君と見上げたい、たった一度の8月31日の夜空を 第三・五章、それぞれのお盆休み

 熊本県阿蘇(あそ)外輪山

 花崎千秋は二年振りに阿蘇山と九重(くじゅう)連山が一望できる阿蘇外輪山北側の草原にある乗馬クラブでクォーターホースに跨がり、姉と一緒に阿蘇の綺麗で涼しい空気と雄大な自然を満喫していた。
 ここの乗馬クラブは母の実家の近くにあり、去年はテニス部の練習漬けで来れなかったから、またこの馬達に再会できたことがとても嬉しかった。
 千秋はキュロットとロングブーツを履いてヘルメットを被り、先導するガイドのクォーターホースについて行く、隣には三つ上の姉で東京の大学に通ってる花崎睦美(はなさきむつみ)も帰省して乗馬を楽しんでいる。
「千秋、あれからどう? 特に吹部の子は大丈夫なの?」
 姉も細高出身だ。ほっそりとしたシルエットの小顔美人で長い黒髪を編んでまとめ上げ、キリッとした凛々しい切れ長の眼差しは姉妹そっくりで、姉に至っては日本刀にも通じる鋭さだ。
 在学中は前理事長の孫娘として知られて風紀委員に所属し、不正や風紀を乱す物を許さない姿勢から鬼の風紀委員と呼ばれていた。
「うん大丈夫、あの子は思ってる以上に強い子よ」
 千秋は誇らしげに微笑んで頷くと、睦美も微笑みを返す。
「そういう千秋も前よりいい顔してるじゃない、部活辞めていいことあったようね?」
「うん、中学から一緒にテニス部やってた友達が辞めたから、もう続ける理由もなくなったの……私も素直じゃなかったけど、そんな私のことを友達だって言ってくれたから」
「まさか真面目な千秋が途中で部活辞めるなんて、お祖母様もきっと呆れてると思うわ」
 睦美は苦笑する。花崎姉妹の祖母は幼い頃に亡くなってるが姉は今でも尊敬してるという。
 それ故に姉は在学中に幾度も前理事長の孫娘という肩書に苛まれ、葛藤したこともあったという。千秋も入学した時には前理事長の孫娘として一部の先生からも注目された。
「私は私、お祖母ちゃんはお祖母ちゃん」
 千秋はそう言って孫娘として扱われるのを嫌って言うと、高森先生は苦笑して頷いてくれた。
「はいはい。夏海ちゃんだっけ? この前、顔を真っ赤にして泣いて家に来た子?」
「うん、夏海は吹部で沢山苦しんで、辞めた後も苦しんで、それで春菜が手を差し伸べたの」
 守屋さんをビンタして逃げた後、千秋はみんなを自宅に連れて行き、睦美にソーメンを作ってもらい、その後はみんなのためにスイカを切ってくれた。
 千秋は心に決めていた。このたった一度の夏休みを大切な友達のために捧げようと。
「千秋も変わったね、まさか男の子も家に連れて来るなんて」
 睦美は珍しく茶化すような眼差しと笑みを見せるが、千秋は真っ向から否定する。
「私にはやらなきゃいけないことがあるの! 如月君は冬花のことが好きだし、朝霧君も夏海のことが好きなのよ!」
 うまくいくかどうかわからない、余計なお世話だと言われるかもしれないけど構わない。だけど、あの五人と幸せな気持ちで彗星を見上げたい! いいえ、見上げて欲しい!
 睦美は少し心配した表情になる。
「相変わらず良くも悪くも真っ直ぐね、いいの? 男の子作らなくて、一度っきりの夏休みよ」
「構わないわ! 私は春菜と仲良くしてる夏海のことを羨んで、嫉妬してた。だけどその私に手を差し伸べて、一緒に彗星を見上げて、居場所を作って、青春しようって……冬花も私が春菜のことでモヤモヤして、自分自身が嫌になりそうで泣き出しそうな時に、優しく抱きしめてくれたの……そして春菜も、こんな不器用で、意地っ張りで、器の小さい私のことを、友達だって言ってくれた……朝霧君も、如月君だってみんな強くて優しい大事な友達よ!」
 千秋は朝霧光が夏海に恋し、如月望も冬花に思い続けていることを肌で感じている、睦美は温かい笑みを見せて激励する。
「そこまで熱くなるなんてね、いいわ。頑張ってね!」
「勿論よ!」
 睦美は自信と誇りに満ちた目で頷くと、睦美は話題を変える。
「ところで話し変わるけど、吹部顧問の先生が変わったからその夏海ちゃんを呼び戻す空気になったんだよね?」
「うん、笹野先生の代わりに今年入ってきた柴谷先生よ」
「……その柴谷先生って、もしかして柴谷太一先生?」
 睦美は静かに驚いてる様子だ、どうして知ってるんだろう? 千秋は首を傾げて訊く。
「えっ? どうして知ってるの?」
「ううん、細高にいた頃玲子先生から聞いたのよ、凄く腹黒い変人だったって……そっか、細高に帰ってきたんだね、あの人」
 睦美の横顔は感慨深そうにかつての恩人に思いを馳せてる様な表情だ。
「確かに変わった人よ。冬花から聞いたけど音楽準備室を私物化してそこで紅茶飲むためにカセットコンロやティーセットに茶菓子、それから愛読してる小説まで持ち込んで、昼休みは部員の子達とティータイムを過ごしてるって」
「確かに変人ね、でもその先生のおかげで吹部の雰囲気が良くなったんだって?」
 睦美は続きを訊くと、千秋は駒崎八千代の顔を思い浮かべながら頷く。
「うん、これは吹部にいるクラスメイトの子から聞いた話よ」
 千秋は前置きすると睦美は頷く。
「最初に合奏を聞いた時凄く渋い顔してまた怒鳴られるかな? って萎縮してたら、こんなこと言ったの『演奏自体は悪くないけど初歩や基礎以前に一番大切なことを忘れてる。最初の指導は君達に音楽の楽しさを教え直すことだ』ってね、柴谷先生の練習は厳しいけど、凄く優しくて、一年生のフルートの子が本気で恋してるんだって……奥さんいるのに」
「それ本当なの?」
 睦美は苦笑しながら訊く。
「うん、冬花から聞いたんだけど奥さんは幼馴染みで高校の時から付き合ってたんだって」
「まさか叶わぬ恋だと知りながら健気に吹いてるの?」
 睦美が少し心配した表情で言うと、千秋もその子のことが心配になってきた。
「うん、早く先生意外に好きな男の子を見つければいいのに……」
「人の心配より自分の心配をしなよ。千秋、この前また大神先生に追いかけられたんでしょ?」
 睦美は苦笑しながら問うと、この前の火の国まつりの時を思い出す。
 辛島公園で追いかけられた時は偶然、仲が良かった笹野先生がいてかなり痩せ細って車椅子を押してたから大神先生に教え、ようやく追跡を諦めてくれた。
「ええそうよ、だから何? もう春菜のいないテニス部には戻らないわ!」
「勿体ないわね、インターハイにも出たのに」
「悪いけど、そんな名誉なんて何の役にも立たないわ。それに……ちゃんと私は前を向いてるから!」
 千秋は同時に跨がってるクォーターホースに足で力強く合図すると、のんびり歩いていたクォーターホースは千秋に応えて走り出した。
 振り向くことなく千秋は前傾姿勢で文字通りの人馬一体となり、風を切ってリズミカルに蹄を鳴らしながら阿蘇外輪山の草原を駆け抜ける。
 走れ! もっと速く、もっと遠くまで! 誰も私を、私達を止められない! 
 このたった一度っきりの夏休みを、掛け替えのない友達と思いっ切り駆け抜けるんだ!
 熊本県熊本市新屋敷(しんやしき)
 
