アスファルトの照り返しが強くなる八月。空を飛ぶ鳥さえ木陰に避難する暑さだと言うのに、まるで僕には関係ないことのように快適な部屋で過ごしている。
 ピアノと書道の空いた時間に入り込んで来た家庭教師の授業。残りのスケジュールに塾の文字しかない毎日は、(せわ)しないけど退屈だ。

 疲れからなのか、一週間ぶりに夢を見た。日南先生と話しているもので、場所は知らないところ。
 夢だと認識していたけど、綺原さんを呼ぶことは出来なかった。どちらかが暴走するわけでもなく、比較的普通の内容。いわゆるただの夢だ。

 過敏になり過ぎていたのだろうか。一応、あとで報告の連絡を入れておこう。
 カリカリとシャーペンを動かす手を止めて、ふと考える。
 そういえば、綺原さんの下の名前って……なんだっけ。

「梵くん。そこ、分からない?」

 金宮(かなみや)先生の声に呼び覚まされた。物思いにふけながら、無意識に数学の問題を解いていたのか。
 再びスラスラと手を動かすと、金宮先生はフッと息をこぼした。

「さすが梵くん、正解! なあねぇ、なんで君みたいに妄想しながら解けちゃうような子がカテキョーなんて付けてんの?」

 顔をぐっと覗き込んで来る彼をさり気なく避けた。

「親が勝手に頼んだから知りません」
「ふーん、金の無駄って感じするけどなぁ。ほとんど教えることないし」

 赤ペンを回しながら、退屈そうな表情を見せる。これじゃあどっちが生徒か分からない。

「それ、教師が言う言葉ですか?」
「ああ、別に俺は学校の先生じゃないからいいのいいの! もちろん、学校じゃ教えてくれないような勉強も教えてあげれるよ?」
「親の前でその態度出したら、即刻クビなのに」
「大丈夫、そんな失態しないから」

 満面の笑みを浮かべて、彼は持参して来た漫画を読み始めた。
 この人が家庭教師をしていることに違和感しかない。一人で勉強した方が、絶対に集中出来ると断言出来る。