その日は朝から薄曇りの天気で、私は折り畳み傘を持って駅へ出向いた。
 待ち合わせは、いつも最寄り駅だった。車で迎えに来てくれると言った彼に断りを入れたから。
 テラコッタのワンピースと黒いレースアップブーツを身にまとい、駅に背を向けて彼を待つ。

 数分もしないうちに、彼が駅から出て来た。サラサラした黒髪に端正な薄顔の持ち主は、私を見つけて優しく微笑む。
 でも、それは偽りの笑顔だと知っている。デートをしても手を繋いでも、二人の間には決して壊せない壁がある。
 なぜなら、私たちは親の決めた婚約者だから。お互いに愛情の一欠片(ひとかけら)もない。

 綺原宗一(そういち)の娘。それが、物心付いた時からの私の名称(めいしょう)だった。
 実家は県内で名のある老舗(しにせ)旅館桜花蘭(おうからん)を経営している。
 三姉妹の末っ子に当たる私は、望まれて生まれてきた子どもじゃない。

 直接そう言われたわけではないけれど、祖父母も両親も喉から手が出るほど、跡継ぎになる男の子を期待していたようだから。

 三人目が女だと知った時、相当気を落としたらしいと周りの大人から聞かされた。
 まだ小学生の子どもに、絶望的な話をするような下衆(げす)い人間を信じたわけではないけど、きっと母の立場なら思っても仕方ないのだろうと理解出来る。

 幼い頃から、姉の後ろを金魚の(ふん)のように付いて歩いていた私は、将来の女将(おかみ)を期待された彼女たちとはどこか違っていたように思う。
 着せてもらえる着物は、姉たちよりも品質の下がるもの。
 礼儀作法も一通り習うのだけど、それなりに習得出来れば良いと干渉(かんしょう)はされず。姉たちは、涙と汗が枯れるまで祖母に(しつ)けられていたというのに。