 如月望は毎年恒例のお盆で父方の実家――所謂本家で過ごし、小説家の祖父が使ってる仕事部屋の応接室兼書斎のソファーに身を委ね、柴谷先生から勧められたジョージ・オーウェルの「1984年」の文庫本を読み耽ていた。
 柴谷先生の言う通り先の大戦後に書かれたとは思えないほど、未来を予見していて望は戦慄する、柴谷先生がスマホを使いたがらない訳だと思わず納得する。
 一区切り読んだ所で、何か飲もうと思いながら書斎を出ると午後三時近くにも関わらずまだ大広間では親戚のおじさん達がお酒を飲んで談笑してるのか、下品な笑い声が絶えずに思わず立ち止まる。
 大広間を通ろうとしたら間違いなく酔っ払った大人達に絡まれそうなので、廊下を忍び足で歩いて台所に入ると、こっそりペットボトルのアイスティー(無糖)とケーキを一切れを頂こうとした遠い親戚の子と鉢合わせした。
「あっ……望君?」
達成(たつなり)君も何かくすねてたの?」
「うん、甘いものが欲しくなってね、さっきまで中庭で彼女とLINEしてたけど君は?」
 望とは対照的に長身で、顔立ちは線の細い甘いマスクの美形で爽やかなイケメンの市来達成(いちきたつなり)は横浜から来たという。
「俺はお祖父ちゃんの書斎で読書だよ、他の子達もみんな酔っ払いから逃れてるみたいだね」
「うん、他のみんなは散り散りになってスマホでゲームしてたり、YouTubeとか見てる」
 他の小さな子達も酔っ払いのおじさん達の相手やおばさん達の手伝いから逃れ、同い年や少し上の子達は市内にこっそり遊びに行ったらしい。
 小さな子供が苦手な望も、達成なら隠れ家に招いても良さそうだ。
「達成君、俺の隠れ家に来る?」
「うん、ありがとう」
 達成は微笑んで礼を言うと、氷を入れたアイスティーとケーキを載せたトレイを持ち、祖父の書斎に戻ってそれぞれ思い思いの時間を過ごし、沈黙が流れると達成が口を開く。
「ねぇ、彗星の夜は誰と過ごすか決めた?」
「うん、幼馴染みと中学からの友達と、この夏に友達になった子達と六人でだよ」
「そうか……実は僕も悩んでたんだ。僕の彼女、実はまだ中学生なんだ」
 達成は絞り出すような声だった、秘密にして欲しい話しにも聞こえる。
「周りには言い辛い話しだね、秘密にしておくよ。SNSにも書かない方がいい、見られてるかもしれないからね……これみたいに」
 望は開いたまま「1984年」の表紙を見せると、達成は訊いた。
「なんだいそれ? 小説?」
「1984年っていうディストピア小説だ、二四時間国民を監視する装置テレスクリーンが出てきてね。これを呼んでるとSNSを使うのが怖くなるよ」
 望は微笑んで率直に感想を言うと、達成は余裕の笑みで訊く。
「どうしてそれを?」
「音楽の先生に勧められたんだ。電子書籍よりも紙の本でね……この本に出てくる古道具屋の主人ミスター・チャリントンがなんとなく先生に似ているんだ」
 望は苦笑すると、達成の聞きたいところはそうじゃないと思い理由を話す。
「って……そうじゃないな、SNSで投稿した画像や呟きがもし見られたくない人達に見られていたら? しかも四六時中に」
 春菜がこの夏休みの始まりにノートで夏休みの予定に混じって書いた「夏休みの宿題」や「夏期講習」に「テニス部復帰」に×印を付けてSNSにアップした悪ふざけがいい例だ。
「想像したくない話しだな、僕が中学生の子と付き合ってるのも実は筒抜けってことも?」
「うん、SNSに投稿しなくても周りの人が見ていてそれを密告するようなことになったら?」
「それ絶対嫌だね、自分が誰かを好きになったって気持ちが知られたくない人に知られるなんて、望君は幼馴染みの女の子が好きなの?」
 女の子だなんて言ってないのにどうして見抜いてたんだろう? 望は驚きを隠せずに達成を見つめながら頷いた。
「そうなんだよ、よくわかったね」
「表情と仕草から何となくわかるんだ、気味悪く思わないでね……もしかしてだけど、その幼馴染みと以前何かあったみたいだね」
 達成の言う通りだ、完全に見抜かれてるような気がした。まるで彼自身がテレスクリーンのようにも見えて、念のため望は訊いてみた。
「達成君もしかして、嘘も見破れるの?」
「うん、それで気味悪がられたことも沢山あった……だけどそのおかげで本音で言い合える友達もできたからそのことには感謝してる、望君はその幼馴染みをどう思ってる?」
 達成に訊かれると望は何となく自分自身の前に大きな鏡が現れ、自分自身と向き合うことを自分自身によって強いられてるようだ。
 だけど逃げたり目を背けてはいけない、望は思うがままを話す。
「中二の頃、一回告白したんだ。だけど冬花はおろおろしてどうすればいいかわからないって泣き出して、傷付けてしまった。本当に取り返しのつかないことをしてしまったよ……だけど冬花は、次の日には何事もなかったように変わらず接してくれた……」
 それが望には胸が締め付けられ、辛くて痛かった。昨日のことを謝っても冬花は気にしないでと言ってくれたのが、より罪悪感と辛さに拍車をかけた。
「その冬花ちゃんのこと、今でも好き?」
「うん、好きだよ……でもそれを口にしたら今まで築き上げた関係が一瞬で壊れるんじゃないかと思うと怖いんだ」
 そうなってしまったら望は何を糧に生きて行けばいいのだろう? 達成はジッと見つめると、今まで思ってもいなかったことを言った。
「傷付いてるのは君も同じだと思うよ」
「俺が?」
 望は達成を見つめながら言うと、達成は頷く。
「うん、確かに思いを伝えるのは怖い、だけどあの日から向き合わずに逃げ続けていたら多分大人になっても、下手すれば一生後悔する。だから、もう一度伝えるべきだと思う。それに君は一人じゃない? 違うかな?」
 達成の問いに望は迷わず首を振る、一人な訳ない。友達の光がいるし、冬花には風間さんや桜木さん、花崎さんがいる、だから一人じゃないと否定する。
「いやそんなこと言ったらそれこそ冬花に怒られるし、下手すれば光に殴られるよ」
「うん、それともう一つ、絶対に卑屈になって自分には似合わないとか、釣り合わないとかなんて思ったり、口に出しちゃ駄目だよ」 
「勿論さ、でもそれ誰の言葉? 達成君の言葉には聞こえないけど」
 望は達成の口調から何となく誰かの言葉を引用してるようにも聞こえると、悪戯がバレた小さな子供のように微笑む。
「バレた? 僕のクラスメイトの言葉だよ、キョロ充嫌いな奴でね『卑屈な非リアは血の涙を流して慟哭しろ!』ってそういう奴に言い放ったんだ!」
「いや正論だよ、光のクラスメイトにキョロ充な奴がいるから今度教えよう!」
 楽しみがまた一つできたような気がして、達成から元気をもらったような気がした。
 もう一度冬花に、自分自身の思いを伝えてみよう、後悔するよりはいい。
 熊本県宇城市(うきし)松橋(まつばせ)

