消えたい僕は、今日も彼女と夢をみる

「怖っ、警察……」
「ああ、つい、ごめん! もちろん誘拐なんてしないよ? 私、結芽岬高の日南菫って言うの! ここでいいから、少し話がしたくて」

 慌てて手を離すと、少年は何かを考えるように唇を尖らせて。

「このあと塾があるから、手短にお願いします」
「ありがとう。暑いから、木陰に入らない?」

 木の椅子へ座るように促すと、少年は素直に腰を下ろした。大人びて見えるけど、中身は良い意味で小学生だ。

「せっかくの夏休みなのに大変だね。教科書見てたから、塾帰りだと思ってた」
「これはピアノ教室です」

 見せられたトートバッグの内側には、音符とピアノ教室の名前が書かれている。
 思い出した。曲なんてほとんど弾いたことがないのに、隣に座って彼とピアノの演奏をしていたこと。彼の奏でる音色は星屑のようにキラキラしているのに、いつもどこか寂しげだったこと。

「男がピアノ習ってるなんて恥ずかしいから、いつもこうして歩いてるんだ」

 再び戻された音符の柄は、少年の腕の中に隠れた。

「かっこいいと思うけどな。男の子がピアノ弾いてる姿って」
「ピアノ習ってる男子って弱そう、女っぽい、根暗そう。世間的には、まだそういうイメージの方が強いんです」
「ふーん。でも、クラッシックの偉人だって男の人が多いじゃない。ベートーベンとかショパンとか」
「そこと一緒にされても……」

 ため息を吐く少年は、夢で会っていた高校生の梵くんとは少し違った印象を受けた。

「じゃあ、辞めちゃえばいいのに。サッカーやバスケとかの方が女子からモテるでしょ?」
「簡単に言うなよ! ピアノは、僕にとって大事なものなんだ」

 キッと目を吊り上げて歯向かう姿が、いつか夢で見た彼と重なる。真剣な表情はこの頃から変わらなくて、改めて幻想ではなかったのだと教えてもらった。