「だ、誰も……成瀬君の心の痛みを知らないなんて……なかったことにしちゃうなんて……か、悲しすぎる……」
「もう何も、言うな」
「そんなの本当に……透明人間だ……」
「柚葵」
「私が……覚えてる。全部、忘れない……。な、成瀬君が、苦しんでたこと、全部、覚えてたいの……っ」
 その言葉に、頬を、大粒の涙が伝っていった。目を押さえる指の隙間から、止まることなく溢れだしていく。
 彼女の記憶を消したあの日を最後に、もう泣かないと決めていたのに。すべての心を閉ざして、過ごしてきたというのに。
 どうして柚葵は、そんな簡単に、俺の心をこじ開けてしまうんだ。
 人の心が読めないのに、どうして、一番欲しい言葉をくれるんだ。
 雪の向こう側で涙を流している柚葵を見て、気づいたら体が勝手に動き出していた。
「柚葵っ……」
 簡単に腕の中におさまってしまうほどの、華奢な体を抱きしめる。こんなに大切なものを、どうして手離すことができただろう。
 壊れるほど抱きしめながら、俺は、心の中で曾祖父に話しかける。
 俺は、許してもらえるだろうか。誰かを愛することを。大切に思うことを。
 答えなんて返ってこないと分かっているのに、問いかけてしまう。怖くて、分からなくて。
「声を……少しでも取り戻せたら……話しかけようって、思ったの……」
「うん……」
「カウンセリングとか、たくさん受けて……過去を見つめて、わ、私が変わって……成瀬君の罪意識を、どこかへ飛ばしちゃいたかったから……」
「うん……」
「ご、五年かかっても、十年かかってもいいから……その時会いに行こうって……っ」 
 柚葵の健気すぎる言葉に、ぎゅっと胸が絞られたように苦しくなる。
 愛おしいって、こんなにも苦しい気持ちになるんだ。
 ありがとう。ありがとう、ありがとう、ありがとう、柚葵。
 空っぽだった俺に、こんな感情を教えてくれて。
「柚葵が好きだ……、死ぬほど」
 なんでだよ。なんでこんな言葉しか、言えないんだよ。
 人の心が読めるくせに、自分の感情の少しも伝えきれていない。もどかしい。
 でも、柚葵が腕の中で優しく微笑んでいるのを見て、言葉なんてどうでもよくなってしまった。
「私も……好きです」
 真っ暗になっていた世界も、君がいるだけで、簡単に光が灯る。
 ただ眩しくて、ただ愛しくて、抱きしめることだけで、精一杯だった。