 今年は蝉の鳴く声が心地好いなと、雪水冬花は風鈴の音を聞きながら父の実家の縁側で足を伸ばし、寝転がってる。
 すると親戚のお姉さんが切り分けたスイカをお盆に載せて持ってきてくれた。
「はい冬花ちゃん、スイカよ」
「わあっ! ありがとうございます!」
 親戚の川崎香澄(かわさきかすみ)はパリで活躍してるファッションモデルで、国内よりも海外の方で高く評価されてるトップモデルだ。長身でグラマーなスタイル、背中まで長い黒髪、ノースリーブにジーンズ姿がより豊満で背の高いスタイルを強調してる。
 優しくてお淑やかでお転婆な女性で、自分とは正反対だと冬花は思う。
 最近彼氏ができたらしくお相手は元フランス陸軍特殊部隊隊員で、今は南アフリカで仕事して遠距離恋愛してるという、香澄姉さんは冬花の隣に座って訊いた。
「学校はどう? 夏休み楽しい?」
「はい、今まで過ごしてきた中でこんなに楽しい夏休みは初めてです!」
「あらあら、どんな楽しいことがあったの?」
「いろんなことですよ! 友達とみんなで祭りに行ったり、お盆休みが終わったら湘南旅行に行く予定で、今年は夏休みをちゃんと夏休みしようって決めたんです!」
 冬花はそう言って両足を浮かせた反動で起き上がり「いただきます!」と手を合わせてスイカを一切れ取り、一気にかぶりついた。
「美味しい……香澄姉さんいつまで日本にいるんですか?」
「九月の二日までよ、明日彼氏を迎えに一旦南アフリカに行くわ。八月三一日は彼氏と大学時代の友達も呼んで沖縄の小浜(こはま)島で見上げるわ」
 香澄姉さんは両足を伸ばして両手を後ろに置き、青い夏空を見上げながら言うと、冬花は澄み切った星屑と彗星の夜空を思い浮かべる。
「沖縄の離島! いいですね!」
「うん、彼氏と海か山にするか話し合ったらね、そしたら絶対に海にしようって言ったのよ! あたしが意見を言う前に海で星空を見上げることの素晴らしさを大袈裟に語っちゃって、あたしは軽井沢に行きたいと思ってたけど彼ったらロマンチックに主張するのよ!」
 香澄姉さんは微笑みながら言う。そういえばどこかで聞いた話しだが、フランス人は自己主張が強くて絶対に自分の意志を捩曲げないという。
「冬花ちゃん、彗星の夜は誰かと見上げるの?」
 香澄姉さんが訊くと、冬花はみんなの顔を思い浮かべながら頷いた。
「はい! その日はみんなで見上げる予定です!」
 冬花はスマホを操作してみんなとの集合写真を見せると、香澄姉さんは慈しむような眼差しで見せる。
「あらあら青春ね、みんな素敵な目をしてるわ……冬花ちゃんの言う、夏休みをちゃんと夏休みするって……きっかけでもあったの?」
「はい……この幼馴染みの望君が、あたしと友達の光君と最初は三人で彗星を見上げようって、夏休みをちゃんと夏休みしようって言ったんです……そしたら光君が吹奏楽部辞めて居場所を無くしちゃった夏海ちゃんと出会って、夏海ちゃんの友達の春菜ちゃんや千秋ちゃんも加わって賑やかになっちゃったんです」
 冬花は今日までのことを思い出して微笑むと、香澄姉さんも微笑みを返す。
「素敵なことね、それで好きな男の子もできたの?」
「はい……ずっと前から望君のことが好きなんです」
 冬花は頬を赤くしてしおらしく言うと、香澄姉さんは訊く。
「その子に好きって気持ち伝えた?」
 冬花は否応なしにあの日のことを思い出しながら正直に言う。
「実は……中学の時に告白されたました」
「あら? 冬花ちゃんはなんて言ったの?」
「望君、あたしに好きだって言ってくれたんですけど……その時……どうすればいいかわからなかったんです、望君のことが好きって気持ちはあったんですけど……どうすればいいかわからなくって……泣き崩れちゃったんです」
 冬花にとっては昨日のことのように感じる出来事だ、告白してくれた望を傷付けてしまった罪悪感のあまりに、自分の我が儘でなかったかのように翌日も望と普通に接し、望も今まで通り接してくれた。
「あの後も望君は今まで通りに接してくれたんです。何事もなかったことみたいに……」
「そう……今はいいかもしれないけど、すれ違ったままにしておくと……いずれ取り返しがつかなくなって後悔する日が必ず来るわ」
 香澄姉さんの眼差しは真剣だ、おしとやかだけど厳しい一面もある人だ。 
「このままじゃいけないってわかってます……でもやっぱり怖いんです」
 冬花はしゅんとしながらスイカを口にすると、香澄姉さんもスイカを一切れ取って上品に一口頬張って精一杯味わいながら言う。
「確かに怖いって気持ちもわかるわ、もしかするとその望君も同じ気持ちで悩んでると思うわよ……勇気を出して伝えてみたら?」
 香澄姉さんは真っ直ぐな眼差しで見つめ、冬花は果たして自分に出来るのかどうかと自分自身に問い、唇を噛む。
「一人で思い悩まなくていいのよ、あなたにはどんな時も一緒にいてくれる友達がいる。だから……勇気を出して、望君だってきっと受け止めてくれるわ」
 冬花は俯く、果たして望は受け止めてくれるのだろうか香澄姉さんは見つめて微笑みながら唐突に話題を変える。
「ねぇ……冬花ちゃんの友達ってどんな子?」
「えっ?」
 冬花は顔上げて見つめると、香澄姉さんは母性的な眼差しで言う。
「聞かせてくれる? あなたのお友達や幼馴染みの望君との青春!」
 香澄姉さんは話しを聞きたいらしい、冬花はいつの辺りから話そうかな? と思い浮かべながら話す。

 望君は幼稚園の頃から友達なんです。いつの頃から覚えてないくらい……一番幼い頃の記憶にはもう望君と仲良くしていて、小学校六年間一緒で数え切れないくらい一緒に遊んだり、笑ったり、泣いたり、喧嘩したり、馬鹿やったりしてたんです。
 そういえば! 一つ、幼稚園の頃に望君の家族と阿蘇でキャンプに行ったんです。その時、望君と二人で夜空を見上げて約束を交わしたんですよ。
 あたし、大きくなったら望君のお嫁さんになるって! 望君覚えてるかな……光君と出会ったのは中学入ってからですね、一年生の時だけ望君と同じクラスで顔見知りだったんですよ。
 高校入って帰る方向が一緒だったから、放課後一緒に街に寄り道したり休みの日には一緒に遊んで、お祭りに行ったりして……彗星の夜は三人で見上げるって約束したんです。
 そんな時、光君が連れて来たんです……去年、吹奏楽部辞めて今年新しい顧問の先生がやってきて、吹奏楽部の雰囲気が良くなって、友達に戻ってきて欲しいって求められて悩んでる夏海ちゃんに。
 夏海ちゃん居場所を無くしちゃって同じようにテニス部を辞めて、居場所を無くしちゃった春菜ちゃんと出会って……光君言ったんです。
 みんなで居場所を作ろうって、それがみんなを導いてくれた。
 それから春菜ちゃんと同じテニス部の千秋ちゃんも一緒になって、千秋ちゃん……春菜ちゃんとは正反対で部活でもライバル同士だったんですけど、本当は友達でいたい。
 だけど素直な気持ちが伝えられなくて……一緒に勇気を出して素直な気持ちを伝え合おうねって……。
 それでこの前のお祭りで、ようやく自分の気持ちを伝えられたんです。

 冬花は夏空を見上げる、みんな今どうしてるかな? 香澄姉さんは母性的な女神様のように微笑んで言う。
「青春ね……羨ましいわ、その子も伝える時はきっと怖かったかもしれない、冬花ちゃんも怖いかもしれないけど……だけど、後で振り返ったらきっと素晴らしい思い出になるわ」
 香澄姉さんの言葉に冬花は「あっ」と気付いてみんなそれぞれ違う形で勇気を出していたことに気付く。
 そうだ、千秋ちゃんだって勇気を出して思いを伝えたんだ。千秋ちゃんだけじゃない、望君も、光君も、夏海ちゃんや春菜ちゃんだって!
 今度はあたしが勇気を出す番だ!
 熊本県菊地(きくち)市原(いちはら)

