「直江くん。今日、ゆめみ祭が終わったら……後夜祭が始まる前に、ちょっと時間ある?」

 言いながら、なびく髪を耳にかける。少し傾いた顔の角度が、覗き込まれているように見えて、心臓が震えた。

「話したいことがあるの。またここで、待ち合わせない?」
「……はい」

 これは夢だろうか。いなくなったはずの蓬が、目の前にいる。
 地面についた手が近い。動けば互いに触れそうな距離だ。この見つめ合う時間に、どんな意味が含まれているのか。

「あれー? 菫ちゃんと生徒会長じゃん! こんな日の当たらんところで何してるのー?」
「ほんとだー! 何なに、もしかして……?」

 二年と思われる女子グループがひょっこりと現れた。校内でも派手目な格好をした目立つ系統の生徒たちだ。
 冷やかすような口調で近付きながら、あっという間に囲まれた。

 とっさに手を引っ込めたけど、日南先生は冷静だった。まるでクーラーの下に涼みに来たような顔をして、「ピアノ演奏の再確認してただけよ」と笑う。
 確かに僕たちの間には、人に(とが)められるようなことは何もない。気負いしなければならない感情も、彼女にはないのだろう。胸の中には、行き場のない淡い気持ちが残る。

 女子グループが嵐のように()けたのを見計らい、僕は無言で立ち上がった。
「もう行くの?」と顔を上げる彼女に対して、「はい」とだけ答えて。

「ピアノ、頑張ってね」

 教師の笑顔を向ける日南菫に頭を下げて、足早にその場を去った。
 日の当たらない場所から足を踏み出すと、そこは太陽に照らされた明るい空の下だった。