第三・五章:それぞれのお盆休み
 
 熊本県天草(あまくさ)牛深(うしぶか)茂串(もぐし)海水浴場。

 お盆休みのシーズンに入り、風間夏海は二年振りに熊本の西の果て、天草にある茂串(もぐし)海水浴場に来ていた。
 昨日は朝方家を出て片道三時間かけて天草にある父方の実家に行き、親戚の人たちに挨拶と近況を話して過ごした。
 今日は親戚の子と近くの海水浴場でレジャーシートを敷き、ビーチパラソルを立てると、制服姿の夏海はローファーと靴下を脱いで波打ち際へと歩み寄り、やがて走り出す。
 夏海は今までの鬱憤晴らしと、さっきまでの堅苦しい家の用事から逃れるように海に飛び込んで水飛沫を上げる。
 人魚のように鮮やかに泳ぎ回り、底で仰向けになって陽光射す海面を見上げてゆっくりと手を伸ばす、去年は行けなかったけど、ちゃんと体が覚えていたこと安堵してゆったり流れる時間を過ごしてる。
 息継ぎして海面に出て新鮮な空気を吸うと、また海中に潜る。下着は水着に着替えてるから、透けても問題ない。
 ただ親に何か言われるかもしれないけど、吹部で散々怒鳴られた頃に比べればどうでもいい話しだ。
 昨日は親戚のおじさんおばさん達に部活辞めた理由をしつこく訊かれ、押し付けられた年少の子の達の世話から逃れるためこのビーチに来たのだ。
 自由自在に潜って泳ぐ夏海、外海だから透明度は高くて色鮮やかな魚も泳いでる、五月~六月にはウミガメが産卵にやってくるほどだ。
 一通り泳いで軽やかで涼やかな気持ちで砂浜に上がると、一緒に来た親戚の子がバスタオルを渡す。
「はい夏海、今年ん夏休みはちゃんと楽しめとる?」
 方言で喋ってるのは地元の学校に通ってる親戚の子――磯貝凪沙(いそがいなぎさ)だ。
 競泳水着姿で、毎日泳いでるのか小麦色の肌にショートカット、時折見せる白い八重歯、小柄で鍛えられた四肢は何となく春菜を思わせ、顔立ちも髪を長くした悪戯好きの男の子みたいだ。
「うん、去年はいろいろあったけどね」
 夏海は髪を拭いて、前髪をかきあげてレジャーシートに座りながら大海原を眺める。
 去年辞めた後、心ない誹謗中傷と吹部を辞めたことを親戚の人達に話すのが嫌で田舎には来なかった。そして今年は春菜や千秋の励ましもあって胸を張って行こうと、二年振りに顔を出すことができた。
 凪沙は「あ~あ」とうんざりした様子でシートに仰向けになる。
「親戚んおじさんおばさん達もばい……辞めたけんって、そぎゃんもんじゃ社会でやってけなかってあーだこーだ言うて、最後まで続けんかんって……もうとっくん昔に二〇世紀も平成も終わったばってん、夏海も言われんかった?」
「私は大丈夫、凪沙ちゃんも水泳部辞めちゃったんだよね?」
「うん、あんまま続けとったら泳ぐことが好かんごつなっとったて思うけん辞めて正解やった」
 凪沙の眼差しには忌ま忌ましさが秘められていた。
 泳ぐことが嫌いになる前に辞めたという選択に、夏海はそういう理由もありかなと頷いた。もし自分も早く辞めていたらと思ったが、考えても変わらない。
「私も辞めてよかったわ。吹部辞めて居場所を無くしちゃったけど、私に……手を差し伸べてくれて、みんなで居場所作ろうって言ってくれた人がいるから」
 夏海は仄かな笑みを浮かべると、凪沙は何を見抜いたのか「ジーッ」と見つめて小悪魔みたいにニタニタしながら言い当てる。
「それって、お・と・こ・ん・こやろ?」 
 夏海はドキッとすると、心臓の鼓動が急速に速まってどうして自分でもドキドキしてるかわからなかった。
「ってわかり易っ! 完全に図星やなか!」
「うん……一緒に居場所を作って、夏休みの終わりに一緒に彗星を見上げようって」
 夏海は鞄からスマホを取り出してみんなの集合写真を見せると、凪沙は当てずっぽうで言い当てた。
「ねぇねぇ、もしかしてこん子?」
「ど、どうしてわかったの?」
 夏海は困惑しながら訊くと、凪沙は望と冬花の方に指を差す。
「こっちん方の子って結構イケメンだばってん、隣におる癖っ毛ショートん子と付き合うとるって雰囲気あっと」
「あ……付き合ってるわけじゃないの、如月君と冬花ちゃんは幼馴染み同士なの」
