「そ、それよりさ、せっかくここまで来たんだから、ちょっと走ってみたら?」

 わたしは笑って、トラックに向かって歩きだす。けれど碧人が、わたしに叫んだ。

「逃げるなよ! 夏瑚!」

 背中がびくんっと震える。

「おれももう逃げないから。だからちゃんと聞いて、おれの話」

 わたしはぎゅっと唇を噛んだ。そんなわたしの背中に、碧人の声が響く。

「なぁ、夏瑚。おれたちは幸せになったらいけないのか? 好きなひとに気持ちを伝えたらいけないのか? 誰かとつきあったらいけないのか?」

 目の奥がじんっと熱くなる。あふれてしまいそうなものを、必死にこらえる。

「そんなことないよな? おれたちだって、幸せになっていいんだよな? 楽しかったら笑って、おいしいもの食って、好きなことを好きなだけしていいんだよな?」

 わたしはうつむいた。足元の、びしょ濡れのスニーカーが見える。

「夏瑚」

 碧人がわたしを呼んだ。

「こっち向いて。ちゃんとおれのこと見て」

 わたしは静かに顔を上げ、ゆっくりと振り返る。碧人はまっすぐわたしを見ていた。

 雲の隙間から夕陽が顔を出し、碧人の顔をオレンジ色に染める。
 中学校のグラウンドで向き合った、あの日のように。