「日南……先生?」

 ピシッとガラスにヒビが入る音がした。
 それは僕の心なのか、この世界に鳴り響いたものなのか。

「君のほんとうの名前は、ヒナミ……スミレ」

 パラパラと奇妙な音を立てて、美しい空が崩れていく。いつもの滲みゆく景色とは違う。
 まるで、地球が()がれ落ちていくような感覚。

「夢の世界が……消えていく……」

 少しずつ壊れゆく世界を、僕たちは黙って眺めていた。
 心の奥底では、ずっと前から知っていたように思う。彼女が何者なのか、わざと見えないふりをしていたのかもしれない。いつかこの日が来てしまうことを、恐れていたから。

 それでも心のどこかに余裕があって、また会える予感がしていた。
 僕の知らない時から、彼女は見つけてくれていたのか。

 屋上の端部(たんぶ)にある低い壁に、僕は足を乗せた。断崖(だんがい)に立っているかのように、底の見えない闇が全てを吸い込んでいく。
 続いて隣に並んだ彼女の手に優しく触れる。互いの指先が探るように絡んでいって、そして、しっかりと手を結び合った。

「一緒に、空を飛ぼうか」

 僕の言葉が引き金を引いて、二人の体がふわり浮くと世界は逆さまになった。
 こんな光景を見たことがある気がする。

「私たち、また会えるよね?」
「必ず、会えるよ。いつか、また」
「梵くんのこと、忘れないから」

 落ちて行く景色の中、聞こえていた時計の秒針が大きくなって、僕の意識は一瞬にしてショートした。