなり、新店がオープンしている。
そして、変わったのは真樹自身もだ。
あの当時は、中学校のセーラー服がバスや電車の車内で浮いているんじゃないかと毎日ドキドキしていた。
それでも半年間、頑張って通い続けた。友達や、岡原と一緒に卒業したかったから。
もし今住んでいる学区の中学校に転校していたら、別の未来が待っていたのだろうか。岡原のことをスッパリ諦めて、新しい恋をして、彼氏ができて――。
(いやいやいやいや! そんな簡単に諦められたら誰も苦労しないって!)
想像を途中で打ち切り、真樹は心の中でブンブンと首を振った。
だって、あれだけ本気で想い続けていたのだ。「転校するからはいサヨナラ」なんて、この恋をなかったことにできるわけがない。きっと転校してからも、ズルズルと彼のことを引きずっていただろうことは、容易に想像できる。
――バスが遅れて来ていたので、十分おきに来る電車も一本遅らせ、真樹が母校に到着したのは十一時四十分過ぎだった。
まだ開始時刻には少し早いけれど、校庭や校舎前にはすでに同級生の大半が集まり、そこここで再会を喜び合っている。
「――あ、真樹! こっちこっち!」
その一画から、真樹の幼なじみで親友の倉田美雪が手を振ってきた。
「美雪ー、やっほー! つい一週間ぶり?」
「あははっ、そうだねー。先週の火曜日、原宿まで一緒に遊びに行ったっけ」
美雪は私立の女子高校を卒業後、大学へは進まずにフリーターになった。今はバイトを三つほどかけ持ちしているらしい。
真樹と美雪、そしてあと四人の友達との女子六人グループは今でも仲がよく、連絡を取り合っている。たまに休みが合えば、一緒に遊びにいったりもする。
「――そういえばさ、真樹。岡原も今日来るんだよね?」
他の友達とも合流した後、美雪が訊ねてきた。ちなみに、真樹と岡原とのあれこれは友達みんなが知っている。
「うん、来るって。案内状が来た日にかかってきてた電話で、『絶対行く』って言ってたから」
「それはあたしもこないだ聞いたけどさぁ。そのあと『行けなくなった』って連絡はなかったの?」
二人で遊びに行ってから一週間が経っているので、その間に岡原からまた連絡があったのではと、美雪は訊きたいようだけれど。
「ううん、ないよ。岡原と電話で話したの、かかってきた翌日にあたしから返事した時が最後だもん」
あれから何の連絡もないということは、彼は今日間違いなく来るということだろうと真樹は解釈したのだ。
「……えっ、ナニ? 真樹と岡原って、いつの間に連絡取り合うような仲になったの?」
別の友達が、鳩が豆鉄砲くらったような顔で、興味津々に訊ねた。
「ええっ!? そっ、そんなんじゃないよ! 岡原が連絡くれたのは、同窓会のことがあったからでたまたまだよっ! ……多分」
真樹は慌てて否定したけれど、「多分」とつけ足したのは「たまたまじゃなければいいのになぁ」という願望の表れだった。
(だってアイツ、あの時あたしに「伝えたいことがある」って……)
あれは今日、「告白するつもりだ」という意味なんじゃないだろうか。――そう思うのは真樹のうぬぼれだろうか?