「へぇ、ばってんこん子ん方もよかよ、イケメンっていうより正統派美少年ばい」
 凪沙はニヤニヤしながら肘でコツコツおちょくると、怯えていた自分の手を握ってくれた光の感触が甦り、握った左手を大事に右手で包んで胸に抱いて瞳を閉じる。
「あ、朝霧君は……その優しくて……強くて……お祭りの時に先生から逃げる時も……吹部から逃げる時も……卒業した先輩や前の顧問の先生と向き合った時も、手を握って私を守ってくれたの」
「きゃあああああっ青春ばいっ! 超尊かぁああああ!!」 
 凪沙は両手を胸に抱えて両目を不等号にしながら砂浜を転がりながら悶え、砂塗れになってまるでシュガークッキーみたいだ。凪沙は羨望の眼差しで見つめながら問い詰める。
「ねぇねぇ夏海ってもしかして朝霧君んこと好きなった? 好きなった? 好きなった!?」
「ええっ!? 付き合ってるわけじゃないけど……」
 夏海は視線を逸らして言葉を途切れさせると、凪沙は確信した微笑みで写真を見つめる。
「そん朝霧君、たいぎゃ(すごく)綺麗な目ばしとるわ」
「えっ?」
「多分クラスでは目立つような子やなかし、大人しか感じだけど、たいぎゃ強か意志を秘めとる気がすっと」
 凪沙の言う通りだ。自分と同じく内気な子だけど一人で日記を届けてくれたし、みんなが沈黙した時にも声を上げてくれた、水着を買いに行った時も、お祭りの時も、いつも傍で守ってくれた強い子だ。
 凪沙は瞳を見ただけでどんな人かを見抜く特技を持っている、夏海は思わず居場所を作ろうと言ってくれた男の子のことに、頬を赤らめて頷く。
「うん、そうだよね。朝霧君は」
「夏海、あた今恋しとる乙女ん顔ばい!」
 凪沙はニヤニヤしながら言うと夏海は「ふぇっ!?」って困惑するが、ドキドキする心臓が肯定していて艶やかに微笑む。
「うん、今初めて気付いたかも」
「きゃぁあああああああ!! やばかぁああああ!! 人が恋心ば自覚する瞬間ばこん目で見てしもうたぁあああああっ!! マジ尊かぁああああああ!!」
 凪沙はまた両手を胸に抱えながら両目を不等号にして裏返った声になり、砂浜を転がりながら悶えると、立ち上がって砂まみれのまま夏海の両手を取る。
「夏海! 頑張りなっせ! 朝霧君シャイな子やて思うけん夏海から言うったい!」
「ええっ!? あ、朝霧君の方から言ってきたら?」
「そん時はそん時でよかよ! あたし応援しとるけん、絶対式に呼びなっせ!」
「ええっあのっ……気が早過ぎるよ!」
 夏海があたふた困惑してると、学校の友達なのか男女数人グループの一人が歩み寄って凪沙に声をかけてきた。
「よぉ磯貝! ここで何やっ――そん子誰!? たいぎゃむぞらしか(凄く可愛い)!」
 声をかけてきたのは丸刈りでガタイのいい男の子、ずっと地元育ちなのか方言で喋り、夏海を見るなり目の色を変えて凪沙に訊くと、夏海は「こんにちは」と会釈すると凪沙はウザったそうに言う。
「こん子は熊本ん親戚ん子ばい」
「風間夏海です、熊本の方から来ました」
 夏海は立ち上がって一礼すると、凪沙は面倒臭そうな表情で立つ。
「橋本君こそ今日は部活よかと?」
「うん、みんなで遊びに行こうって」
 どうやら同級生らしい、橋本君と後から来た男の子達もは仄かに赤らめた表情で夏海を見つめ、ヒソヒソ何かを話してる、明らかに一目惚れしたようで凪沙は溜息吐いてハッキリ言った。
「言うとくばってんこん子、彼氏予約済みやけんね!」
「えっ!? いつから!?」
 橋本君達男の子数人は一瞬で青褪めた顔になって訊くと、夏海は申し訳なさそうに苦笑しながら正直に告げる。
「えっとたった今……」
 次の瞬間、男子数人全員が絶望に満ちた表情で慟哭した。
 一緒に来てた女子メンバーはそれぞれ軽蔑、失望、呆れた表情で「男子最低~」と言わんばかりに見つめていたが、その中のビーチボールを持った子が歩み寄って来て無邪気な眼差しを向ける。
「ねぇねぇ君、熊本ん子だって? うちらと一緒に遊ぼっ!」
「……うん! 遊ぼう!」
 夏海は一瞬困惑したが、すぐに無邪気な笑みで頷いた。そして日が暮れるまで凪沙の同級生達と一緒に海を遊び倒した。