 桜木春菜は夏の避暑地で、秋は紅葉狩りで有名な菊地渓谷(きくちけいこく)近くにある菊地川沿いにある父の実家に帰省していた。夏場の天然クーラーでエアコンいらずでマイナスイオンを浴びながらのんびり過ごす。
 畳みの部屋でお祖母ちゃんが作ってくれたソーメンをたらふく平らげた後、四角いテーブルのすぐ傍で寝転がって日記帳を開く。
 夏海、どんなことを書いてるかな?
 吹奏楽部を辞めた後、独りぼっちで心細い思いをしていた夏海に思いを馳せながら、書いてる日記を読み返してるうちに寝落しそうになると、お祖母ちゃんがタオルケット持ってきて優しく敷いてくれた。
「春菜、お昼寝したら前んごつ川で遊んどいで」
 スマホよりも日記で書くことを勧めたのはお祖母ちゃんだった。
「ありがとうお祖母ちゃん、またここでソーメン食べられるなんて夢にも思わなかったよ」
「祖母ちゃんも、春菜がいつもお盆休みや連休で遊び来るのが当たり前やて思うとったばってん、大間違いだった」
「そうね……」
 春菜も毎年お盆は田舎で過ごせるのが当たり前だと思ってたけど、それは大間違いだったと痛感しながら起き上がって、テーブルの上に置いてある氷の溶けた麦茶を一口飲むと、少し考えて口にする。
「お祖母ちゃん、高校で部活入ったら卒業まで続けるのが当たり前って言うけど……当たり前って何だろうね?」
「そうね、ばってんこれだけは言ゆる。当たり前んことば当たり前やて思うてしまいかん、今日まで祖母ちゃんや春菜が生きとるんな奇跡ばい!」
 お祖母ちゃんの言う通りだ。
「奇跡か……」
 春菜は寝転がって天井を見上げる。
 あの時、朝霧君が夏海の日記を見つけなかったら? それ以前に屋上で叫ぶ夏海を見つけなかったら? きっとマーク・フェルトの正体だった千秋の本当の気持ちを知ることもなかっただろう。
 それ以前にあの日、日記を読み返さなかったら?
 それは六月に入ったある日のことだった。
 インターハイ予選を終えて全国大会に備え、練習の日々を送っていた昼休みのことだった。

 午後の授業と放課後の練習に備え、エアコンの利いた騒がしい教室で弁当と昼食後のおやつを食べながら、同じクラスの部員の子や一組にいる千秋と日記の話しをしていた。
 みんなはスマホのアプリで日記を書いていたが春菜だけ日記帳に書いてることを、みんなに力説した。
「お祖母ちゃんが言ってたの、自分の手で書いて後で読み返すと書いた時の気持ちや、その日の思い出が鮮明に蘇ってくる! 自分の書いた言葉には言霊が宿るんだって!」
「それ、うちのお祖母ちゃんも話してたわ。言葉には魂が宿っていて、願い事や夢を口にすると叶うって、逆に誰かの悪口や嫌なことを言うと自分に返ってくるって」
 千秋も頷いて話すと、同級生の部員が冗談を含めて言う。
「それなら私達間違いなく地獄に堕ちるね! だって大神の悪口とか言いまくってるし」
「まぁ不満が悪口に発展することもあるから気をつけなきゃね……吹奏楽部なんか凄いらしいよ。駒崎さんから聞いたけど、笹野先生が学校を去った後、洗脳が解けたみたいにあれだけ従順だったみんなが恨みや憎しみや悪口を口にしてたって」
 千秋の言うことに同級生の部員が頷く。
「そりゃあ、あんな虐待レベルな指導なんかしてたらねぇ……そういえば去年辞めた子、千秋のクラスだっけ? フルートの風間さん?」
「うん、辞めたばかりの頃は昼休み駒崎さんや守屋さんと食べてけど、最近は一人で中庭に食べてることが多いわ」
 千秋は言う、春菜はきっと肩身の狭い思いをしてるんだなと思ってると、話しが脱線してることに気付いてやんわりと戻す。
「一人で心細いだろうね、せめて一人で抱え込まず……日記に好きな男の子ができて、その子と付き合って毎日が幸せって書けるといいんだけね」
 春菜は日記帳をめくって昨日何書いたかな? そういえば書く時間は体力の有り余ってる春菜と言えど、クタクタになって寝る前に書くのが習慣だった。
 何となく昨日のページを開くと、ピタリと手を止めて思わず目を見開いて固まった。
 思わず一昨日と時間を遡り、二年生になった日まで遡って日記帳を閉じた頃には全身冷や汗が滲み出て表情は青褪める。
「ちょっと春菜! 大丈夫?」
 真っ先に気付いたのは千秋だった。
「あはははは……大丈夫」
 春菜は友達を心配させまいという気持ちで笑って誤魔化す。
「なら……いいけど」
 それでも千秋は心配した表情を変えなかった、いつもの五時間目の授業からは睡魔が襲ってくるはずがこの日だけは眠くならず、授業も上の空で頭の中は日記の内容で一杯だ。

「もうテニス部辞めたい、ラケット握りたくない」「卒業までずっと朝から晩まで部活なんて嫌だ」「家でゴロゴロしながらYouTube見たい」「放課後や休みの日は友達とタピオカ飲みながら街をブラブラしたい」「このまま部活だけで高校生活終わるの?」「あたし何のためにラケット握ってるの?」「夏休みもずっと練習なんて嫌だ」

 あたしそんなこと書いてたんだ。日記に書いてた中身が頭の中で竜巻のように回り続け、今日までの高校生活が部活意外何もなかったことを思い出す。
 放課後になると、いつものように惰性でテニスウェアに着替えてラケットや制服の入ったボストンバッグを持ってテニスコートに向かう。
 平静を装いながらすぐに練習開始、ウォーミングアップの準備体操と軽いランニングを終えるとラケットを握ってコートに立つ。
「いくよ春菜!」
 千秋がボールを二回ほどコートにバウンドさせると、ボールを打ち上げてラケットに打ち付ける。その瞬間、今まで抑えていたものが音を立てて崩れ落ちた。
 春菜は打ち返さず、ボールは勢い良く春菜を横を掠めて後ろの壁に叩きつけられ、同時にラケットが手から零れ、乾いた音を立ててコートに落ちる。
「ちょっと春菜! どうしたの!?」
 コートの反対側にいた千秋が真っ先に異変に気付いてラケットをその場に置いて真っ先に気付いて駆け寄る。それにも気付かず春菜はただ震えながら呟く。
「あたし……何のためにラケット握ってるの? 何のためにテニスやってるの? あたしの青春って何のためにあるの? ただ練習して練習して練習してたまに試合をやる……それに何の意味があるの?」
「おい! 桜木! どうしたんだ? 真っ青だぞ!」
 顧問の大神先生も駆け寄るが耳に入らない。
 抑えていたものが崩れ落ちた後は決壊して濁流となり、それが大粒の涙となって両頬を伝って雫が地面に落ちると、同時に両膝も落ちて春菜はその場で泣き叫んだ。
 大事な試合で負けても泣かなかったのに、まるで赤ん坊のように声を上げて泣き叫んだ。
「春菜、大丈夫!? 一緒に保健室に行って休もう! 大神先生、春菜は今日の部活は無理です! 休ませていいですよね?」
 一番気にかけてくれた千秋は大神先生に眼差しで押すように言うと、流石の大神先生もうろたえながら「あ、ああ」と頷き、保健室に連れて行かれた。
 泣き叫んでベッドで休み、落ち着いた後は校医の先生から簡単なカウンセリングを受ける。
 高校入って部活漬けの日々で知らず知らずのうちに精神的ストレスを溜め込み、それが許容範囲を超過して決壊したのだとわかりやすく説明してくれた。
 その日は真っ直ぐ帰り、両親に心配されながら退部を決意した。
 翌日、春菜は登校してすぐ退部届けを書いて朝のホームルーム前の大神先生に提出すると案の定、今まで見たことない程困惑した。
「退部って!? 桜木……インターハイはどうするんだ?」
「……もう、どうでもいいんです」
「どうでもいいって……お前を応援してくる人達はどうなる?」
「どうでもいいですし知ったこっちゃありません……あたしの代わりなんていくらでもいますから」
 春菜は首を横に振って言うと、大神先生は大袈裟に説得を試みる。
「桜木、辛いのはお前だけじゃない! みんなだって同じだぞ! みんなが目標に向かって歯を食い縛って苦しい練習に耐える日々を送ってる……今は辛くても後で素晴らしい思い出だったと言える日が必ず来る!」
「それっていつですか? あたしはそれが嫌なんですよ、もう練習についてこれないので辞めます」
 春菜はこの先生には何を言っても無駄だと感じてる、そしてこの先生の言うことは春菜には届かない。
「桜木、二年生になったばかりだ。もうすぐ三年生も引退する、そしたら誰がテニス部を牽引していくんだ? それにせっかく部活に入ったからには卒業まで続けるのが常識だ! 途中で辞めたら、進学や就職にだって響くぞ!」
 大神先生の口調からだんだん余裕がなくなって強い口調になっていくが、春菜は反対に白けて冷たい口調になる。
「そんな先のことなんて知りません、常識ってなんです? あたしはその常識に苦しめられてるのがわからないんですか? あたしは今を大事にしたいんです」
「その今を大事にしてないのは桜木、お前の方だぞ! 先生だってお前の――」
 お前のことを思ってと言おうとしたのだろう、背後から小柄な先生が肩を乗せて阻止する。
「大神先生、もうこれくらいにしておきましょう」
「柴谷先生……しかし桜木は――」
「これ以上無理強いすると、桜木さんは今度こそ壊れて取り返しのつかないことになってしまいます。そうなった時、親御さんにどう説明して責任を取るつもりですか?」
 柴谷先生はにこやかだがその眼差しは笑っていない。大神先生は渋い顔になると、柴谷先生は春菜に温かい眼差しを向ける。
「桜木さん、今はゆっくり休んでね。そしてしっかり自分自身と向き合えば、きっと新しい道を見つけられるから」
「はい……失礼します」
 春菜は力無く一礼して職員室を出ると、その日のうちから春菜がテニス部を辞めたというニュースが校内に広がり、下級生同級生上級生にあれこれ訊かれたこともあったがどれも適当に答えてやり過ごした。
 昼休みになると心配する同じ部のクラスメイトの視線も無視して、弁当と水筒を持って中庭に行く、ベンチで一人何かに怯えながら寂しく座って弁当を開ける一組の女の子に、春菜はいつもの調子で声をかけた。
「ねぇ、一組の風間夏海さんだよね?」
「!? えっと……二組の桜木さん?」
 夏海は怯えた表情で警戒される、当然と言えば当然だ。大丈夫、包み隠さず接していけばきっと心を開いてくれる。
「うん、春菜でいいよ。去年吹奏楽部辞めたんだよね? あたしも今日、テニス部辞めたの」
 春菜はからっとした笑みで隣に座った。

