「最後までよくやり遂げました。でも今度は無理をしないで、早めに病院へ行きなさい」

 指先から足の先まで震え上がって、はいと答えるだけで精一杯だった。
 時間を作って、母がゆめみ祭へ来てくれた。僕の演奏は届いていた。胸の中を巡る感情の言霊が一気に押し寄せて、狭い(のど)を通れない。

「ただ褒められたくてやっているだけだと思っていたけど、本当にピアノが好きなのね」
「……ピアノ関係の仕事に就きたい。趣味を特技として生かしたいんだ」

 今まで胸の奥底に隠して心を騙し続けて来た将来について、母に自分の意思を伝えたのは初めてだった。
 驚き、そして呆れのような目をして、母はそうと呟いて。

「同じことをお父さんに話せる? 歯科を継いでくれると信じているお父さんに、そんな(こく)なことを言えるのですか?」

 穏やかな声が待合室に響く。

「……話そうと思ってる」
「もう一度よく考えてから、お父さんとお話しなさい」

 素っ気なく聞こえる母の言葉は、正しいのだと思う。
 このまま歯科医師になった方が、世間体にも将来的にも良いことは分かっているから。

『何かを諦めたようだった。あなたにとって幸せな未来なのか……表情を見てたら分かるわ』

 それでも僕は初めて、夢を見てみたいと思った。やれるだけのことは、やってみたい。
 小指の(うず)く痛みは、忠告あるいは激励(げきれい)するかのように、決意に満ちた僕の表情を(ゆが)めさせた。