孫麗が後宮に戻った翌日。
 雑務を終えた白梅が廊下に出ると、その輝きにすぐに気がついた。
 廊下の木目の隙間には一切の埃がなく、まるで柱や柵なども全て仮漆を塗ったように照っている。
 白梅が廊下を曲がると袖をまくった孫麗が布巾で障子の桟を拭いているのが見えた。
「お姉様、そんなことしなくても、私がやりますよ」
「いいのよ。なんだか楽しくって」
 孫麗は布巾を水が張った桶へと入れ、うんと空に向かって伸びをする。未だに太陽は姿を見せず、曇天のままだが孫麗は晴れやかな気分だ。
「身体を動かして、美味しいご飯を食べて、ぐっすり寝る。こんなに楽しいことはないわ」
 それは地中に一ヶ月も埋まっていた孫麗だからこその想いだった。孫麗にその一ヶ月の記憶はないものの、孫麗の身体が自由に動く喜びに震えている。
「それにこの髪も。髪を結うと気分も明るくなるものね」
 殭屍の性質によって伸びきった潤いも品もない髪は白梅によって綺麗に編み込まれ、孫麗の表情をより明るいものにした。
 浮かれた孫麗をみて、白梅は呆れるが顔はまんざらでもなさそうだ。
「だからって」
「よーし、このまま朝日殿を一周しようかな」
 孫麗は布巾を絞り、廊下におく。両手を添え、力一杯足を踏み出すと身体が一気に前方へ進み、柵を飛び越え地面に落ちてしまった。
「お姉様?!」
 白梅が慌てて柵から顔を覗かせると孫麗は間抜けにも地面に伏していた。
「勢いつけすぎた……」
「殭屍の神通力というやつでしょう。もう少し加減して」
 すると朝日殿から少し離れた庭からがやがやと人の声が聞こえてきた。
「どうしたのかしら」
 孫麗と白梅が向かうと立派な桜の木周りに人だかりができていた。みんな、雛鳥のように口を開け上を見上げており、二人も見上げると、枝の根元に猫が一匹立っていた。
 宦官は困ったように猫を見上げている。
「先ほど倉庫から食料を盗んでいたところを見つけ、追いかけ回した挙句にあんなところまで行きおって。自分で降りられないのでは世話ない」
 周りのみんなはどうしたものかと皆腕を組み、考えあぐねていると孫麗は裾を捲り上げる。
「お姉様、そんなはしたない」
「皆さんは目を閉じていてください。私が猫を助けます」
 孫麗の言葉に、皆は黙って目を瞑った。