 そこで目が覚めて起き上がる、スマホの時計を見ると三〇分ほど寝てたようだ。
「姉ちゃんいつまで寝てるの? 川に遊びに行くよ!」
 弟に急かされると遊びに行く時間だった、春菜はすぐに理解して微笑み、飛び起きた。
「すぐ行くよ!」
 いつまでも寝てる場合じゃない、せっかく手に入れた自由! この青春は今しかないんだ!
 ピンクのタイサイドビキニにボーイレッグ姿に着替え、上だけTシャツを着ると、父の運転する日産ノートに乗り、菊地渓谷下流にある千畳(せんじょう)河原大場堰(おおばぜき)に向かう。
 駐車場で日産ノートを停めて降りると、うっそうと生い茂った木々に囲まれ、蝉が鳴き、河原には水鳥が飛び回り、菊池川の天然プールに向かう。
 春菜は準備運動をそこそこに、冷たい川に入って泳ぎ回る。
 冷たくて気持ちいい! やっぱり部活辞めてよかった! そういえば夏海は天草の海の近くにいるんだっけ? ちゃんと楽しんでるかな? 
 体が温まった所で吊橋に上がり真ん中まで行くと、手摺りを乗り越える。
 水面までの高さは七メートルくらい、小学生の頃を思い出す、最初は怖かったけどいざ飛び降りると凄く楽しい。
「行っくよぉぉおおっ!」
 川のほとりにいる家族に向かって手を振る。
 下を見ると恐ろしく高く見えるのが懐かしい、小学生の頃に怖くて飛び降りるのが怖かった。だけど、一度飛んでしまえば後はあるがままだ!
 春菜は勢いよく飛び上がり、美しいエメラルドグリーンの川に勢いよく突き刺さるように落ちて水飛沫を上げる、春菜を全身の冷たい水の中に沈むとすぐに浮き上がって水面に顔を出して「ぷはぁ!」と息継ぎして川岸に上がる。
「ああ気持ちいい! もう一回行こう!」
 春菜は何度も飛び降りたり、泳いだり、手に入れた自由を謳歌し、そして実感する。
 お盆休みが終わればみんなと湘南旅行! そして八月三一日の彗星観測! とても楽しみで待ちきれない! そう、これがあたしの青春なんだ!
 熊本県阿蘇郡(あそぐん)南小国(みなみおぐに)

 大分県との県境近くの南小国町。母の実家にある離れの小屋で朝霧光は蝉が鳴き、涼やかな風と共に風鈴が鳴り、渦巻の蚊取り線香の匂いが心地好く鼻をくすぐる離れの小屋で、朝から古びた手記を読み耽っていた。
 この離れの小屋は数年前に亡くなった曾祖母がひっそりと暮らしてた小屋で、大きな母屋の方は農業をしてる祖父母と町役場職員の伯父夫婦や従兄夫婦が暮らしてる。
 手記は昨日物置の掃除を手伝って出てきた物で、筆者は朝霧光雄《あさぎりみつお》。
 光の曾祖父で大正八年八月に生まれ、昭和二〇年八月に帰らぬ人となった。
 光にとって一年で一番特別な八月に生まれ、八月に死んだ。今生きてれば一一〇歳近くになってるだろう。
 遠い昔になって行くが、絶対に忘れてはいけない時代を生きた人。
 曾祖母によれば朝霧光雄は農家の七人兄弟の長男坊として生まれ、唯一の女の子だった五つ年下の妹、光夏(みつか)を甘やかして溺愛する程——今で言うならシスコンと呼んで良い程の優しい兄だったという。
 高等小学校卒業後は農家として汗水を流して働く日々だった。
 ささやかな楽しみが伯父に海軍時代の話しを聞くことと、たまに上空を通過する飛行機を見上げることだったという。
 そんなある日、役場で海軍少年航空兵で後の海軍飛行予科練習生――通称:予科練の募集広告を見て受験を決意すると元海軍の伯父に話して一緒に父を説得して許してもらい、試験は一発合格だった。
 旅立ちの日、甘えん坊でわんわん泣く妹を心配しながら旅立ったという。
 昭和一一年乙種七期生として横須賀航空隊に入隊、同期には後にラバウルの魔王と呼ばれたエースパイロットの西沢広義(にしざわひろよし)がいた。
 予科練生として厳しい訓練の日々を送るある日、源田実《げんだみのる》大尉率いる九〇式艦上戦闘機三機編隊の曲芸飛行――通称:源田サーカスを見上げて志した。
 あの源田サーカスのようにいつか退役したら平和な空を自由に飛びたいと心に決めたのだ。
 予科練卒業後は戦闘機搭乗員となるための訓練を受け、晴れて当時最新鋭の零式艦上戦闘機――通称:零戦の搭乗員となる。
 予科練時代から優等生だったこともあって、第一航空戦隊に配属されて空母加賀(かが)に乗艦。
 加賀での生活は予科練に負けず劣らず非常に厳しく、若手だった光雄は日中戦争帰りの先輩搭乗員達からの凄まじいシゴキに堪えながら、後の日米開戦に備えて「月月火水木金金」に相応しい過酷な訓練の日々を送ったという。
 昭和一六年一一月下旬、光雄の乗った空母加賀は真珠湾に向けて出発。
 一二月六日、真珠湾攻撃の二日前、夕食時の搭乗員室では艦長から整備兵まで多くの関係者が参加した盛大な前祝いが開かれ、一同は作戦成功を祈って乾杯。
 上下関係が厳しい海軍でこの日ばかりは無礼講の宴となり、光雄は日頃の仕返しと言わんばかりに先輩搭乗員や分隊長の志賀淑雄《しがよしお》大尉にビールを正面からぶっかけ、殴られながらも度胸を褒められたのが自慢だという。

