無我夢中で足を走らせた。教室へ向かう途中の階段で転倒しても、痛みなど感じないくらい必死だった。
 早く、もっと早く。なにげなく歩いていた時よりも、長く遠く感じる。

『……梵くん、怖い。……梵くん』

 胸の奥に響く声が、弱く掠れていく。

 クラスの入り口付近で話している生徒、教室内の人へ視線を向ける。いない。
 そうだ、校庭の木陰だ。見慣れた顔の山から目を離したとき、背後から肩を叩かれた。
 よっと晴れ晴れした表情をする苗木が立っていた。

「直江、そんな慌ててどうした」
「綺原さんは⁈」

 勢いよく迫るように、僕より少し背の高い苗木を見上げる。

「なんだよ、急にデッカい声出して。びっくりするだろ」
「さっきまで一緒だったろ⁈ 綺原さん、今どこにいるの⁈」

 すぐに会って、伝えなければならないことがある。
 大きく揺らした苗木の体が、ぴたりと止まった。

「…………綺原? 誰だ、それ」

 ピアノを屋上から落とされたような衝撃がのしかかる。(にぶ)く重い音を立てて地面に叩きつけられた大切な何かは、粉々に宙へ散った。

「悪い冗談よしてくれよ。告白するって言ってたじゃないか。苗木が言ったから、僕は……」
「そうそう、誰か探してた気するんだけど、途中で分かんなくなって。玄関で一組の笹々谷(ささがや)さんとバッタリ会ってさ。ほら、あの子って数学の関路と」
「もう、いいよ」

 それ以上聞いていられなくて、生徒がたむろする廊下を足早に駆け抜けて、校舎の外へ出た。