「あら、期待してた人物と違って悪かったわね。夢の彼女か、もしくは教師の誰かさんかと思った?」

 綺原さんは、僕の心を見透かすようなふふっという笑みを浮かべる。上から見ているというより、何か優越を感じている時に彼女がよくする仕草だ。

「そんなんじゃないよ。ただ、最近夢を見なくなったんだ。これって、どういう意味だと思う?」
「さあ、何か意味があるかもしれないし、最初から何の意味も無いのかもしれない。でも、あなたは寂しくて仕方ないのね。夢の彼女に会えなくて」

 胸を切り開かれて、心の内を覗かれているのではないか。それとも全てが顔に出ているのか、綺原さんは超能力者みたいに僕の感情を当ててみせる。

「その人……よくないことをしてるんだ。止めた方が、いいかな」

 唇を重ね合う映像が脳裏をかすめる。ぐっとこぶしを握りながら、冷静さを保とうとしていると。

「……梵くんが、止めたいんじゃなくって?」

 すました声は、いつもの綺原さんらしいのだけど、少し苛立ちが混じっているように感じた。

「……どういう意味?」
「気に入らないって顔してるもの。そのよくないこと、やめさせたいのは梵くんでしょう?」

 図星をつかれて、カッと頭に血の気が上る。
 まるで蓬が好きだから、別れさせたいみたいじゃないか。

「夢に関わらない方が身のためだと思うけど。もしも、本当に現実(ここ)と繋がっているのだとしたら、戻ったときに良くない今になっている可能性だってあるのよ」

 別次元にいる自分に記憶だけが入り込んでいるとして、僕らにとっては、今の過去が現実になっている。
 夢での出来事も現実だと言うなら、いつか境界が分からなくなって、意識はここへ戻れなくなるかもしれない。目が覚めたとき、現実が悪い方向へ変わっていることもあり得る。綺原さんは、そう言いたいのだろう。

「綺原さんは、まだ見てるの? その、未来の夢」
「ええ、相変わらず夜が待ち遠しくってね」

 皮肉が込められた言葉は、つぶやきのように空へと消えて行く。
 不思議な夢、日南先生や綺原さんとの関係性、そしてピアノの強制没収。どれも経験しなかった過去が、現在の過去には起こっている。
 それは紛れもない事実で、きっと、この先に(ひか)えている未来も僕の知らない世界のはずだ。