 一二月八日の朝、全ての終わりの始まりである真珠湾攻撃、光はそこから食事も摂らずノンストップで読み続けた。

 真珠湾では自分を使える搭乗員になれるよう、厳しくも可愛がってくれた先輩搭乗員が戦死。
 更に見事な魚雷攻撃を決めた直後、対空放火を被弾して光雄が必死で通じない無線電話機で「諦めるな! 頑張れ!」と叫んだが、帰還を諦め、三人の荒くれ者の搭乗員が穏やかな笑みで敬礼して自爆した九六式艦上攻撃機。
 南方作戦を経て母艦の加賀が沈み、改めて戦いの厳しさと悔しさを痛感したミッドウェー海戦。
 敗戦隠蔽のためしばらく鹿児島に軟禁された後、ニューギニア島の片隅にあるラバウルに配属された。
 ポートモレスビーの戦いや櫛の歯が欠けていくように空中戦の名人と呼ばれた熟練搭乗員達が次々と死んで行ったガダルカナル島の戦い。
 この辺りで二一型から二二型を経て五二型に乗り換えたが、光雄としては二一型の方がいいかなと思っていて、それは他の古参搭乗員も同じようなことを言ってたという。
 戦局が悪化した昭和一九年、空母瑞鶴(ずいかく)の艦載機搭乗員として参加したマリアナ沖海戦。
 この頃に後輩から教わった「若鷲の歌」に嵌まり、暇さえあれば口ずさんでいたという。
 激戦で損傷した母艦修理のため、一度内地に帰還して休暇を貰い、里帰りすると幼馴染みで、あづちゃんと呼んでいた曾祖母の杏月《あづき》と結婚、短い結婚生活だったが久し振りに心の底からの安らぎと、自分の守るべきものを実感したという。
 そして同年一〇月二〇日から始まった史上最大の海戦――レイテ沖海戦に参加し、二五日のエンガノ岬沖海戦で母艦の瑞鶴が撃沈、ミッドウェーでの悔しさを二度も味わうことになった。

 光は持参したタブレットPCでその辺りの出来事を照合すると、全身の肌が泡立って戦慄した。以前から水面下で計画が進んでいた作戦のため、敷島隊、朝日隊、大和隊、山桜隊が編成された。
 それは、飛行機に爆弾を抱えたまま搭乗員もろとも敵艦に体当たりする神風《しんぷう》特別攻撃隊――通称:特攻隊が編成され、日本軍が狂気と破滅の扉を開けた日だった。

 レイテ沖海戦から命からがら生還した光雄は治療のため内地に帰還、この時に同期で「ラバウルの魔王」と呼ばれた西沢広義が戦死したことを知った。
 光雄は治療を終えると、上官から特攻に志願するか否かの話しを持ち掛けられる。
 この頃になると当時最新鋭の大型爆撃機B29がマリアナ諸島から飛来しては日本各地の都市を火の海にし、特に昭和二〇年三月一〇日の東京大空襲では一夜で一〇万人以上の命が奪われたという。
 昭和一九年末に治療を終えると逡巡の末に光雄は自分が行かないなら誰が行くんだ、と特攻に志願した。
 しかし、日中戦争どころか真珠湾から生き残ってる搭乗員は殆ど残っておらず、経験豊富な凄腕搭乗員だった光雄は横須賀で日本海軍最後の精鋭部隊――三四三海軍航空隊に配属される。
 そこで真珠湾時代の上官で飛行長となった志賀淑雄少佐と再会し、更に戦闘機搭乗員を志すきっかけとなった源田実大佐とも出会う。
 光雄は零戦五二型から局地戦闘機紫電改に乗り換え、感服した。
 この紫電改なら零戦の後を継げると高揚し、絶対に乗りこなしてみせると腹に決めたという。
 光雄は三四三航空隊はラバウル以来の猛者の巣窟だと感じ、自分より歳も経験も下なのに腕のいい後輩達――特に杉田庄一《すぎたしょういち》や、まだまだ未熟だったが将来有望な笠井智一(かさいともかず)に暴れん坊の海軍士官菅野直(かんのなおし)を頼もしく思ったが、ラバウル時代の先輩である坂井三郎《さかいさぶろう》との仲が険悪で心を痛めていたという。

 三四三航空隊配属後は本土防空のため西日本各地を転戦した。

 昭和二〇年四月六日~六月二二日まで行われた菊水作戦では出撃のたびに自分よりも若い、まだ頬の赤いあどけさを残す一〇代後半の少年達を二度と帰らない空に旅立ち、そして南の海で死んで行くのを見送る日々だったという。
 そして三四三航空隊も次々と熟練搭乗員や凄腕も戦死し、帝国海軍上層部はラバウルの頃から全く変わってないと痛感。
 光雄も日に日に精神を摩耗していき、若鷲達――伸び代のある後輩や特攻に行った少年達が平和な空を飛べたらと思うと、胸が締め付けられるような気持ちだったという。

 手記は八月七日で途切れていた、B29に自爆特攻で亡くなったとは聞いていたがどのようにして死んだのかはわからない。
 読んでる間に撃墜数を数えてみたが、単独で確実なのは二〇機で不確実を入れると一〇〇機近く、手記によると昭和二〇年八月の時点で共同撃墜を入れると四〇機くらいだと書いていた。
 すると祖父が母屋に入ってきた。
「光、晩御飯できたばい」
「うん、片付けたら行くよ」
 光は何冊もの手記を置いてあった場所に戻し、ゴム草履を履いて離れを出て母屋に上がり、祖父母と伯父さん夫婦や従兄夫婦と、両親の大所帯で夕食を食べる。
 テレビを見ると、小さい頃に比べてあまり特集しなくなった太平洋戦争の映像が流れてる。
 両親と伯父・従兄夫婦に祖父母は世間話に花を咲かせ、光は熱心にテレビを見ていた。
 あの戦争を生き抜いた人々はもう殆ど残っておらず、インタビュー映像も以前取材したもののアーカイブ映像だった。
 夕食後、居間で冷たい麦茶を飲みながら祖父に訊いた。
「ねぇお祖父ちゃん」
「うん? なんだい光?」
「……曾お祖父さんって、どんな人だったんだろう?」
 祖父は終戦の年に生まれた人だ。曾祖父の顔は写真でしか覚えていない、だがもしかすると母であった曾祖母から聞いたかもしれないと光は訊いた。
「そうだねぇ、生まれた時にはもういなかったけど……曾お祖母ちゃん、海軍に入るって聞いた時は無理だって思うくらい大人しくて妹思いの優しい人で……だけど凄く逞しい心を持っていて、そんなところが好きになったって話してたよ」
「そうか……曾お祖父さんの手記、昭和二〇年の八月七日で途切れていたんだ。多分その後に亡くなったんだよね?」
「……光、ちょっと一緒に離れに行こうか?」
 祖父は何かを思い出したらしく、重い腰を上げると光も「うん」と頷いて一日を過ごした離れに向かう。母屋を出て星を見上げるとジェネシス彗星は見えるかな? 一瞬立ち止まって見上げる。
 彗星の姿はなかったが綺麗な星空だった。そういえば帝国海軍に彗星という名前の艦上爆撃機があったことを思い出しながら離れに入ると、祖父は古いタンスの引き出しから何枚かの写真と封筒が入ったビニール袋を取り出した。
「これだよ、戦後……宮崎さんだったか本田さんだったかな? 直接家にやってきて届けてくれたんだ」
「ありがとうお祖父ちゃん」
「あんまり遅くならないようにな」
 光は受け取ると、祖父は母屋へと戻った。
 早速中身を取り出すとあどけなさを色濃く残す予科練時代の水兵服姿(※七ツボタンの制服なったのは昭和一七年)の写真、零戦二一型を背景に誇らしげな眼差しで腕を組んだ写真、そして紫電改の前で優しげに、だけど精悍に微笑む曾祖父と何枚かの写真が入ってた。
 手紙の方はおよそ八〇年も経ってることもあって、読み辛かったが祖父の手記で慣れていたおかげで読み取ることができた。

