消えたい僕は、今日も彼女と夢をみる

 小さく開いた口は固まったまま、何も言い返せない。母もそれ以上は口を(つぐ)んで、父がリビングを出て行く姿を見送った。

 昔から、僕たちは父の言うことには逆らえなかった。自分の考えが全て正しくて、真逆のことをしようとすると訂正される。僕にとって大切なものでも、父にとってはガラクタに過ぎない。

「ピアノのこと、止めてあげられなくてごめんなさい。ずっと頑張って来たこと、お父さんも分かっているはずよ。でも、今は四乃歯科大に合格することが最優先なの。小学生の時から、ずっと目標にして来たことでしょ? だから分かって」
「……知ってる」

 肩に優しく置かれた手は、肉をえぐり骨を(くだ)くほどに強く縛り付けた。

 翌朝、知らない中年男性と若い男が二人で家を訪れた。
 父の言っていた通り、知り合いはグランドピアノを運び去り、何もなくなったピアノルームの床には、(むな)しく楽譜だけが残されていた。