夏休み明け、産休に入った美術教師の代わりに、彼の命を奪った日南菫が赴任して来た。
 はっきりとした顔立ちで長い髪をさらりとなびかせる彼女は、まだ二十四、五あたりで容姿も綺麗だった。
 明るく気さくで、生徒たちからは〝菫ちゃん〟と(した)われ、とても模範的な教師に見える。

 私は怖かった。また彼が、日南菫に奪われてしまうのではないかと思って。それは命と言うよりかは、心の方だったのかもしれない。

 三年に進級して、日南菫がクラスの担任となった。相変わらず彼のことを気にかけて、姿を追っている。
 二人がどんな関係になるのか知りたくて、どちらかと言えば苦手な美術の授業を選択した。
 この頃から、夜の寝苦しさが強くなっていた。

 美しく輪を描く水面(みなも)。透明感のある水の中に鮮やかな花が咲いていて、その前で誰かと手を繋ぎ合っている。
 でも、そこに温もりは感じられなくて、私の中に湧き上がる感情もない。

「この花、綺麗だね。なんていう花だろう」
睡蓮(すいれん)じゃないかな。朝に花が開いて夕方に花を閉じる。睡蓮には、清らかな心って意味があるんだよ」

 徐々に遠ざかっていく声。並ぶ背中を見つめている。彼の隣にいるのは、私じゃない。

「この水の上に顔を出してるのが、ハスの花。その花言葉は、──離れゆく愛」

 二人は同時に振り返り、こちらを見た。
 あの頃の直江梵と日南菫。耳に響く甲高い笑い声が、胸を突き抜いた。

「やめて、お願い……やめて」

 体は穴だらけになって、そこから白い光が漏れていく。最終的に、私は彼らの前から消えてなくなった。

 悪魔のような夢から覚めると、高校生の姿のままベッドの上にいた。荒い呼吸と攻撃されたような胸の痛みが残っている。
 覚めることのない悪夢とは、現実(みらい)(いま)どちらのことを言うのだろう。