 手紙によると曾祖父は八月八日北九州の空中戦で亡くなったという。
 出撃前の八月六日、本田稔(ほんだみのる)分隊士から聞いた広島の新型爆弾――原子爆弾投下に、誰が見てもわかるほど激しく動揺し、訊くと溺愛していた妹の光夏(みつか)が嫁いで行ったのが広島だったという。
 そして八月八日、新型爆弾一発を使ってきたのだからきっと二発目が来ると、断言して北九州上空の空中戦では取り憑かれたかのようにB29に攻撃を仕掛けたが、直掩のP47Nの銃撃をまともに喰らって火達磨になり、最後の力を振り絞ってB29に自爆特攻したという。
 曾祖父が死んだ翌日、予言通り長崎に原爆が投下され、そして八月一五日に敗戦を迎えた。

 なんとも言えない気持ちだった、光は畳の床に寝転がる。
 平和な空を飛びたい気持ちをちらつかせながらも、戦火に身を焼かれ、散った曾祖父。光はタンスに置いてある写真立てを見つめる、生前曾祖母が宝物と言ってた物だ。
 海軍の制服を身に纏った曾祖父と一緒に写る晴れ姿の曾祖母。
「敵機が弾を撃って来ない空を飛びたい……か」
 光も飛行機が好きだ、戦闘機も好きだし旅客機も好き、もし曾お祖父さんに会えるなら話しを聞いてみたいという気持ちで床に寝転がった。

 どれくらい寝てたんだろう?
 甲高いエンジン音が耳に入って重い瞼を開く、誰かが歌ってる。
 若鷲の歌? 雲一つないまばゆい空の下で上体を起こし、周りを見ると何もない爽やかな風が吹き抜ける草原に転がり、視線の先にはどこまでも続く大海原が広がっていた。
「……あれ? ここって」
 確かお祖父ちゃんの家の離れ小屋にいたはずと思ってると、突き抜けるような声が寝ぼけていた光の意識を覚醒させた。
「お前が俺ん曾孫の光か?」
「? うわぁっ!?」
 光は思わずのけ反る。いつ間に隣であぐらをかいて座ってたんだろう? 隣に座ってたのは飛行服姿に丸刈りの男は物珍しそうに光を見つめる。
「お前こぎゃん髪長うして、丸刈りにしたら絶対男前になるばい!」
「嫌だよ丸刈りなんて、もうそんな――」
 言いかけて言葉が途切れると、曾孫と呼んでたことに気付いた。
「曾孫って、もしかして曾お祖父ちゃん? もしかして光雄お祖父ちゃん⁉」
「ああ、俺に似て美男子ばい! 丸刈りんことは冗談や、もうそぎゃん時代やなかもんな」
 光雄は少し寂しそうな表情と共に遠くから甲高いエンジン音が聞こえてきて、三機編隊の白い零戦二一型が低い高度で真上を通過するとそのまま宙返りを決め、大海原へと飛び去る。
「あれは……零戦?」
「ああ、世界で一番美しか飛行機や……今思えば……もう戦う飛行機じゃなかった」
「光雄お祖父ちゃんは……戦争のない空を飛びたかったの?」
 光は踏み行ったことを訊くと、光雄はどこか悲しげで清々しい笑みを見せる。
「……あん時は言えんかった、いや言うことも許されんかった……ずっとあづちゃんと笑いながら暮らそごたったし、飛行機に乗せてやろごたった」
「光雄お祖父ちゃん……」
 いたたまれない、もし後少し早く戦争が終わってたら生き延びることができたかもしれないし、もしかしたらまた飛行機の操縦桿を握ることができたかもしれない。
 複雑な表情を見せる光に光雄はニッコリ白い歯を見せてバシバシ背中を叩く。
「そぎゃん顔するな! 俺達ん戦いは無駄じゃなかったさ、あづちゃんもそう言うとったぞ!」
「あづちゃんって……曾お祖母ちゃん?」
「ああ、笑うとむぞらしか(かわいい)し気立てんよか美人やし、作る飯も天下一品――中略――脱いだら凄かったい、村ん娘達ん中で一番おっぱい大きゅうて、そりゃあ病弱な赤ん坊が飲めば元気なわんぱく坊主に育つかと思うほどのボインボインばい!」
 光雄は曾祖母のことを話すと止まらなかった。
 しかも夜の生活まで平気で嬉しそうに、巨乳好きなのは曾祖父から受け継いだのか? だけど惚気話し聞くためにここに来たのか? 光雄は嬉しそうに曾祖母のことを話し終えると、さりげなく訊いた。
「なぁ光、お前惚れた女子(おなご)はおるか?」
 表面上は微笑んでるが、その眼差しは無数の死線や試練をくぐり抜けてきた者にできない精悍な眼差しだ。
「うん、いるよ……光雄お祖父ちゃん、好きなった女の子だけど聞いてくれる?」
「おぅ、何か悩みでもあっと? 祖父ちゃんに話してみぃ!」
 光雄の眼差しはとても頼もしかった。光は夏海のことだけじゃなく友達のことや、夏休みのことを時々話しを脱線させながらを曾祖父と曾孫で笑い合いながら他愛ない話した。
「その笹野……いい歳して女子《おなご》ば大事にせん奴なんて、男ん風上にも置けん奴や! 俺達が受けた教えば歪んだ形で受け止むるなんて、やっぱり死ぬるんじゃなかったな……」
 光雄も流石に後悔した様子で光も同意見だった、歪んだ期待や愛情で夏海を傷付けたあの前顧問を許すつもりはない。
「まだ好きって伝えてないけどね」
「よし! 男やったら小細工なしで、大声できしょく(気持ち)ばぶつけろ! 何が何でん守り抜け! 心配するな、祖父ちゃんがついとる! お前は誇り高き帝国海軍軍人ん曾孫や!」
 清々しい程単純なアドバイスだ、だけど光にはこれ以上にないものだと感じて決意を胸にして立ち上がり、言葉にする。
「大声で……か……ありがとう光雄お祖父ちゃん、俺……飛行機の操縦士さんになるよ! そして、光雄お祖父ちゃんの夢を叶えてお祖父ちゃんの分まで平和な空を飛ぶんだ!」
「光……本当か?」
「うん、高校卒業したらパイロット――飛行機の搭乗員を養成してる大学に行って、光雄お祖父ちゃんのように空の男になるよ!」
 決意を聞いた光雄はまるで長く耐え抜いた末にようやく報われ、安堵したかのような表情で立ち上がると、温かい涙を流して抱きしめる。
「ありがとう光、俺ん分まで平和な空ば――いや、精一杯生きてくれ、そして孫ん顔ば拝むまで死になすなや、若か命が失わるるほど悲しかことはなかったい!」
「僕も、光雄お祖父ちゃんに会えてよかった!」
「俺もばい」
 光雄は満たされた笑みで頷く、光は別れの時間が近づいてることを肌で感じた。光雄も同じく感じてるのか、急ぎがちに言う。
「そうや! 友達ん竹岡君、あん子ちょっと聞き捨てならんけん根性叩き直した方がよかよ!」
「でもどうすれば?」
 すると光雄はニッコリ笑顔でどこから出したのか一メートルはある長い棒を見せる。
「こん海軍精神注入棒でケツば叩いて、ひん曲がった根性叩き直してやれ!」
「それは絶対駄目っ!!」
「ははははっははははは!! 冗談ばい冗談! ユーモアば解さざる者に海軍士官ん資格なしだ! はっはっはっはっ!!」
「士官は士官でも光雄お祖父ちゃん、予科練出身の特務士官でしょ!」
 光は最後にツッコミを入れる。光雄は豪快な笑みで万歳三唱する。
「朝霧光、バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ‼」 
 そして光雄お祖父ちゃんの好きな「若鷲の歌」を歌って光を送り出してくれた。

