ゆめみ祭から一ヶ月半の月日が経ち、期末テストもことなきを終えて終業式を迎えた。右手小指の固定も取れて、ほぼ元通りに。
 後夜祭でした綺原さんとのキスは無かったかのように、変わらない日常が過ぎている。彼女が何もなかったものとして振る舞っているのだから、僕も変に意識しないようにしているつもりだ。
 あの意味を知りたくても、聞ける隙を作らないのは彼女らしい。

 何もない真っ白な部屋の床へ横になり、そのままになっている楽譜をペラペラと(めく)る。病理学や歯科解剖学の教科書より、音符を眺めていた方がよっぽど面白い。

 一週間前の夜。意を決して、父にピアノ関係の仕事をしたい旨を伝えた。歯科医院を継ぐ意思がないと知っても、あの人は顔色ひとつ変えなかった。

「学園祭でのお前のピアノが素晴らしかったと、患者さんから聞いた。また是非聴きたいそうだ。別の人からも、教える機会があったら娘に教えて欲しいと言われた。それほどまでとは、正直驚いた」

 初めて聞く話に胸が熱くなった。ピアノの講師をする夢が開けた気がした。

「じゃあ……」
「しかし、仕事は別物だ。お前のピアノは趣味に過ぎん。仕事が欲しいと思う人間がいる中で、すでに完成された場所が準備されているお前は幸せだと思わなければならん。将来について、もう一度よく考えろ」

 それから、父とは言葉を交わしていない。
 乾いたため息が、だだっ広い空間にひとつ落ちる。でも、この憂いを含んだ吐息の原因はそれだけではない。