獣の息づかいに、こどもはまぶたを持ちあげた。
 ぽたり、額に落ちてきた、ぬるい雫。

 常夜灯の仄灯りに、白い牙が光っている。
 顔の両脇、寝ワラを踏みしめる、獣の前足。

「うわっ!」

 こどもはワラの中をもがく。
 獣は生臭い息を吐き、こどもに圧し掛かってきた。

(オオカミ――!)

 息を呑んだ瞬間、オオカミは鼓膜を打つ音でほえ、こどもの首にかぶりつく!
 
 だが唐突に弾かれたように吹っ飛び、オオカミのほうが床に叩きつけられた。


 ……点々と散った、赤いしぶき。

 こどもは浅い息を繰り返しながら、恐る恐る自分の首に手をやる。
 血は出ていない。
 熱いと思ったら、ネックレスの銀の板が白い星のように光っている。

 オオカミは低くうなりながら、体を起こそうとする。
 牙のあいだから、ぼたぼたと血がこぼれる。

「だ、だいじょうぶっ?」
 こどもはベッドから飛びおりた。

 オオカミは低いうなりをあげ、再びこどもに食らいつく。
 だがこどもが先に、オオカミの首を強く抱きよせた。
 がち、がち、咬み合わせる牙の音が、こどもの耳のわきに響く。

「うごかないで。ダメだよ。魔女、いっぱい血がでてる」

 オオカミは動きを止め、両眼をこどもに定めた。

『……なぜだい。どうして私とわかった』
「だって魔女は、魔女だもの」

 オオカミは――魔女は、ゆっくりとこどもから身をはなす。

『こまった子だね。脅しもきかない』
 血を吐きながら、床に身を伏せる。

「もう、時が来た。おまえはここから去らねばならない」
「なんで。どうして急にそんなこと言うの」

 洗ったばかりの白いシャツが、オオカミの血に染まっている。
 こどもは震えながら、胸元を小さな手でにぎりこむ。
 魔女の銀の瞳は、光るネックレスを見すえている。

「おまえは、始まりと終わりの存在に守られている。ΑからΩ、永遠に守られているおまえを、私が守ってやる必要はない」
「よくわからない」 
「もう、お還り。自分の場所へ」

 膝に流れてくる、温かな血だまり。
“失せもの”の河の流れと同じ温度だ。
 こどもは青くなって、オオカミの首を両手ではさんで持ちあげる。

「こどもは、魔女といっしょがいい。こどもも魔女にな――」
「良い子だ」

 オオカミはこどもの口を、乾いた鼻づらを押しつけて止めた。