 そこで目が覚めた、部屋の電気は消えていて光の上に掛け布団が敷かれていた。
 時計を見ると朝の六時少し回っていて頬に何かが伝って触れると一滴の雫だった、気付いた瞬間、張り裂けるような胸の痛みに涙が溢れて止まらなかった。
 もっと曾お祖母ちゃん――杏月お祖母ちゃんに光雄お祖父ちゃんのこと訊いておけばよかった。
 もしあの戦争を生き延びることが出来たら、大好きな杏月お祖母ちゃんと戦争とは無縁の人生を一緒に送って、一緒に歳を取って、そして孫の顔を見て、畳の上で安らかに死んでいくことができたのかもしれない、そう思うと涙が止まらなかった。
 小さな洗面台で顔を洗い、離れを出て母屋に戻って台所に入ると、もうすぐ朝の七時だ。母親は光を見るなり呆れた顔になる。
「おはよう光、あんた夕べ杏月お祖母ちゃんの小屋で寝落ちしてたでしょ? 電気点けっ放しだったから夜更かししてると思ったらグーグー寝てて」
「ごめんお母さん……ちょっと曾お祖父ちゃんに会ってきたんだ」
 光の言うことに首を傾げる母親だが、祖父は嬉しそうに微笑みながら訊く。
「そうな? どんなこと話してきた?」
「一緒に笑いながら、いろんなことを話したよ」
 光はそう言うと祖父は嬉しそうに微笑んだ、朝御飯を食べるため台所のテーブルに座ってテレビを点けると、ニュースは今日は終戦の日だと報じる。
 
 今日は八月一五日、日本人が絶対に忘れてはならない日が、今年もやってきた。

 朝御飯を食べた後、光は蝉が鳴く外へ散歩に出かける。昔まだ杏月お祖母ちゃんが足を悪くする前に散歩に行った時に話してくれた、空地の前で立ち尽くす。
 ここで杏月お祖母ちゃんは玉音放送を聞き、日本が負けたこと理解して「私の光雄さんを返して、この子のお父さんを返して!」と泣き叫んだと話していたことを思い出す。
 透は片耳イヤホンをスマホに繋いで耳に挿してYouTubeにアクセスすると「玉音放送」で検索、そして再生させる。
『朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀――』
 うだるような暑さ、容赦なく照り付ける陽射し、そこら一帯で一斉に鳴き続ける蝉、そしてどこまでも広がる綺麗な青い空。
 杏月お祖母ちゃん、終戦の日も空は青かった? 光雄お祖父ちゃん、今年もやってきたよ。
 俺、光雄お祖父ちゃんのこと絶対に忘れないから……必ず夢を叶えて見せるからね。
 その日の夕食後、杖立《つえたて》温泉から帰ってスマホを見るとLINEの通知が来ていて望からだ。
『みんな、お盆休み楽しんでる?』
 光は微笑んで返信する。
『たった今、温泉から帰ってきたところ』
 すると既読数がどんどん増えてみんなトークに参加し始める。
『あたしは菊池川の天然プールで遊んできたよ!』
 春菜がメッセージと共に動画を送ってきた、なんだろうと再生すると吊橋の上に春菜が手を振ってる。
『みんな行くよぉぉっ!』
 威勢良く躊躇うことなく七メートルの高さから飛び降りた、流石桜木さんだ。二階から中庭に飛び降りるくらいだから、これくらいのことは朝飯前だろう。
 更にずぶ濡れになりながら満面の笑みを見せ、川から上がった時の写真も送ってきた。
『私は天草の海で親戚の凪沙ちゃんと遊んだわ』
 夏海からで、写真にはどこまでも広がる海を背景に小麦色の肌にショートカットの女の子と眩しい笑顔で写っていた。すると冬花がメッセージと共に写真を送って来る。
『おおっ! オ~シャンビュー! あたしは田舎でスイカ食べてきたよ!』
 冬花が送ってきたのは長身の黒髪美人さんと一緒にスイカ食べてる写真で、一見なんの変哲のない写真に見えるが春菜が驚きの声を上げる。
『えっ? もしかしてこの人川崎香澄さん!?』
『知ってるの桜木さん?』
 望が訊くと、春菜は興奮気味のスタンプと絵文字を混じえて返信してきた。
『知ってるも何もフランスで活躍してるスーパーモデルよ! 知らない?』
『私は知らない』
 千秋は知らないようだ、もしかすると興味ないのかもしれない、すると夏海がメッセージを送って来る。
『この人、日本よりも海外の方で高く評価されてるだって』
『うん、だから街歩いても目立つだけでパリのファッションモデルだって気付かれないんだって』
 冬花はメッセージを送ると、春菜は催促するスタンプと共にメッセージを送る。
『冬花、友達がファンだって伝えて! そしてサインお願い!』
『ごめん、今日のお昼にケープタウンに行っちゃった。多分今頃乗り換えでシンガポール辺り』
 冬花は謝罪のスタンプと共に返信すると春菜は慟哭する。
『ノォオオオオオオオッ!!』
『次のチャンスを待つことね』
 千秋は溜息のスタンプと共にメッセージを送って来ると、間を置いて写真を送ってきた。
『わぁ千秋ちゃんかっこいい!』
 冬花の言う通り、阿蘇山の草原で馬に跨がる千秋はとても凛々しい表情を見せてる。すると、動画を送って来ると風のように阿蘇の草原を疾走する千秋の姿があった。
 夏海がメッセージと驚きのスタンプを送って来る。
『凄いね千秋ちゃん、でも怖くない?』
『そんなことないわ、馬は素直で可愛い子よ』
 千秋が言うと、春菜は冷やかすようなスタンプと一緒に送る。
『誰かさんと違ってね』
『悪かったわね!』
 千秋は怒りのスタンプと一緒に送って来る。すると、望が熊本城を背景に背の高い爽やかなで清涼感のあるイケメンと一緒の写真を送ってきた。
『望、一緒に写ってる人は?』
 光が訊くと返信が来る。
『横浜の親戚の達成君、実は今一緒にLINEしてる』
『結構イケメンじゃない?』
 夏海が送ると光は思わず彼に嫉妬の念を抱くと、望が彼に代わって返信する。
『だよね! でも達成君そうは思ってないって、自分よりイケてる人はいっぱいいるし、光のこと美少年だって!』
『だってよ光君、何かいい写真撮ってない?』
 冬花が送って来ると、どうしようかと少し悩んだが代わりに古い写真を送る。夕方にコンビニでスキャンし、スマホのデータに入れた何枚かの写真のうち、ラバウルで零戦二一型に乗ってた頃の一枚と、生前最期の一枚になった紫電改と共に写る曾祖父の写真を送る。
 真っ先に望が見抜いた。
『御先祖様の写真? もしかして戦争の時に零戦に乗ってた頃の写真?』
『うん、旧日本海軍で零戦や紫電改とかの戦闘機に乗ってた僕の――』
 そこで光は少し悩む、夢は起きたらすぐに忘れてしまうのに、不思議とハッキリと覚えている。あれはただの夢じゃなかったと思う、お盆休みに会いに来てくれたんだと信じたい。
 だから光は自信を持って書いて送信した。
『――自慢の曾お祖父さんさ! 終戦前に亡くなったけどね』
 するとすぐにみんなから返事が来る、最初に来たのは望だ。
『昔の出来事だけど、忘れちゃいけないって思わせる写真だね』
 次に冬花が送って来る。
『凛々しくてかっこいいけど、優しそうな人だね』
 冬花の言う通りだ。こんな軟弱な曾孫の話に耳を傾け、笑って背中を押してくれたと微笑み、春菜と千秋が送って来る。
『曾お祖父さんに負けてられないよ朝霧君!』
『何がよ春菜、まぁでも曾お祖父ちゃんの分まで胸を張って生きなきゃね』
 千秋の言う通りだ、曾お祖父さんのためにもこの夏休みに奇跡を起こそう、でなきゃ鉄拳制裁か下手すれば精神注入棒で尻をぶっ叩かれるだろう。
『冬花ちゃんの言う通りだね、優しそうな目付きが朝霧君そっくり』
 夏海からの返事に、光は誰もいないのに頬が赤くなって照れ臭い気持ちだった。
 帰ったらすぐに湘南旅行の準備がある、昔から終戦の日を過ぎると夏休みはもう半分過ぎたと思うが、今年は違う。まだまだ楽しみが残っていて、八月三一日が楽しみな夏休みは初めてだった。

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