阿蘭は宮廷内に妖が出たことを知れば、民からの不信感を煽り、反乱も起こりかねないと大后様に告げ、普通ならば手続きや儀式のために数日は要する処刑を密かに、そして速やかに行ってしまおうという魂胆だった。
「白梅を放して!」
「孫麗」
 阿蘭はゆっくりと孫麗の元へ歩み寄る。
「この侍女が妖ということを知っていたのではないか?」
「白梅が妖……? い、一体なにを?」
 妖という言葉に戸惑い、孫麗は一瞬言葉に詰まった。それを阿蘭は見逃さない。
「その反応。さてはお前も妖か!?」
「私は……」
 白梅は妖ではないが、孫麗は妖、殭屍だ。
 白梅をかばえば自分に疑いが向けられ、?屍であることがバレてしまう。しかしそうなってもまずは白梅の疑いを晴らす方が先だ、と口を開こうとしたその時、白梅の言葉が宝爛殿に静かに響いた。
「孫麗お姉様、もう良いのです」
 白梅は優しい笑顔で孫麗を見つめた。その目は雪華様のように慈愛に満ちている。
「私はあの日、孫麗お姉様に口紅を塗ったあの時からずっと後悔していました。だから、これで良いのです」
 白梅がこぼした涙の雫が、床に落ちた。
 兵士の一人が鞘から刀を抜き、腕を振り上げる。
「白梅!」
 刀が振り下ろされる刹那、孫麗はただ、白梅の手を取りたいと思った。
 そして、思い出した。
 孫麗が土に埋められているとき、曹倫に足蹴りされながらも手を伸ばす白梅の手を取りたいと動かない身体をなんとか動かそうとした感覚を。
 今なら、動く。
 たとえ身体は死んでいても、今の私なら、白梅に手が届く。
 孫麗が足に力を込めると、堅い木製の床は薄氷のように割れ、孫麗の身体は雷のごとく走った。兵士が振り下ろした刀が孫麗の髪に触れる。白梅の手を掴むも止まる術がわからず、孫麗は白梅を胸にだき、くるりと身体を回して背中から壁に激突した。
 凄まじい音が建物中に響き、埃が舞う。
「……孫麗、お姉様?」
「大丈夫ですか? 白梅妹」
 土埃の中から白梅を抱えた孫麗が姿を現した。しかし刀に触れたせいで髪が解け、長く艶のない髪が孫麗の顔を隠す。
 その姿はまさに、妖だった。
「孫麗……」
 唖然としていた阿蘭はニヤリと笑う。
「本当に妖だったんだ! あいつを殺せ! 殺してしまえ!」
 戸惑う兵士たちを阿蘭は扇子で煽る。阿蘭の声はだんだんと野太く、建物を揺らすほどに低く響く。