その日の放課後、わたしは通っている高校を後にすると、歩いて十分ほどのところにある私鉄の駅から家とは反対方向の電車に乗り、緑に囲まれているといえば聞こえはいいものの、実態はただ辺鄙なだけの田舎町を脱出した。
 二十分ほど電車に揺られ、多くの人で賑わう繁華街に到着。CDショップで耳障りがいいだけで空虚この上ない歌詞の新譜を試聴したり、書店でキツいキャプションが並ぶファッション誌を立ち読みしたり、雑貨屋で〝キモカワイイ〟としか表現しようのない小物類を物色したりして時間を潰す。
 ぱっと見は小綺麗だけど、テーブルがべとついていたり、床に埃まみれになったポテトが落ちているハンバーガーショップで小腹を満たす。だらだら居座る客を威喝するような大音量BGMに追い立てられて店を出た頃にはすでに太陽は高層ビルの後方へと引き下がり、あたりはすっかり夜の帳が降りていた。
 そろそろ頃合だろうと思い、わたしは駅西口前にある公園へと向かった。入口付近で待ち構えている居酒屋のクーポンやピンサロの広告が挟まったティッシュを押し付けようとする連中をかわしながら園内に足を踏み入れた。
 その公園は円形をしていた。中心に設置された噴水がゴボゴボと苦しげに水を吐き出している。ところどころ青色の塗料が剥げ落ちたコンクリートの地面が放射状に広がり、その外周を取り囲むように、見てくれにこだわるあまり本分をおろそかにしている座り心地の悪そうなベンチや、制作者の歪んだ自己顕示欲以外の意図が読み取れない奇怪なオブジェが立ち並んでいる。そのさらに外側を、緑の枠をはめ込んだように背の低い植木が生い茂っている。
 コンクリートとアスファルトに覆われた都会の砂漠においてオアシスともいうべきこの公園は、陽の高いうちは近くのオフィスに勤めるOLがお弁当を広げたり、営業をサボったサラリーマンや、その成れの果てかもしれないホームレスが昼寝をするために利用しているのだろう。だけど、今の時間帯はとてもじゃないけどそのようなのどかな過ごし方ができる雰囲気ではなくなる。
 夜の公園には乗りこなしている時間よりも地面に尻餅をついている時間の方が長そうなスケーター、踊りそのものよりそこに付随するファッションやスタイルに傾倒していると思われるダンサー、へたくそなギター演奏にのせて中学生あたりなら喜びそうな青臭いメッセージソングを熱唱しているストリートミュージシャンといった面々がどこからともなく集まってくる。それぞれに少なからぬ数のオーディエンスが張り付き、公園は日中以上の賑わいを見せていた。
 しかし、わたしはそのいずれにも目をくれることなく園内を突き進んでいく。
 公園にはパドックを闊歩する競走馬のように園内をぐるぐる回っている男や、ベンチに座ってその様子を気のない素振りで眺めている女といった人種も見受けられる。スケーターやダンサー、ストリートミュージシャンといった、まがりなりにも青春を謳歌している連中とは違い、彼らには何の目的もなさそうに見える。しかし、こいつらはこいつらで明確な目的――欲望と言った方が正しいかもしれないけど――を持ってこの公園を訪れているのだ。
 先ほどから園内をぶらついていた冴えないサラリーマン風の男が、ベンチに腰掛けている女(いかにも高校生らしい格好をしているけど、本当はもっと年上だろう。現役のわたしが言うんだから間違いない)に歩み寄って声をかける。二、三言葉が交わされたものの、女がうっとうしげな仕草を見せると、男はあっさり引き下がった。再び園内をうろついた男は、今度は別の女(ぱっと見は高校生ぽいけど、実際はもっと若いはず。現役の目を信じてほしい)に声をかける。話しながらさりげなく懐の財布をちらつかせるという戦略が功を奏したのか、今度は会話が弾んでいるようだ。やがて合意に達した二人は共に公園を後にし、ネオン煌めく夜の町へと消えていく――。
 とまあこんな具合に、夜の公園は刹那的な出会いを求める者たちが集うメッカとなっているわけだ。
 健全と良識の徒を称し、他人のあらゆる行いに目くじらを立てずにはいられない連中がこの光景を目にしたら、「清純で貞淑たるべき乙女がけしからん! 将来母となるべき者がこの有様では、我が国の行く末はいったいどうなってしまうのか!」と青筋を立てて憤慨しそうだ。
