放課後の校舎からは、ピアノの音は聞こえない。

園芸部倉庫の横に並んだジャガイモのざるは、完全に無傷のままで残されていた。

大きな芋の一つを手に取る。

見た目は立派でも中身はどうなっているのか、切ってみるまで分からない。

表面が最初っから割れているのなら分かりやすい。

だけど実際には、そんなものは多くない。

大きさに反して余りにも軽いものは、中が空洞だったりする。

形がいびつ過ぎるのは、皮を剥くときに切り捨てる部分が多くなるけど、食べる分には問題ない。

サイズが小さ過ぎるのも同じだ。

皮を剥く手間を考えれば、捨ててしまってもいい。

一番困るのは、見た目に全く問題はないのに、切れば中身が真っ黒に変色しているもの。

誰かにあげたはいいけど、そんな芋ばかりだったら、私はどうすればいいんだろう。

なんて言い訳をする? 

それで「そんなこと気にしてないよ」「いいよ」って言われたって、本当に「いいよ」なんて、絶対に相手は思っていないんだ。

だったらやっぱり、誰かにあげるなんてのは、リスクでしかないような気がする。

嫌な思いをさせるくらいなら、自分一人が嫌な奴のままでいい。

「おー。早いな」

その男は、脳天気ににこにことしてやって来た。

手には今朝と同じ紙袋を持っている。

「な、分けようぜ」

「中身の品質保証は出来ないからね」

「はいはい」

去年の秋頃から始まったピンクの柱現象に、食糧危機を考えたのは本当のこと。

ジャガイモを作ったのは今回が初めてで、私だって自分で作ったジャガイモを自分で食べたことはない。

勉強はした。

それなりに調べて、それなりにやってみた。

だけど、見えないし分からないものは、どうしようもないじゃないか。

「彼女に怒られた」

「彼女?」

一番大きな芋をつかんで、紙袋に放り投げる。

「勝手にいちゃついてんじゃねーよって、言われた」

「誰?」

「あんたの彼女!」

綺麗そうなジャガイモ、出来の良さそうなジャガイモ、形のよいジャガイモ。

それは全部あなたのもの。

「だから、誰!」

「なに? そんなことも分かんないの?」

大きくてきれいなジャガイモは全部入れてしまったから、もうこの話も終わり。

「嘘。なんでもない。変なこと言ってゴメン」

小さいジャガイモを全て、ざるから自分の袋に流し込む。

ボコボコの畑を元に戻して、次の栽培の準備をしないと。

袋をその場に放り投げ、大きな熊手箒を取り出す。

「なぁ」

「じゃ、もういいよ。終わったでしょ、帰って。ピアノの練習しなくていいの?」

彼は持っていた袋を、ゴトンと地面に置いた。

「やっぱいらねぇわ、コレ」

背を向けた制服の白いシャツが、校舎の角に消えてゆく。

私は竹箒を握りしめる。

大丈夫。

これでいい。

それになんの迷いや不安があるのか。

そんなことを考えている自分の方がバカだ。

真っ黒だったはずの畑の土は、所々が乾いて白っぽくなっている。

それは触れると砂の牙城のように崩れ落ちた。

穴だらけで、ボコボコのままになっている地面を見つめているそれが、突然真っ赤になった。

ピンク色の光のラインが、校庭を走る。

「え、嘘?」

空を見上げる。

まだ青いはずの空が、紫がかったピンク色に染まっている。

全身の毛穴が開くような、そんな不思議な高揚感に包まれて、心臓は大きく波打った。

「ちょ、待って……」

走り出す。

光のラインの移動速度は驚くほど早くて、全力で走っても全然追いつきそうにない。

その境界線は、あっという間に遠ざかってしまった。

視界が、世界が、全てがピンクに染まる。

「え、やだ、マジで?」

皮膚が、体が、地面が、全てが浮かび上がった。

呼吸が出来ない。

上空にはぽっかりと黒い影が渦巻いていて、何もかもが吸い込まれていく。

それはぐんぐん近づいて、やがて私は意識を失った。