「――なんてね」
「え?」
そのごくささやかなつぶやきを女子Cは耳聡く聞きつけたようだけれど、わたしはそいつにはかまうことなく女子Aに向かって言った。
「知ってるよ。このクラスの連中がよってたかって田丸さんをシカトして楽しんでいるということなら、わざわざ教えてもらうまでもなくね」
「そ、そう……」わたしの身も蓋もない物言いに女子Aは鼻白んだものの、それなら話は早いと思ったようだ。「だったら――」
相手が調子に乗ってろくでもない要請をしてくるよりも先に、わたしはぴしゃりと言った。
「でも、あなたの警告は知らない」
「……え?」
「邪魔するならお前も同じ目に遭わせるぞというような、そんなゲスな警告なんざ知ったこっちゃないって言ってるの」
「何よそれ……」
唖然とする女子Aに、わたしはさらに畳み掛ける。
「勘違いしないでね。わたしは別に、あなたたちがしていることを糾弾したいわけじゃないから。自分の身を絶対に正しい側に置き、正論で相手を一方的になぶるようなノリはわたしの趣味ではないのでね。ただわたしとしては、気持ちよく寝ていたところをわざわざ起こされた挙げ句、くだらないことを吹き込まれて、ゲスの仲間に引きずり込まれるのが我慢ならないというだけ。そういうことだから、どうかわたしのことはほっといてちょうだい」
「…………」
わたしに投げつけられた言葉がショックだったのか、女子Aは真っ青な顔をして今にも泣き出しそうだ。そんな彼女を助太刀すべく、政治的に正しい表現をするなら〝ぽっちゃりとした〟女子Bが前へと進み出て(その際、女子Aは女子Bのでかい尻にはじき飛ばされた)、わたしに噛みついてきた。
「ちょっと高屋、何よその言いぐさは! せっかく人が親切に忠告してあげているのにさ。あんた、いったい何様のつもり?」
だから、ほっといてもらいたいんだけどなぁ……と心の中で舌打ちしつつ、わたしは応戦する。
「親切ねぇ……。世間一般ではどうなっているのかは知らないけど、わたしの感覚では一人を複数で取り囲んで自分たちのやり方に従わせようとすることを親切とは言わないと思うんだけど。しかも、その金科玉条としているのが〝みんなで仲良くいじめをしましょう!〟だっていうんだから、世話ないね」
「な……!?」
「わたしは別に他人のお節介なんて求めちゃいないけど、もしどうしてもあなたたちが人に親切を押し売りして悦に入りたいというのであれば、自身がどっぷりと首まで浸かっているその臭い毒沼にわたしまで引きずり込もうとするのをやめてくれるだけでも十分だと思うな。そのくらいならできるでしょ?」
「…………」
女子A同様、女子Bもわたしの発言によって言葉を失っていた。ただし、こちらの引きつった顔は青ではなく、怒りで赤色に彩色されていた。
言いすぎたことは自分でもよくわかっていた。他人と衝突して無駄なエネルギーを浪費しないよう、これまで学校では父親以上に無口を貫いてきたというのに、一時の感情に任せて長広舌なんかふるったりするものだから勝手がわからずやりすぎてしまうのだ。人間、慣れないことはするもんじゃないね。
クラスメイトは〝ながら見〟をやめ、固唾をのんでこの一触即発の事態を見守っていた。田丸も教科書で気のない振りを装う余裕はもはやなく、はらはらした様子でこちらを注視している。
頼むから、そんな「わたしのために争わないで!」みたいなウルウル目でこっちを見ないでほしいものだ。わたしは別に、あんたのために三人組とやり合っているわけではないのだから。わたしはただ、この教室を覆っている陰険な空気にいいかげん我慢がならなくなっただけなのだ。
そうこうしているうちに、女子Bの体が火にかけられたヤカンのようにぶるぶる震え出した。このまま怒りが沸点に達したら、そのごつい腕をわたしに振り下ろしてくるに違いない。余計なことを言ったばっかりにぶたれるという、マンガみたいなベタな展開は正直勘弁願いたいところだ。ましてや、平手より張手のほうが様になりそうなのが相手とあってはなおさらだ。
今からでも遅くはない。前言を翻して土下座のひとつもしておこうか。――などと、情けないことを思っていたところ、
「あーっ、いっけなーい!」
突如、女子Cが素っ頓狂な声を上げた。これまで友人二人の少し後ろに控えていて、ほとんど存在を意識することのなかった相手の思わぬ行動に、わたしは驚きを隠せなかった。
それは女子Bも同様のようで、カッカと熱せられて今にも爆発しそうになっていたところに不意に冷たい水をぶっかけられ、すっかり気勢がそがれてしまった様子だ。
「次の時間は体育だったんだー。今日はわたしたちの班が当番だから、早めに体育館に行ってバレーボールのネットやボールを用意しないとー。授業時間までに準備が終わってないと先生に怒られちゃうよー」
マーケティングの要請で洋画の吹き替えに挑戦したタレントのようなひどい棒読みで女子Cは言うと、女子Bのボンレスハムのような腕にしがみついた。
