宙に浮かぶ呪符から現れた無数の劔が次々と野犬たちを突き刺していく。しかし野犬たちは未だにじたばたと動き、孫麗に襲いかかろうとしている。
 木の上から道士が飛び降り、孫麗の横へと着地する。
「こいつらは妖犬だ。妖は人の悲しみ、不満、怒り、そして畏れ。それらの陰の気によって生まれる。この山は妖が出ると畏れられているだろ。その畏れがこいつらを生んだんだ」
 畏れがあって妖が生まれたのか。
 妖があって畏れが生まれたのか。
 それは誰にもわからないってな、と道士は嘯いた。
 とどめだ、と袖からもう一枚の呪符を取り出した道士は空に向かって放つ。
「符術、雷天葬《らいてんのそう》」
 瞬間、雲が光り、一筋の雷が妖犬たちへと落ちた。丸焦げになった妖犬たちは塵となって風に消えた。
「な、俺すごいだろ」
「……どうも」
 差し出された手を握りかえすと道士の手の温もりを感じた。それと同時に自分の肌の冷たさも感じ、自分が本当に死んでしまったのか、と孫麗はやっと自覚した。
 鼻の奥が痛み、涙が溢れた。
 本当はもう痛みなど感じないのに。
 先ほど転んだ時も痛みは感じなかった。心臓の音も聞こえない。私の生物としての機能は完全に止まっている。
 なら、この涙はなんだろう。
 道士は孫麗の頬へそっと手を伸ばす。
 涙を拭ってくれるのか、と孫麗は目を閉じ少しだけ顔を上げたが道士はその手でぱしん、と孫麗の頬を叩いた。
 驚き目を見開くと、道士の頬が少しだけ赤らんでいた
「さ、さっきのお返しだ」
 そう言い捨てると道士はそそくさと歩き出す。しかしその方角は他国へ続く登りではなく、宮廷へ続く下り道だ。
「俺も宮廷に行く。皇女を助けたって言えば、褒美もらえるかもしれないしな」
 道士の気の抜けた言葉に孫麗は唖然としてしまった。
 しかし、いつしか涙は引いていた。
 孫麗は待って、と道士のあとを追った。