「不快にさせるようなことをしたのなら……」

 ごめんと続くはずの声は、出せなかった。
 柔らかな感触が、僕の唇を(ふさ)いだから。何が起こっているのか、理解するのに数秒かかった。

 真横の空で、ドンッと大きな音がした。そっと離れた彼女の顔は、暗闇に隠れてよく見えない。
 再び空が明るくなって、花が咲くように鮮やかな色が浮かび上がる。後夜祭のメインである打ち上げ花火が始まったのだ。

「えっと、あのさ、今のって……」
「ごめんなさい。忘れてくれていいから」

 逃げるように去って行く彼女の頬には、光の筋が流れていた。
 花火が上っては儚く消えていく。小さくなる足音を、追いかけなかった。
 綺原さんとキスをしたのだと、今になって実感が湧いてくる唇の余韻(よいん)。花火の音にこだまするように、心臓が跳ね上がっている。

「……ごめん」

 苗木と蓬の顔が脳裏に浮かんで、後ろめたい気持ちが押し寄せてきた。
 どうして、綺原さんを突っぱねることが出来なかったのか。体をめぐる幾つもの息がこぼれる。

 ──話したいことがあるの。またここで、待ち合わせない?

 すっかり頭から抜けていた約束。守れそうにない。今から向かえば、まだ間に合うかもしれないという期待と、彼女に会いたくない背徳感に押しつぶされそうだ。
 鳴り止まない心臓は、空に響く火の玉音だけのせいなのだろうか。
 ずるりと座り込んだ僕の頭上には、哀しいほどに美しい大輪の雫が輝いていた。