「さあ、早く行きましょう」
「ちょっと中沢、いったい何の真似よ!?」
「わたしひとりではネットは張れませんから、手伝ってもらわないと」
「なんでわたしが?!」
「だって、わたしたちって同じ班じゃないですから。わたしにだけ準備をさせておいて、自分はサボろうだなんてそうはいきませんよ」
「ちょっと、今それどころじゃないのはわかるでしょ! だいたい、まだ予鈴まで五分以上ある――」
「では、しゅっぱーつ!」
女子Bは抵抗しようとするものの、女子Cは有無を言わせずぐいぐい引っ張っていく。その様子はさながら小さなタグボートに曳航される巨大タンカーを思わせた。
呆気にとられているわたしと女子Aを尻目に、女子B&Cは教室から出て行こうとする。女子Cは出入り口の扉を通り抜ける際、ちらりとわたしに視線を向け、軽く頭を下げた。
そして二人は教室を出て行った。
……なんだったんだ、いったい。
何はともあれ、今にも破裂しそうだった爆弾を女子Cが外に運び出してくれたおかげで、危機を回避することができたようだ。
なんとも締まらない結末に一様に白けた様子のクラスメイトたちだったけど、やがて机の上に散らばっていたトランプを片付けたり、ロッカーに体操着袋を取りにいったりと、何事もなかったかのように次の授業に向けて行動し始めた。田丸もほっした様子で数学の教科書を片付けている。
ただ一人残され、わたし以上に困惑した様子の女子Aは、気を取り直すようにゴホンとひとつ咳払いをすると、
「……とにかく、わたしは忠告はしたからね。もし後で何かあったとしても恨んだりしないでよ」
と一言残し、そそくさとわたしの前から去っていった。
……よく言うよ、まったく。
わたしは女子Aの陳腐な捨て台詞に呆れてしまった。あんたは別にいじめの首謀者でもなんでもなくて、場の空気に積極的に染まることで自身が大きくなったような気になっているだけの、その他大勢のひとりにすぎないくせしてさ。まあ、そういう連中が一番たちが悪いと言えなくもないのだけど。
ようやく邪魔者は去ってくれたものの、もはや昼寝をしている時間的余裕はなくなってしまった。仕方なくわたしも体育の準備をしようと席から立ち上がった。
それにしても――
ロッカーから体操着の入った巾着袋を取り出しながら、女子Cが去り際にわたしに向けた黒目がちの瞳が気になっていた。そこにはわたしが朝の挨拶をした際に田丸が見せたものと同種の、キラキラとした羨望の輝きに満ちているように感じたから……。
「え?」
そのごくささやかなつぶやきを女子Cは耳聡く聞きつけたようだけれど、わたしはそいつにはかまうことなく女子Aに向かって言った。
「知ってるよ。このクラスの連中がよってたかって田丸さんをシカトして楽しんでいるということなら、わざわざ教えてもらうまでもなくね」
「そ、そう……」わたしの身も蓋もない物言いに女子Aは鼻白んだものの、それなら話は早いと思ったようだ。「だったら――」
相手が調子に乗ってろくでもない要請をしてくるよりも先に、わたしはぴしゃりと言った。
「でも、あなたの警告は知らない」
「……え?」
「邪魔するならお前も同じ目に遭わせるぞというような、そんなゲスな警告なんざ知ったこっちゃないって言ってるの」
「何よそれ……」
唖然とする女子Aに、わたしはさらに畳み掛ける。
「勘違いしないでね。わたしは別に、あなたたちがしていることを糾弾したいわけじゃないから。自分の身を絶対に正しい側に置き、正論で相手を一方的になぶるようなノリはわたしの趣味ではないのでね。ただわたしとしては、気持ちよく寝ていたところをわざわざ起こされた挙げ句、くだらないことを吹き込まれて、ゲスの仲間に引きずり込まれるのが我慢ならないというだけ。そういうことだから、どうかわたしのことはほっといてちょうだい」
「…………」
わたしに投げつけられた言葉がショックだったのか、女子Aは真っ青な顔をして今にも泣き出しそうだ。そんな彼女を助太刀すべく、政治的に正しい表現をするなら〝ぽっちゃりとした〟女子Bが前へと進み出て(その際、女子Aは女子Bのでかい尻にはじき飛ばされた)、わたしに噛みついてきた。
「ちょっと高屋、何よその言いぐさは! せっかく人が親切に忠告してあげているのにさ。あんた、いったい何様のつもり?」
だから、ほっといてもらいたいんだけどなぁ……と心の中で舌打ちしつつ、わたしは応戦する。
「親切ねぇ……。世間一般ではどうなっているのかは知らないけど、わたしの感覚では一人を複数で取り囲んで自分たちのやり方に従わせようとすることを親切とは言わないと思うんだけど。しかも、その金科玉条としているのが〝みんなで仲良くいじめをしましょう!〟だっていうんだから、世話ないね」
「な……!?」
「わたしは別に他人のお節介なんて求めちゃいないけど、もしどうしてもあなたたちが人に親切を押し売りして悦に入りたいというのであれば、自身がどっぷりと首まで浸かっているその臭い毒沼にわたしまで引きずり込もうとするのをやめてくれるだけでも十分だと思うな。そのくらいならできるでしょ?」
