「だけど夏瑚ちゃんは、なにも背負わなくていいんだよ」
「え?」
「ときには逃げたってかまわない」

 後部座席のわたしは、バックミラーに映るおじさんの顔をぼんやりと見た。

「まだ十五歳の夏瑚ちゃんや碧人が、亡くなったみんなの想いまで背負うのは、重すぎるでしょ? おじさんは夏瑚ちゃんや碧人に、そんな重荷は背負わせたくない」

 となりに座っている碧人を見る。碧人はなにも言わずに、窓の外の灯りを見ている。

「こんなこと言ったら不謹慎だろうけど、おじさんは碧人と夏瑚ちゃんが生きていてくれて、ほんとうにうれしかった。だからこれからも、生きていてくれたら、それだけでいい」

 胸がじんっと熱くなる。
 おじさんに、そんなふうに言われるとは思わなかった。

「誰かのためになんか、生きなくてもいいんだよ。自分のできることを、ゆっくりやっていきなさい。夏瑚ちゃんの人生は夏瑚ちゃんのもの。碧人の人生は碧人のものだよ」

 おじさんは前を見たまま笑う。

「まぁうちの碧人に、亡くなったみんなの分まで立派に生きろって言ったって、できるわけないからね。ただ後悔しないように生きろとは、いつも言ってるんだ」

 おじさんの明るい声が車内に響く。

「ま、夏瑚ちゃんが嫌じゃなかったら、また遊びに来てよ」
「はい」

 わたしは答えた。そしてとなりにいる碧人の手を、そっと握る。
 碧人の指が、びくっと動いた。わたしはそれを包み込むように、握りしめる。

 ごめんね、美冬。ごめんね。
 いまだけ、こうさせて。
 そしたら明日、今日より少しだけ、がんばれそうな気がするから。

 ゆっくりと走る車のなかで、碧人の手がわたしの手を握り返した。
 フロントガラスにはもう、わたしの住むマンションが見えていた。