街の光のせいでほとんど星の見えない夜空を見上げて、もう一度深いため息を吐く。
 手元の缶ビールの残り半分を飲み干してから、憂鬱な気持ちで部屋に引き上げようとした、そのとき。

「アキ────……」

 不意に誰かに名前を呼ばれたような気がした。
 
 つい足を止めてしまったけれど、ここは私の一人暮らしの部屋で、ほかの誰かがいるはずもない。

 疲れて幻聴が聞こえてきているのかもしれない。自嘲の笑みを浮かべてゆっくりと頭を振ると、「アキ」と。

 誰かが私の名前を呼ぶ声が、今度はさっきよりもずっとはっきりと聞こえた。

「アキは今日何してたの?」

 ベランダで立ち竦んでいると、また声がする。
 低くて柔らかな、耳心地のいい男性の声。それが、オーケストラの低音楽器が鳴るようにぼわんと響いて、私の鼓膜を震わせた。
 
「そうなんだ。楽しかった? 俺はね────……」

 楽しげな笑い声に混じって響いてくる重低音。それは、衝立を挟んだ隣のベランダのほうから聞こえてくる。
 どうやら、まだ一度も顔を合わせたことのない、名前すら知らない隣人が、誰かと電話をしているらしい。
 何度か聞こえてきた「アキ」というのは、きっと隣人の電話の相手。彼の彼女の名前だろうか。