ブルーヘヴンの彼方に

☆ 
 
 梨歩はキャビネットからノートパソコンを取り出し、電源を入れた。
「あれ、パソコン持ってきてたの?」
「うん、朝日(あさひ)兄ちゃんのお古(ふる)をずっと使ってたんだけど故障しちゃってさ。昨日、お母さんに頼んで家からスペアのノートパソコン持ってきてもらったんだ」
梨歩には8歳離れた双子のお兄さんがいて、それぞれ朝日さん、夕日(ゆうひ)さんという名前だ。長兄の朝日さんは小児科医を目指す研修医、次兄の夕日さんは高校の体育教師。
梨歩は立ち上がったパソコンの画面に視線を移し、マウスで音符マークのアイコンをクリックした。
 音楽のコミュニティーサイト“MIX JAM”に登録している梨歩は、自分の持ち歌やカバー曲などを録音したものを、インターネット上で公開している。
「あ、EDENだ!」
「えでん?」
「そう、今業界で話題になってるのよ。とんでもない新人が現れたって」
「それが、この人なの?」
「そう。でも、実は正体不明のバンドらしくてさ」
「あ、一人じゃないんだ」
「噂ではね。顔も年齢も非公開だし、ヴォーカルが男女どっちなのかもわからないの。声で判別できるかと思ったんだけど、どちらともとれるような不思議な声だから余計わからなくて」
「そうなんだ。それは気になる」
 梨歩はお知らせメールを開く。
「新曲“Over the World”だって。ちょっと流してもいい?」
「うん」
 カチッ、と小さなクリック音が鳴る。
緩やかなピアノの前奏に、柔らかなハープの音が重なる。
無機質だった病室の空気に、透明な水滴を落としたように音が広がった。