その日の一時間目の授業は、先生の様子がおかしかった。

二時間目の授業は代理の先生がやって来て、三時間目は自習になった。

学校で何かが起きている。

「なんか、竹山先生が消えたらしいよ」

生徒たちの間で、自由な噂が飛び交う。

「先生の住んでるマンションが、ピンクの柱に飲まれたんだって!」

四時間目は普通だった。

終業のチャイムが鳴ると同時に、茶色の彼は教室から出て行く。

どこへ行ったんだろう。

こんな時でも、あいつはピアノを弾きに行ってるのかな。

落ち着かない昼休みを過ごしている。

非常事態が起こっているというのに、教室にいないなんて。

それとも、隣のクラスの彼女のところなのかな。

こんな時に、アイツは何を考えているんだろう。

世界がもうすぐ、消えてなくなるかもしれないっていうのに。

照りつける太陽のせいで、午後を過ぎても日差しはまだ強かった。

追肥はしたし、水やりも不要。雑草も問題ないし、ピアノの音も聞こえない。

「帰るか」

何にもない放課後は、何もない私のいつもの日常だ。

帰る電車の車窓から、そのピンクの柱が現れてから消えるまでの、数秒を眺めていた。

あの光の中で何が起こっているのかなんて、知らない。

そんなことはどうだっていい。

今の私にとって大切なのは、そんなことじゃないんだ。

携帯にはSNS経由の通知が山のように入ってくる。

54件。

あの光のことで騒いでいるのなんて、ネットの中だけだ。

現にこうして電車に揺られている人たちは、外の様子に全くの興味関心はない。

見慣れた風景はガタガタと流れてゆく。

平凡すぎるその景色に、たとえ奇妙なピンクの柱が混じったとしても、この私から見る車窓の風景は変わらない。

そんな何でもないジャガイモもすくすくと育ち、収穫の時期を迎えた。

先日園芸部の無駄によく出来たアプリが、そろそろ掘れよと教えてくれたので、いつにしようかと考えている。

今は水やりにも行っていない。

土を乾かすために、音楽室横の菜園には行かない。

教室にあいつが入ってくる。遅刻ぎりぎりだ。

彼が席に着くのを待ってチャイムは鳴る。

そういえば同じクラスにいるのに、教室でちゃんとその姿を見たのは、これが初めてのような気がする。

ここでの彼はまるで別人で、私にとっての彼は、いつも人垣の向こうか壁の中の人でしかない。

ジャガイモの収穫をしないと。

カラリと晴天の続く空模様に、外を吹く風まで爽やかすぎて、この空気はまるで異世界から流れ込んできているみたい。

授業は相変わらず退屈で、先生の放つ面白くもない冗談に苦笑している。

「本間くんって、彼女できたらしいよ。隣のクラスの宮下さんだって。すごいねー」

園芸部のサイトがどんな計算で出したのか分からないけれど、算出してきた収穫日はどんどん過ぎてゆく。

青々としていた葉が、黄色く枯れ始めている。

「何がすごいの?」

「二年生になってから、何人目だっけ?」

「まだ初めてじゃない? 一年からだと……三人目?」

スマホを取り出した。

園芸部のアプリを開く。

そこへ【本日ジャガイモの収穫をします。15時開始予定】と打った。

更新して閉じる。

画面を飛ばした瞬間に、なぜか急に不安が襲ってきた。

「ちょっと、トイレ行ってくるね」

たとえ今が昼休みでも、もうジャガイモに手をかけるべき作業はない。

だから教室から逃れられない。

どうしよう。

いきなりこんなことを書き込んで、何かもっと他のやり方があったんじゃないの?

廊下に、宮下久美が歩いていた。

友達と二人、高く耳障りな声で騒いでいるのとすれ違う。

なにがおかしくて、あんなに笑っていられるのだろう。

半袖になったばかりの夏服と、一瞬目があったような気はするけど、特に仲がよいわけでも挨拶をするような間柄でもない。

白い制服の袖から細い腕が伸びる。

青いだけの空がガラス窓の向こうに広がっていた。

園芸部員は私一人しかいないからいいんだけど、顧問に一言ぐらい声をかけて、許可とっておいた方がよかった? 

一人で掘って、どれくらい時間がかかる? 

もっと大々的に宣伝して、イベントみたいにすればよかった? 

いやいや、3列5本たった15本のジャガイモだ。

そんなに時間はかからないだろう。

無理だと思ったら、1列ずつ収穫すればいい。

出来だってどうだか分からないような代物だ。

変に失敗したジャガイモを人目に晒すより、こそっと終わらせた方がいいと思う。

どうせいつだって誰も園芸部に興味はない。

何にも問題はない。

昼休みの廊下でゆっくりと手を洗い、丁寧に丁寧に手を拭いている。

ようやくチャイムが鳴った。

その鳴り終わるのを待ってから、私は教室に戻る。