「…………」
女子A同様、女子Bもわたしの発言によって言葉を失っていた。ただし、こちらの引きつった顔は青ではなく、怒りで赤色に彩色されていた。
言いすぎたことは自分でもよくわかっていた。他人と衝突して無駄なエネルギーを浪費しないよう、これまで学校では父親以上に無口を貫いてきたというのに、一時の感情に任せて長広舌なんかふるったりするものだから勝手がわからずやりすぎてしまうのだ。人間、慣れないことはするもんじゃないね。
クラスメイトは〝ながら見〟をやめ、固唾をのんでこの一触即発の事態を見守っていた。田丸も教科書で気のない振りを装う余裕はもはやなく、はらはらした様子でこちらを注視している。
頼むから、そんな「わたしのために争わないで!」みたいなウルウル目でこっちを見ないでほしいものだ。わたしは別に、あんたのために三人組とやり合っているわけではないのだから。わたしはただ、この教室を覆っている陰険な空気にいいかげん我慢がならなくなっただけなのだ。
そうこうしているうちに、女子Bの体が火にかけられたヤカンのようにぶるぶる震え出した。このまま怒りが沸点に達したら、そのごつい腕をわたしに振り下ろしてくるに違いない。余計なことを言ったばっかりにぶたれるという、マンガみたいなベタな展開は正直勘弁願いたいところだ。ましてや、平手より張手のほうが様になりそうなのが相手とあってはなおさらだ。
今からでも遅くはない。前言を翻して土下座のひとつもしておこうか。――などと、情けないことを思っていたところ、
「あーっ、いっけなーい!」
突如、女子Cが素っ頓狂な声を上げた。これまで友人二人の少し後ろに控えていて、ほとんど存在を意識することのなかった相手の思わぬ行動に、わたしは驚きを隠せなかった。
それは女子Bも同様のようで、カッカと熱せられて今にも爆発しそうになっていたところに不意に冷たい水をぶっかけられ、すっかり気勢がそがれてしまった様子だ。
「次の時間は体育だったんだー。今日はわたしたちの班が当番だから、早めに体育館に行ってバレーボールのネットやボールを用意しないとー。授業時間までに準備が終わってないと先生に怒られちゃうよー」
マーケティングの要請で洋画の吹き替えに挑戦したタレントのようなひどい棒読みで女子Cは言うと、女子Bのボンレスハムのような腕にしがみついた。
「さあ、早く行きましょう」
「ちょっと中沢、いったい何の真似よ!?」
「わたしひとりではネットは張れませんから、手伝ってもらわないと」
「なんでわたしが?!」
「だって、わたしたちって同じ班じゃないですから。わたしにだけ準備をさせておいて、自分はサボろうだなんてそうはいきませんよ」
「ちょっと、今それどころじゃないのはわかるでしょ! だいたい、まだ予鈴まで五分以上ある――」
「では、しゅっぱーつ!」
女子Bは抵抗しようとするものの、女子Cは有無を言わせずぐいぐい引っ張っていく。その様子はさながら小さなタグボートに曳航される巨大タンカーを思わせた。
呆気にとられているわたしと女子Aを尻目に、女子B&Cは教室から出て行こうとする。女子Cは出入り口の扉を通り抜ける際、ちらりとわたしに視線を向け、軽く頭を下げた。
そして二人は教室を出て行った。
……なんだったんだ、いったい。
何はともあれ、今にも破裂しそうだった爆弾を女子Cが外に運び出してくれたおかげで、危機を回避することができたようだ。
なんとも締まらない結末に一様に白けた様子のクラスメイトたちだったけど、やがて机の上に散らばっていたトランプを片付けたり、ロッカーに体操着袋を取りにいったりと、何事もなかったかのように次の授業に向けて行動し始めた。田丸もほっした様子で数学の教科書を片付けている。
ただ一人残され、わたし以上に困惑した様子の女子Aは、気を取り直すようにゴホンとひとつ咳払いをすると、
「……とにかく、わたしは忠告はしたからね。もし後で何かあったとしても恨んだりしないでよ」
と一言残し、そそくさとわたしの前から去っていった。
……よく言うよ、まったく。
わたしは女子Aの陳腐な捨て台詞に呆れてしまった。あんたは別にいじめの首謀者でもなんでもなくて、場の空気に積極的に染まることで自身が大きくなったような気になっているだけの、その他大勢のひとりにすぎないくせしてさ。まあ、そういう連中が一番たちが悪いと言えなくもないのだけど。
ようやく邪魔者は去ってくれたものの、もはや昼寝をしている時間的余裕はなくなってしまった。仕方なくわたしも体育の準備をしようと席から立ち上がった。
それにしても――
ロッカーから体操着の入った巾着袋を取り出しながら、女子Cが去り際にわたしに向けた黒目がちの瞳が気になっていた。そこにはわたしが朝の挨拶をした際に田丸が見せたものと同種の、キラキラとした羨望の輝きに満ちているように感じたから……。