「あの畑に落ちてた手首ね、この世界に取り込まれて、そのまま何かの理由で死んじゃった人なんじゃないかと思ってる」

あの人は、それで自由になったのかな。

「きっと、無理だったんだよ。ただ単純に。何がいいとか、悪いとかじゃなくて」

もし本当に世界が変わるなら、変わってしまえばいいと思った。

だけどいくら「世界」は変わっても、やっぱり「私」は変わらなくて、本当に自分は全くもってどうしようもない奴なんだなって。

こんなクソみたいな世界は、いっそ壊れてしまえばいいなんて……。

「ねぇ、あの手首の本体の人って、一体どうやって手首だけをこっちに送ってきたんだと思う?」

「手首の本体の人って、なんだよ」

「猫が来たって言ってなかった?」

「見てはないけど」

プレゼントのカラスやバッタは、どこから来た? 本当に猫? 

「ねぇ、菜園見に行こう」

教室を出る。薄暗い廊下を進み、静かすぎる階段を下りた。

いつも近くて遠くに感じていた学校の雑音たちは、今は聞こえない。

校庭にかかる空は、いつだって爽やかな快晴だ。

久しぶりに見下ろした菜園は、ここだけ時間が止まっていたようだった。

掘り返され、中途半端にならされた地面と、放置されたままの熊手箒、ジャガイモの袋もそのままだ。

そのうちの一つを手に取る。

日に焼けて、変色していなければならないはずの表面が、変わっていない。

気のせいなんかじゃない。やっぱりこの空はどこかおかしい。

それは柱に取り込まれたからなのか、それとも取り込まれたと思っている前から、本当はおかしかったのか……。

「あ、学校ホームページに返信がある!」

小さな画面を二人でのぞき込む。

学校を襲った光は、同時に大量の生徒たちを取り込んでいた。

千を超える書き込みが、タイムラインに並ぶ。

「あぁ、よかった。みんな無事なのね」

姿は見えなくても、微かに音は聞こえている。

それに間違いはなかったんだ。

画面に並ぶ文字を見ているだけなのに、何かがこみ上げてくる。

「え? ここで泣くんだ」

彼は呆れたように笑った。

私は握りしめた拳を軽く腕にぶつけて抗議する。

「だから、自分のスマホも見てみろって」

垂れ落ちそうな鼻水をすすって、スマホを取り出す。

ずっと通知を切っていた。なんにもならない自分のそれが怖かった。

誰かと常に繋がっているようで、誰とも繋がっていないという事実を、知らされるのが嫌だった。

久しぶりに開いたそれには、私を心配するメッセージがちゃんと届いている。

「……よかった」

「友達からも来てた?」

「うん」

いつも学校で、弁当を食べ昼休みという時間を潰すためだけの要員と思っていた。

そう思われていると思っていたから、自分もそうであるべきだと自分で思い込ませた。

私なんかより結構みんな、意外とちゃんと生きてる。

「帰らないと」

私は絶対に、あの手首のようにはならない。

「そうだね」

「ねぇ、『複素数の集合は体を成す』って、なに?」

「俺に聞くなよ」

「数列のピアノ?」

「は?」

「この世には、まだまだ知らない世界があるってことじゃない?」

「なにそれ」

私は首を横に振る。

こぼれた涙を自分で拭う。

「理数系が得意って、知らなかったよ」

彼はため息をついた。

見つめ合い、声を出して笑う。