「まあ、細かいことは気にすんなよ」

 笑いながら、苗木が僕の机にパンをひとつ置いた。校内で一番人気のクリームパンだ。
 高校に入学した頃を思い出した。新入生の挨拶をした僕は優等生と見られて、不良と呼ばれる上級生から目を付けられた。勉強ばかりしている頭の固い奴だと。

 校舎裏に呼び出されて、「金をよこせ」と(たか)られた。家が歯科医院であると知られていたため、金を持っていると思われたのだろう。
 でも、僕の財布に入っていたのは三千円だった。

「おい、お前しけてんな。ほんとに歯医者の息子かよ」
「諭吉さま、別のとこに隠してんじゃねぇの?」
「探してみるか?」

 上級生たちは、ブレザーを触り始めた。
 自分よりがたいの大きな人間を相手にしていても、それほど怖くはなかった。死ぬほど殴ってもらえたら、入院出来るくらいに考えていた。

「僕、そのお金渡すなんて言ってませんけど……」
「お前、なに調子乗ってんの? 大人しく言うこと聞け……」

 手を振りかざされた時、偶然通りかかったのが同じクラスの苗木大祐(たいすけ)だった。

「何してんだ? お前、直江じゃん。直江、直江……えっと」
「……梵だよ」
「そうそう、直江梵! 誰か探してたなぁ。ああ、生徒指導! もうすぐここに来るぞ」

 その声を聞いた彼らは慌てて逃げて行った。
 どうして助けてくれたのか訪ねると、苗木はいつもながらの笑みを浮かべて。

「ここは俺の憩いの場だ。せっかくのクリームパンが不味くなる」
「ごめん」
「直江って、いつもそうやってとりあえず謝ってんの? お前悪くないのに、謝る必要ねぇよ」

 クリームパンを半分に分けて、僕へ差し出すと。

「これ上手いから食ってみ。嫌なこと飛ばされて、元気出るぞ」

 思わず吹き出してしまった。苗木は何が面白いのだと戸惑っていたけど、純粋に嬉しかったんだ。成績や役割りでしか認めてもらえない僕を、名前も知らないただのクラスメイトとして助けてくれたことが。

「……うまい。すごく」
「だろ?」

 今まで食べた昼食の中で一番と言えるほどに、そのクリームパンは美味しかったことを覚えている。