 自分は若者のよき理解者であり、社会に対して語るべき言葉を持たない彼らのためにその意見を代弁しているのだと自負してやまない人間ならば、「彼女たちの生き方こそ、息苦しい日常に押しつぶされることなく、軽やかに乗り越えていくための、たったひとつの冴えたやり方なのだ!」などと妙な賞賛のひとつもするのだろうか。
 わたしはそのどちらにも与するつもりはない。なぜならわたしは、自分とは関わりのない事象に己の価値観に適った枠を当てはめることで勝手にわかったつもりになっている外野の連中とは違い、この状況に直接関わっている当事者なのだから。
 わたしはたった今空いたばかりのベンチの腰を下ろすと、さっきの女のように男に声を掛けられるのを待ち受けることにした。
 他人にどう思われようがいっこうにかまわないのだけど、いちおう断っておく。別にわたしは抑えきれない性衝動に突き動かされていたり、自分を汚したいというおぞましい自己破壊願望に取り憑かれているわけではない。ましてや、若さという自分が所有するただひとつの財産を切り崩してお金やブランド品と交換することで己の価値を計ったり、性的な食い物としてではあれど、自分が誰かに必要とされているのだと実感することによって精神的な安定を得たいわけでもない。
 はっきり言って、こんなのはただの暇つぶしだ。退屈な日常にちょっとした刺激を求めているだけだ。この公園で流行っている他の娯楽――車輪付きの板から地面へヒップドロップ、錆び付いたロボットの真似、どこぞのガキ大将よろしく下手の横好き――などにはまるで興味が持てないので、多少なりとも経験のある気晴らしを選択しているにすぎないのだ。
 そんないいかげんな姿勢であるため、わたしには自分を売り込もうという意欲が欠けているのは否めなかった。だいたい、やる気のある連中ならこんなところで声をかけられるのをただ悠長に待っていたりなどはせず、高度情報化社会が生み出した万能携帯ツールや、互いの欲望をマッチングしてくれる便利な出会い系サービスを活用していることだろう。
 今日も今日とて、ジョシコーセーという鮮度だけが命の餌に群がるバカな男どもを釣り上げては適当に弄んだ末、手荒くリリースして無益な時間を潰すことになるのだろう。まあ、相手によっては扱いを考えてやらなくもないけどさ。
「あのー、ちょっとよろしいですか?」
 そうこうしているうちに、さっそく本日最初の獲物がヒットした。
 わたしに声をかけてきた男は、年の頃は二十歳半ばくらい。何頭身あるのか測る気もうせるほどのすらりとした長身に、甘さと爽やかさを兼ね備えた端正なマスク。にこやかに微笑んだ際にちらりと覗いた白い歯は、光を反射して眩しいほどだ。――その男には、雑然としたこの公園にはそぐわない非現実的な雰囲気があった。
 あら、いい男。――わたしの乙女センサーが珍しく良好な反応を見せた。
 他人にどう思われようがいっこうにかまわないのだけど、いちおう断っておく。いかにも遊んでいる女子高生のように思われがちなわたしだけど、けっこう身持ちの堅い女であると自負している。少なくとも、下心が見え見えの男にちょっとおだてられたくらいで喜んでホイホイ付いていくようなお気軽尻軽女なんかと一緒にされては困る。
 でもその一方で、時と場合と、なにより相手によってはお堅い良識なんぞに囚われないだけの柔軟性も持ち合わせているつもりだ。今こそまさに、その柔らか頭を発揮する絶好の機会だと思われた。
 わたしは対男用に備えられたキュート(苦笑)な笑みを浮かべると、媚び媚びの声色で、「はい、なんですかぁ?」と返事をした。
 わたしの甘い罠にまんまとひっかかったのか、それとも元々そういう顔なのか、男はにこやかに微笑んだまま、まるで時間でも尋ねるような気安さで言った。
「あなたは今、殺してほしい人間はいませんか?」
「……はい?」
 思わず間の抜けた声を発してしまった。男がなんて言ったのかとっさに理解できなかった。ただ、いきなり初対面の相手に――いや、慣れ親しんだ相手であろうと普通なら言わないであろう不穏な発言であったことは察せられたのだけど……。
「ああ、失礼しました。まずは名乗るのが礼儀ですよね」そう言うと、男はわたしに自己紹介した。「私は殺し屋です」

 ――で、冒頭に至るわけだ。