浩宇皇子が帰られて一週間が経った。
 後宮内は王の崩御に備え、身支度を始める皇女たちと次期後宮に入るために暗躍する官女たちの思惑が重なり、一時たりとも気が抜けない空気が支配していた。
 孫麗もまた、雪華様の言葉通り、後宮に入るために仕事に勤しむが、他の官女たちは大后様や浩宇皇子の目に止まるよう狡猾に、かつ大胆に自身の存在を宮内に知らしめている。
 大后様や皇女様たちに認めてもらわなければ。
 しかし、みんなのような魅力や才は私にはない。
 このままでは、私は……。
「大丈夫ですか、孫麗様」
 白梅に背中をさすられ、孫麗は自身の呼吸が乱れていることに気づいた。近頃は呼吸をするだけで精一杯だ。
「ちょっと、邪魔よ」
 振り返ると阿蘭が腕を組んで立っていた。
「あぁ、ごめんなさい阿蘭」
「そこの侍女借りるわよ。運ぶものがあるの」
 阿蘭はさっさと行ってしまい、困り顔の白梅に手伝うようにと、頷いた。

 今日は雪華様のお使いだ。
 半年に一度、雪華様の故郷である西の都に出向き、町や雪華様のお父上の様子を伺ってくる。白梅のような侍女は宮内からの外出は自由だが官女である孫麗は許されていない。このお使いはそんな孫麗に外の世界に触れさせることを目的としている。
 視野を広く持つことが人間として成長する唯一の方法だと、雪華様はよく言っておられる。
 孫麗は馬車小屋に向かうと、柱の下で座り込んでいる汚い身なりの宦官に声をかける。
「曹倫、お願いがあるんだけど」
「馬を引けって言うんだろ。いいぜ」
「珍しいわね。あんたがこんなに物分かりがいいなんて」
「俺をなんだと思っているんだよ」
 意地汚い守銭奴、と口から溢れかけ、孫麗は寸前で飲み込んだ。
 曹倫は齢五十に近い。昔から王に仕え、一時期は政治に口を出す役職まで登りつめていたらしいが民から徴収した税をちょろまかしていたことが判明し、本来ならば処刑されても仕方ないが温情として馬使いとして一生を終えることを決められた哀れな男だ。
 そんなことがあっても未だに金への執着は消えず、金さえ払えばどんなに些細なことや汚いことでもする。
 曹倫が馬の手綱をひき、馬にはボロくさい馬車がつけられる。前回使った時から片付けていないのだろう。車輪には泥がこびり付き、荷台には円匙や箒なども乗せられたままになっている。