なりふり構わず右手に傘を、そして小脇に料理酒を抱えたまま商店街を駆けていると、


「立華っ!」


 聞こえてきたのは、おそらくわたしを呼び止める声。急いでるのに一体誰だ。

 足は止めずに、声のした方にちらりと視線を向ける。


「あっ……!」


 声の主を視界に捉えると心臓がどきんと跳ねた。

 耳の上で切り揃えられた綺麗な黒髪。少年のように優しげな瞳。人混みの中でも一際背の高い彼が、こちらに向かって手をあげている。


「どうしたんだよ、そんなに慌てて」

「あ、浅桜くんっ!」


 真昼の庭へ放り出されたみたいに、頬がじんわりと熱を帯びていく。

 同じ街に住んでいると知った日から、こうしてばったり会えるのを夢見た事など数えきれない。街角を曲がる瞬間、駅で電車を待つ時間、学校までの通学路……。どれだけこの偶然を待ち焦がれていただろう。だけど、よりによってそれが今訪れてしまうだなんて。


「こんなに人が多いのに、まさか立華に会えるなんて思わなかったな」

「う、うん、そうだね。ほんとに偶然。でも……あの、今ちょっと……」


 不自然に目が泳ぐ。こんなに慌ててる自分が恥ずかしい。そしてなぜかうしろめたい。

 歯切れ悪く返すわたしを見て、浅桜くんはくすっと笑った。


「ごめん、邪魔したみたいだな。急いでるとこ呼び止めて悪かったよ」

「えっ、いや、でも……」

「さっきそこで蘭雅と宵月にも会って、少し話してたんだ。年明けに集まる日を楽しみにしてるよ。じゃあな!」


 戸惑うわたしに、優しい笑顔で手を振って立ち去る浅桜くん。遠ざかっていく姿を見て、胸の奥に罪悪感と虚しさが染みていく。


「あさ……くら、くん……」


 胸が痛くて、とても痛くて、浅桜くんの背に腕を伸ばしてみるけれど、浅桜くんを呼び止めることはできなかった。