「手紙による呪いの力は古来より、
 他の人に渡すことで薄れて弱まるのよ。
 くふふ…。」

「呪いってなんだよ。」

「呪い…?」

「八種も真に受けるなよ。
 こういうのは昔からあんだよ。」

「昔から?」

「それこそ〈人類崩壊〉以前からな。」

紙袋いっぱいの手紙を目の前にして、
途方に暮れるイサムの顔を亜光は覗き見た。

亜光がここぞとばかりにメガネを押し上げ、
イサムを相手に教鞭をとる。

――不幸の手紙とは。

『この不幸の手紙を複数人に送ってください。』

と書いて、届いた不幸の手紙は内容を複写して、
ふたり以上に送って呪いを分散させんのが原則だ。

子供だましのよくあるイタズラのひとつ。
それが不幸の手紙と呼ばれるもんだ。

分散させた手紙は倍倍に増える。
ネズミ算式って呼ばれるやつな。

すぐに学年全体に行き渡らせて、
やがて別学年、別学校にまで伝播する。
送り続ければ、って前提ではあるがな。

呪いが相手に心理的な強制力を与えるんだ。

細かなルールがある。
送り主や親族に手紙を返してはいけないとか、
そういうルールを守らなければ呪われる。
ただしルールは厳密でもない。

懇切丁寧(こんせつていねい)に差出人名を書けば、
相手から多大に恨みを買う。

他にも、手紙を分散させない相手に、
送り主が催促(さいそく)する必要もない。

不幸や呪いと欺いて、受取人の不安を(あお)り、
良心に付け込む卑劣な手法だ。

今でも〈個人端末(フリップ)〉を使った
メッセなんかが存在するが、
もちろんこれらは相手にするだけ
時間の無駄だな。

――以上。

亜光はさらに付け加えた。

「〈更生局〉がこの脅迫めいた手紙を
 わざわざ規制もしない。
 金銭目的や相手の自由を奪うもんでもない。
 実際、子供騙しに過ぎないのは、
 誰の目にも明らかだ。」

