美術室の前を通り過ぎた時、誰かのすすり泣く音が聞こえた。嗚咽を交えたような声に、自然と足が一歩後退する。
少し開いたドアの向こう側には、顔を覆う蓬の姿があった。その向かい合わせに座っているのは、後ろ姿でも目を塞ぎたくなるほど分かる皆川だ。
見たくないはずなのに、息を潜めてその場にとどまる。なんて矛盾した体なのか。
「せっかく頑張って準備して来たのに、いきなり中止だなんてひどいよ。みんなに何て言ったらいいの?」
「仕方ないだろう。色付けが始まったら、露出が高くて想像と違ったと苦情が出たんだ。人魚に服を着せるならともかく、あの壁画は諦めるしかない」
「……でも」
体育館階段の壁画について揉めているようだ。そういえば、結芽高の美術部卒業生が描いたと、日南先生が言ったのを思い出した。
「あの絵には、ありのままの自分を認めて欲しいって想いが込められてるの。人魚には、人魚の時にしか分からない心がある。それを十代の高校生に重ねてるの。大人にも理解して欲しい」
「それは分かるけど。一部の批判だからと言って、学校は受け流すことは出来ないんだ。高校生なら、それも分かるだろう?」
「……みんなで、頑張って来たのに」
泣き崩れた頬に、皆川の骨張った指が触れる。涙を拭いながら二人は唇を重ねていた。
吐き気がした。指輪をした指で彼女に触れている皆川も、恥じらいながら頬を染めて受け入れる蓬も。
その光景から目が離せなくて胸が焼けるように見ている自分自身も、全てに。
皆川が出て行ったあとでも、蓬はひとり美術室に残っていた。
あの泣き腫らした赤い目に加えて、教師と不純なキスをしたあとでは、教室へ戻り辛いだろう。
ポタ、ポタ。止まっていた雫が、彼女の瞳から湧き水のようにあふれてはこぼれ落ちていく。
急にどうしたんだ? もしかして、壁画の話を思い出して泣いているのか。
駆け寄りたい衝動を押し殺して、その横顔に見入っていると。
「……もう、優しくしないでよ」
蝶の羽音のような声が、彼女から聞こえた。伏し目がちに唇を震わせる姿は儚く切なげで、それでいて異常なほど綺麗に思えて、脳裏に焼き付いて離れない。
僕の中に眠っていた何かが、弾け飛んだ。
少し開いたドアの向こう側には、顔を覆う蓬の姿があった。その向かい合わせに座っているのは、後ろ姿でも目を塞ぎたくなるほど分かる皆川だ。
見たくないはずなのに、息を潜めてその場にとどまる。なんて矛盾した体なのか。
「せっかく頑張って準備して来たのに、いきなり中止だなんてひどいよ。みんなに何て言ったらいいの?」
「仕方ないだろう。色付けが始まったら、露出が高くて想像と違ったと苦情が出たんだ。人魚に服を着せるならともかく、あの壁画は諦めるしかない」
「……でも」
体育館階段の壁画について揉めているようだ。そういえば、結芽高の美術部卒業生が描いたと、日南先生が言ったのを思い出した。
「あの絵には、ありのままの自分を認めて欲しいって想いが込められてるの。人魚には、人魚の時にしか分からない心がある。それを十代の高校生に重ねてるの。大人にも理解して欲しい」
「それは分かるけど。一部の批判だからと言って、学校は受け流すことは出来ないんだ。高校生なら、それも分かるだろう?」
「……みんなで、頑張って来たのに」
泣き崩れた頬に、皆川の骨張った指が触れる。涙を拭いながら二人は唇を重ねていた。
吐き気がした。指輪をした指で彼女に触れている皆川も、恥じらいながら頬を染めて受け入れる蓬も。
その光景から目が離せなくて胸が焼けるように見ている自分自身も、全てに。
皆川が出て行ったあとでも、蓬はひとり美術室に残っていた。
あの泣き腫らした赤い目に加えて、教師と不純なキスをしたあとでは、教室へ戻り辛いだろう。
ポタ、ポタ。止まっていた雫が、彼女の瞳から湧き水のようにあふれてはこぼれ落ちていく。
急にどうしたんだ? もしかして、壁画の話を思い出して泣いているのか。
駆け寄りたい衝動を押し殺して、その横顔に見入っていると。
「……もう、優しくしないでよ」
蝶の羽音のような声が、彼女から聞こえた。伏し目がちに唇を震わせる姿は儚く切なげで、それでいて異常なほど綺麗に思えて、脳裏に焼き付いて離れない。
僕の中に眠っていた何かが、弾け飛んだ。



