オレンジ色に包まれた夕暮れの駅で、さよならをする。いつものように、次会う約束をするのだと思っていた。
 さっきは別れを切り出そうとしたけれど、もう少し様子を見ても良いのかもしれない。そんな思想が頭を過ぎる。
 でも、彼は私の後方を見つめて何も話さない。

「あの、これからどうする……」
「……日南先生?」

 横を駆けて行った後ろ姿を、今でも鮮明に覚えている。
 反対側から走って来る目深帽子の男。その手には鋭利な刃が見えた。

「──梵さん!」

 追いかけようと思ったときには、女性を抱き庇ったまま、長い階段上から消えていた。
 生きてきた中で、出したことのない悲鳴を上げた。階段の下側から同じような声が上がるのを聞いて、手足の震えが止まらなくなる。
 空が泣いているのか、絹のような雨が降り出して、気付いたら私の頬をも濡らしていた。

 九月十八日、婚約者である直江梵の葬儀が行われた。
 元交際相手に襲われかけた女性を助けて、駅の階段から転落した事故死。刃物男は逃走したのち、逮捕された。
 幸いにも女性は擦り傷だけで済み、葬儀にも参列していた。

「私を助けるために、直江くんが……。ほんとに、なんと言ったらいいのか……申し訳ありません」

 涙を流しながら彼の両親と私に頭を下げた彼女の名は、日南菫と言うらしい。元高校の美術教師で、彼の担任もしていたようだ。

「あなただけでも助かったことで、梵は報われただろう。でも、もう二度と、私たちに顔を見せないで頂きたい」

 寄り添ってもらわなければ、母親は立つことすらままならないほど憔悴していた。
 父親は、ああ言っていたけれど、私は彼女に興味を持った。ピアノ以外には何も関心を示さなかった直江梵が、本能で動き命を掛けて助けた女性。

 きっと彼は、日南菫に特別な感情を抱いていたに違いない。

 そこまで想われていた彼女は羨ましく、また憎らしくもある。それは少し、嫉妬にも似た感覚だった。