イサムは亜光の講義を毎度熱心に聞く。

しかし当事者が知りたかったのは
不幸の手紙の歴史ではなく、
目の前の問題に対する処理の方法だったので
さらに表情は険しくなる。

貴桜とマオは講義そっちのけで、
机にみっしりと封筒を並べた。

封筒はどれも色や形が異なり筆跡も様々だ。

ピンクや青など透明なプラスチックビーズを
貼り付けて飾られた封筒とは思えない物もあり、
匿名の封筒の割に存在感をアピールしている。

「見事に全部違うな。」

「こんな大量に…。
 業者にでも頼んだのかしら?」

「失礼ね! それはちゃんと直筆よ。」

「ソーニャん、それ自滅…。」

マオが手にとったショッキングピンクの封筒。

舫杭(もやくい)の発言はマオが手にした封筒が、
自ら書いた物と告白したも同然だ。

顔を真っ青にした舫杭(もやくい)は頬を両手で抑え、
自分の発した言葉の意味を徐々に理解した。

「ご、ごめん! あたしたちのせいだって
 バラしちゃったゆかりん。」

「どんまいソーニャん。
 でもいまので私も共犯だって
 バラして道連れにしたけどね。くふふ…。」

ザクロの両腕にしがみついて
自責の念に(さいな)まれている舫杭(もやくい)に向けて
彼女は平然と親指を立てた。

「んだよ呪いって。
 バカバカしい結末だったな。」

「これそのまま送り主に返却すれば
 いいんじゃないか。目の前にいることだし。」

「そんなのダメよ! せっかく書いたのに。」

「一方的な手紙だけどねぇ。」

亜光の提案に舫杭(もやくい)は拒絶するが、
後ろのザクロは至って冷静だった。

「ごめんなさい。
 手紙の返信はできません。」

イサムは深々と頭を下げ、
机に広げた手紙をまとめると紙袋に入れた。

袋を舫杭(もやくい)に手渡すと、
真っ青だった彼女の顔はみるみるうちに紅潮する。

イサムの手を握ったまま離さず硬直したので、
ザクロが舫杭(もやくい)の固まった手を(ほど)いた。

「『有事協定』を抜けられる
 いいアイディアだと思ったのにぃ…。」

舫杭(もやくい)は涙を(こら)える。

「今度は魔術とかどうかな、ソーニャん。
 私、魔法陣描くから。」

「ありがと、ゆかりん。
 それなにか知らないけど。
 あたし、諦めないね!」

「まったくこりてないぞ、こいつら。」

「人形に八種の顔写真を貼りつけて、
 釘で打ち付けるのもいいらしいぞ。」

「亜光なに焚き付けてんだよ!」

「手芸部でユージくん人形を作ったら
 売れると思ったんだが。陰毛付きで。」

「作るな! 売るな! 陰毛植えるな!」

舫杭(もやくい)とザクロが友情を深め合う場面に、
混じった亜光を貴桜は怒鳴りつけた。

「八種くんはどうなの?
 『有事協定』。」

マオの言葉に教室中の視線が集まる。

急に嫌な汗が背中に湧いて、視界が(にご)(せば)まった。
まぶたを強く閉じて、深く息を吐いて決心する。

「僕の知らないところで、
 『有事協定』を決められて困ってました。
 同じクラスメイトなので、これからは
 普通に話しかけてください。」

恐る恐る目を開くとマオの顔が横目に見える。

イサムの言葉に、
教室内の淀んだ空気が一瞬で吹き飛ぶ。

その衝撃は廊下にまで走り、
学校全体に轟くには時間を要さなかった。

渦中(かちゅう)の存在であったイサム本人は、
意図してはいないもののその澄んだ声が
『有事協定』によって束縛された
クラスの女子たちを解放した。

「それって『有事協定』破棄ってこと?」

「よかったねぇ。」

舫杭(もやくい)とザクロに続いて、
クラスの女子たちもイサムの提案にざわつく。

手提げ袋の中の手紙を室内にばら撒く女子たち。
その光景をマオは怪訝(けげん)な顔で見つめる。

「ひょっとして…。」

ぼそぼそと喋るマオの言葉にイサムは耳を傾ける。

「送り主はクラスの女子全員じゃない?」

「いや、まさか?」

彼女の推察は想像しないものだった。

手紙の内容を読み上げられた
舫杭(もやくい)とザクロのふたりが実行犯と思っていた。

机に並べた手紙は全部で29通。

マオと男子3人を除けば、手紙の枚数は
クラスの女子の人数と一致する。

しかし不幸の手紙とは違い、
複数人に送り返すものではなかった。

29通が今日の朝には、
下駄箱に収められていた。

舫杭(もやくい)とザクロのふたりだけ
とは思えない封筒の量や、
統一された『宣誓書』の存在。

女子たち全員の喜びを見るに、
マオの推察は当てはまる。

「俺からの動物園土産は?」

「んなもん、どこでも買えんじゃねえか。」

「あ…。しまった…。」

「そっちは後悔するのね。」

「え…?」

瓶詰めの肉みそが入った手提げ袋を
恨めしそうに眺めるイサムだったが、
マオの言葉に心当たりを探した。

貴重な食料とわずかな残高が
イサムの脳裏をかすめたが、
今更袋だけ返して欲しいとは言い出せなかった。

3年生が取り決めたイサムへの『有事協定』は、
本人たっての希望によって破棄された。

けれどもイサム自ら女子に話しかける
勇気はまだなかった。
それは他の女子たちも同じままであった。

だがマオの懸念は別のところにあった。

亜光の説明通り、不幸の手紙と呼ばれる
児戯(じぎ)を相手にする必要はない。
騒動が風化するのを待てばいいに過ぎない。

それにも関わらずイサムは
周囲の求めに応じる形で、
『有事協定』を破棄した。

彼は愚かな選択をした。