「でもさぁ、二人が付き合ってなかったなんて、なんか意外~。ウチら、あの頃真樹とアイツが付き合ってるって思ってたもん。ね、美雪?」
また別の友達が、美雪に同意を求める。
「うん、それはあたしも思った。だってさ、あんなに仲よかったじゃん、アンタら」
「よかった……のかなぁ」
真樹は首を傾げた。どちらかといえば、ケンカに近いやり取りばかりしていたように記憶しているのだけれど……。
そしてそのやり取りは、卒業して五年経った今でも健在だった。でも、彼が変わっていないことが真樹は嬉しかった。
(あたしの好きなアイツは、中学時代いっつもあんな感じだったんだもん)
「――で? 真樹は今日、岡原に告るつもりなの?」
美雪が今更なことを訊いてきた。彼女は真樹が今でも彼のことを諦めずにいることを、ちゃんと知っている。
「うん、そのつもりだけど。なんで分かったの?」
「あたしが何年、アンタの親友やってると思ってんのさ? 見てれば分かるよ。ガラにもなくメイクなんかしちゃって」
「あ……、リップだけね」
普段はメイクなんてしない真樹だけれど、今日は着合いを入れるためにピンクベージュのカラーリップを塗ってきた。岡原に、少しでも大人っぽくなった自分を見てほしくて。
「――ね、美雪。最近の岡原って外見どんな感じになってんの?」
真樹はとりあえず、美雪に訊ねてみたけれど。答えてくれるのは友達のうち誰でもよかった。
電話で話しただけなので、今の彼について知っているのは彼の声だけなのだ。
「あー、そっか。真樹は隣の区に住んでるから、見かける機会もなかったんだよね」
またまた別の友達の言葉に、真樹は頷く。
「う~ん、どんな……って。ああでも、会ったら変わりようにビックリすると思うよ。たとえていうならEXILE系?」
「EXILE……」
なんとなく想像はつく。つまり、〝ガテン系〟ということだろう。筋肉ムキムキの細マッチョ。
「背もだいぶ伸びたよね。中学ん時、百七十なかったじゃん? 今は多分、百八十近くあるんじゃないかな」
「えっ、そうなの?」
中学時代、二人の身長差は二十センチもなかった。真樹も当時は百五十センチだった。
五年経って、今は百五十センチ台半ばだけれど、女子と男子とでは成長の度合が違うのだろうか。
「――あっ、ウワサをすれば。来たよ」
美雪が真樹の肩をポンポン叩いた。中庭の奥にある正門の方向を指さす。
今まさに、その方向から四~五人の男子グループが喋りながらやってくるところで、その面々の顔には真樹にも見覚えがあった。
(間違いない。岡原の友達だ)
みんな身長が伸びたり、体格が変わったりしているものの、顔には中学生の頃の面影が残っている。
「あ、真樹だ」
ほんの数週間前に電話で聞いたあの声でそう言い、その〝EXILE系〟が真樹に近づいてくる。
「……岡原? マジで!? 信じらんない」
真樹の記憶にある彼の姿とは、まるで別人だった。顔には少しの面影があるものの、前もって美雪から話を聞かなければ分からなかっただろう。
「お前なぁ、そんなにビックリすることねえじゃん。『信じらんない』って何だよ」
そう言って呆れる彼は、間違いなく真樹が今も好きな岡原だ。
「あ……、ゴメン。――背、伸びたね。それに逞しくなった」
「そうかぁ? まあ、今の仕事、五年続けてっから? お前も、ちょっとは背ぇ伸びたよな」
「ちょっとって何さ!? 失礼な!」
子供にやるみたいに、上から頭をポンポン叩く岡原に、真樹はムッとしたのと半分照れ隠しで突っかかった。
「悪りぃ、冗談だって。つうか、マジで髪も伸びてるし、女らしくなったよな」
「そ……そりゃあ女だもん! 五年も経てば変わるよ、あたしだって」
(もしかして……、リップ塗ってることにも気づいてる?)
真樹は彼に顔をまじまじと見つめられているような気がして、気が気ではなかった。
(少しは「可愛い」って思ってもらえてたらいいな……。でも逆に、「あざとい」って思われてたらどうしよう)
そんな彼女の心の葛藤を察知してか、岡原がかけたのは意外な言葉だった。
「そのリップの色、いいじゃん。真樹によく似合ってんじゃね?」
彼のキャラにはおおよそ似つかわしくない褒め言葉に、真樹はポカンとする。
「……それって本心から言ってる?」
褒められたのは嬉しいけれど、彼女がよく知っている岡原はそんな歯の浮くようなセリフを吐くような男ではないため、どうしても疑ってしまう。
「もちろん本心だよ。……なんだよ、その目は? 信じてねえな?」
「…………ま、そういうことにしといてあげますか」
本当はまだ疑っているけれど、真樹は途中で白旗を揚げた。
「――今日、お前も来られてよかった。例のやり直しさせられた原稿、その調子だと順調なんだろ?」
「まあね。今、第二稿に入ってる。――っていうか、アンタも知ってたなんてねー。あたしが作家デビューしてたって」
岡原がラノベとはいえ、コミック以外の本を読むような人間だなんて意外だと真樹は思った。
というより、彼が本屋に出入りする光景そのものが、真樹には想像もつかないのだ。
「おう、知ってるともさ。だって俺、お前の本が出るたんびに買ってるもん。――ホラ」