その日の服装頭髪検査にはちょっとした異変があった。わたしたちのクラスの検査担当がいつもの石田先生ではなく、坂本先生だったのだ。
「ちょっと、何で坂本なわけ? 石田のやつ休んだの?」「違うでしょ。ほら、石田先生なら三年のところにいるし」「じゃあ、坂本と担当を取り替えたってこと?」「そうみたいね」「いったい、どうしてそんな事態に?」「そんなこと、わたしが知るわけないでしょ」「坂本の検査ってえらく厳しいらしいじゃない。ちょっとスカート丈が短いだけでもうるさく言うそうだしさ」「どうしよう。わたし、前髪が少し眉にかかってるよ」「石田なら何も言わないかもしれないけど、坂本相手じゃまずいかもね」「そんなぁ……」
 この不測の事態にクラスメイトは動揺を隠せずにいた。たしかに、彼女たちのその場しのぎの違反逃れでは他の先生相手にはどうにかなっても、厳しい坂本先生の前には通用しないだろう。
 その慌てぶりがわたしには滑稽に見えた。これだから普段からちゃんとしていればよかったのに。もっとも、ここ最近のわたしは人のことをとやかく言えなかったりするのだけど。
「次のやつ、ぼやぼやするな」
 坂本先生の野太い声がした。気がつくと前に並んでいたクラスメイトはすでに検査を終えていなくなっていた。わたしはあわてて坂本先生の前に立つ。
 こうして坂本先生と面と向かうのは初めてだ。そびえるような長身で、決して太っているわけではないけど分厚い体をしていて、側にいられるだけで圧迫感があった。そういうところが生徒のみならず、同僚からも恐れられる要因のひとつになっているのだろう。
 でも、不思議とわたし自身は坂本先生のことをあまり怖いとは感じなかった。
 わたしの前髪に物差しを当てた坂本先生はかすかに眉をひそめる。
「お前、髪が少し長いぞ」
 その言葉に、わたしは他のクラスメイトのようにうろたえたりはしなかった。そう指摘されるだろうことは前もって想定していたから。むしろ、ようやく気付いてもらえてほっとしたくらいだ。二週間ほど前から髪は違反の長さに達していたのだから。
 もし坂本先生がさらに咎めるようなことを言ってきたら、わたしはこう切り返すつもりでいた。
『たとえ違反だとしても、わたしは髪は切るつもりはありません。なぜならこれは、わたしがわたしであるための証なのですから』
 だけど、その台詞を言う機会は訪れなかった。
「次の検査までにちゃんと切ってこいよ。わかったら教室に戻ってよし。――次のやつ、早くしろ」
 坂本先生はたいして叱責もせずにわたしを解放し、さっさと次の人の検査に移っていた。身構えていただけに拍子抜けしてしまった。
 ちょっと意外だった。手間がかかる服装頭髪検査に不熱心な先生が多い中、坂本先生だけは例外なのだと思っていたから。クラスメイトもそう感じたらしく、検査を終えた生徒がまだ並んでいる生徒に「思ったより厳しくなさそうだよ」と情報を伝えていた。
 そんな彼女たちの様子をわたしは冷ややかな目で見ていた。
 わたしは姑息なあなたたちとは違う。わたしが校則違反をするのは、もっと純粋な想いによるものなのだから。

 わたしは髪を伸ばすことにした。それが校則違反であることは重々承知している。でもそう決めたのだ。なぜならこれは、「わたしがわたしであるための証」なのだから。
 わたしは小学生の頃はずっと髪を伸ばしていた。一番長い時には腰のあたりまであったこともある。
 長い髪はわたしのお気に入りだった。リボンを付けたり、ポニーテールにしたり、三つ編みにしたり――髪型に変える度に、自分が違う人間になったような気分を味わうことができたから。
 それになりより、おばあちゃんが誉めてくれたから。
 父方の祖母は、お父さんが大学進学のために家を出てからというもの、ずっと田舎で一人暮らしをしていた。
 おばあちゃんは明るく気丈で、そしてとても優しい人だった。わたしが遊びに行くと、昔話や童話をハラハラドキドキの内容にアレンジしたものや、おてんばで鳴らした子ども時代の武勇伝など、いろんなお話をしてくれた。わたしは縁側に腰掛けてそれらの話を聞くのが楽しみだった。お手玉やあやとりもよく披露してくれた。宙に放られたいくつものお手玉を自在に操ったり、ただの紐がさまざまな形に変化する様はまるで魔法のようで、わたしは盛んに拍手を送ったものだ。
 あるとき、おばあちゃんがわたしに言った。
「由佳ちゃんの髪はきれいね。長くて、真っ黒で」
 そして、かさかさに荒れた手でわたしの髪を梳いてくれた。おばあちゃんの細い指の間を髪の毛がするりと流れる度、わたしは幸せな気持ちになれた。
 おばあちゃんは、真面目ないい子という以外の理由でわたしを誉めてくれた数少ない人だった。
 飛行機を使わないと行けないような遠方の町に住んでいることもあり、年に一回くらいしか会えなかったけど、わたしはおばあちゃんのことが大好きだった。
 そんなおばあちゃんが亡くなったのは、小学校六年生の夏のことだった。民生委員の人が家を訪ねた時には、すでに死後三日が経過していたそうだ。
 悲しかった。おばあちゃんの死そのものもそうだけど、一人孤独に死なせてしまったことがなによりも悲しかった。わたしはおばあちゃんが与えてくれた優しさに何ひとつ報いてあげることができなかった。
 わたしはこれから一生、この悲しみに暮れながら生きていくのだろうと思った。それは愛する人を失った者のさだめであるはずだから。
 だけど、おばあちゃんがいなくなっても世界は何ら変わることなく続いていき、わたし自身もこれまで通りの真面目ないい子としての生活に忙殺された。そんな忙しない日常の中ではおばあちゃんを失った悲しみどころか、その存在が頭をよぎることすらほどんどなくなっていた。
 中学校の説明会で自分の髪の長さでは校則違反になることを知ったわたしは、入学前に理髪店で腰ほどまであった髪をばっさり切り、冴えないおかっぱみたいな頭になった。これではもう、別の人間になる気分を味わうことなどできないそうにない。わたしは真面目ないい子であり続けるため、深く考えもせずに長い髪の自分を捨てたのだ。
 もうそんな安易な真似はしないつもりだ。おばあちゃんが誉めてくれた長くて黒い髪――それがわたしにとってかけがえのないものであることを思い出したから。これこそが、わたしがわたしであるための証なのだと気付いたから。
 だからこそ、わたしはその証を取り戻すべく髪を伸ばすことにしたのだ。たとえそれが、真面目ないい子という、これまでのわたしの生き方を否定することになったとしても。
 これもひとえに松永先輩のおかげだ。
 もし先輩に出会わなかったら、わたしは真面目ないい子という卑屈な生き方に疑問を感じながらも、それに抗おうなどと考えることもなく、悶々とした日々をすごしていたに違いない。
 あの日、あの空に近い場所で松永先輩に出会ったことによってわたしは生まれ変わったのだ。命に懸けても自分の証を守っていこうという先輩の真摯な生き方に強い感銘を受け、わたしも先輩のように自分の証をしっかり持ち、強く生きていこうと思うようになったのだ。
 あの日、わたしの耳に屋上の扉が閉まる音が聞こえたのは、やはり運命的なものだったんだ。
 今なら確信を持ってそう断言することができた。