蓬は閉じていた瞼を薄っすらと開き、とろんとした視線を皆川へ向ける。

「先生、やっぱりダメだよ。誰か来たらどうするの?」
「屋上なんて誰も来ないさ」

 皆川は再び顔を近付ける。彼らには僕の姿が見えていないのだろう。
 動け、動け、早く動け!
 呪文を唱えるみたいに、心の中で何度も繰り返す。
 もう見たくない。見ていたくない。
 呪いが解けたのか、右足が一歩後ろへ動いた。もう一歩下りながら、大きく口を開ける。

「よもぎ──っ!」

 水彩絵の具が(にじ)みゆく景色の中、夢中で彼女の名を呼んだ。必死に、ただひたすらに。

 個室に響き渡る自分の叫び声で目が覚めた。呼吸は荒くなって、心臓は落ち着きを忘れた音をしている。嫌な夢だった。

 目の先にある白い天井を眺めながら、数回深く瞬きをする。
 薄いオレンジのロールカーテンが、朦朧(もうろう)としていた意識をはっきりさせていく。
 保健室で寝ているということは、倒れたのか。それとも、また時間が巻き戻されたのか?
 掛けられている布は(なまり)、起こす上半身は(よろい)のように重い。

「大丈夫? 何か、うなされてたみたいだけど」

 ベッドの(わき)で声がした。鼓膜にこびり付いて、不快なほど離れてくれない声。心配そうに見つめているのは蓬だった。

「……誰のせいだと思ってんの」

 ぽつりと、小さな氷のように放つ言葉は、誰に向けたものでもなかった。

「梵くん、顔色良くないよ。もっと寝てた方が……」

 額へ伸ばされた細い指を、パッと払う。

(けが)らわしい手で触るなよ」