盗みを働いているという化け狸を探しに、商店街へとやってきたのはいいものの……。

『光明は十歳のとき、両親をあやかしに殺されてる』

 所長さんのひと言が胸に突き刺さってすっきりしないまま、八百屋や【SAIL】の看板を掲げて客を呼び込んでいる婦人服店など、賑わっているこの界隈をパトロールする。

「安倍さん……化け狸を見つけたらどうするんですか?」

 駆除とは具体的になにをするのか、聞くのが怖い。だが、知らずにいるのも落ち着かないので尋ねると、少し前を歩いていた安倍さんが振り返る。

「術で滅する」

「滅するって……」

 殺すってこと? なにもそこまでしなくても……。

 安倍さんが駆除にこだわるのは、両親を殺されたからなんだろう。それはわかるけど、やっぱり私は話し合いの余地があってもいいと思うのだ。

「納得いってへんって顔やな」

 安倍さんの冷ややかな視線に晒され、ごくりと唾を飲み込む。

「そう、ですね……。私はあやかしに酷い目に遭わされたことはありませんから……。でも、安倍さんの立場からすれば、そう思うのも仕方ないですし……」

「俺の立場から?」

「あ……」

 しまった、と口を閉じたけれど、時すでに遅し。安倍さんははあっとため息をついて、舌打ちをした。

「あの所長、勝手に人の過去をペラペラと……。お前もお前だ、わかったような口を利くな。あやかし憑きのお前には、俺の考えなんて理解できひん」

 また、拒絶。こうも突き放されると、さすがに傷つく。かける言葉を探していると、肩にタマくんの手が載った。

「そうだよ、俺たちはは理解し合えない。彼があんなふうに、聞く耳を持たないうちはね」

「タマくん……でも、知ることを諦めたら、本当にそこで終わっちゃう気がするの。いがみ合って、誰が幸せになれるの?」

 言葉が通じなくても、価値観が違っても、すべてをわかり合えなくても、寄り添うことはできる。

そうやってお互いを受け入れていって、いつかは理解し合える。そう信じる心はどこから来ているのか、自分でもわからない。

 でも、前世の私と安倍さんは、敵対する立場にありながら結ばれた。

種族を超えて惹かれ合い、恋をして、夫婦になれたのだから……人とあやかしは駆除対象と狩人ではなく、共存する関係に変わっていけるはずだ。

「美鈴は、まだ諦めてないの? 人間とあやかしが同じ世界に存在している限り、平穏は訪れないんだよ」

「その通りや、どちらかが消えるしかあらへん。そら、無論あやかしのほうやけどな……と、見つけた」

 安倍さんが視線を向けた先は、焼き鳥屋の屋台の前。そこには耳ともっこりとした尻尾がある男の子がいた。

ベージュのメッシュが入った焦げ茶色の髪をしていて、体格からするに十歳くらい。

 まるで動物のように地面に四つん這いになり、男の子はこちらを振り向いた。その真っ黒でくりくりとした目の周りは、まさに狸のように焦げ茶色だ。

 男の子は焼き鳥串を数本咥えて安倍さんを見るや、『しまった!』という顔をして一目散に逃げ出す。

「あ、泥棒!」

 焼き鳥屋の店主のおじさんが叫んだ。

「あの狸少年、あやかしでしょう? どうして見えてるの?」

「あやかしは人に化けられる。そうして人間社会に溶け込み、姿をくらましてるんや。あの狸も化けたつもりなんやろうが、なんやあの中途半端な術は。そら、すぐに見つかるわけや」

 術が苦手だったのかな。

 化け狸を追うように歩き出した安倍さんは、静かに右手の人差し指と中指を立て、十字に切っていく。

「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(ちん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)……結界(けっかい)、急急如律令──」

 安倍さんが呪文を唱えると、商店街一帯に透明なドームが現れる。

「これで商店街の外には逃げられへん」

「このドーム……私の家の周りを囲んでた……」

「なんやと? お前の家に結界張られとったのか?」

「は、はい。結界かはわかりませんけど、昨日、安倍さんに会う少し前に、うちの周りを覆ってたこのドームみたいなものが割れたんです」

 あれが結界だったなら、どうしてうちに張られていたんだろう。

「そういえば、あのドームってタマくんには見えてなかったよね?」

 隣を見れば、タマくんは困ったように笑って肩を竦める。そんな彼を見て、安倍さんは眉をひそめた。

「……どないなこっちゃ? お前は陰陽師の気配を感じられる。そやのに結界見えへんなんてことはあらへん。今かて、お前は俺の張った結界見えてるやろ」 

「昨日まで、猫又にならないように注意して生きてきたんだ。勘が鈍って、結界が見えてなかったのかもしれない」

 その返答に安倍さんはまだ納得がいかなそうだったけれど、「まあええ」と前を向く。

「結界は陰陽師にしか張れへん。俺とお前を会わせたない陰陽師がおるってことがわかっただけでも収穫や」

 安倍さんは難しい顔で、迷わず路地を曲がる。すると、そこは薄暗い路地裏だった。

「まずは、この化け狸を片付けるのが先や」

 路地裏は行き止まり。ゴミ箱の影に隠れてプルプルと震えていたのは、口の周りにたっぷり焼き鳥のタレをつけた化け狸だ。

「お前やな、金払わへんで商店街の店ちゅう店から食べ物を盗んどったあやかしっちゅうのは」

「お、陰陽師ポン!? ご、ごごご、ごめんなさいポンっ、お腹が減って仕方なかったんだポンっ」

 だポンって……狸だけに? ちょっと可愛いかも。

 緩んだ頬は、安倍さんの「謝って済む問題ちゃう」という冷淡な一声に引き締まる。

「今は窃盗だけで満足しとっても、いずれ人を襲うかもわからへんさかいな」

「そ、そんなことしないポンっ。おら、うまく変化ができなくて、人間に混じって仕事ができなかったんだポン。それで何日もご飯を食べられなくて……盗むしかなかったんだポン~っ」

 涙目で訴える化け狸を冷たい目で見下ろした安倍さんは、はっと吐き捨てるように笑った。

「どうだか、あやかしの言葉なんか信じられへん」

「あ、安倍さん、そう言わず……化け狸さんは生きるために仕方なく盗ったわけですし、厳重注意くらいでいいんじゃないですか?」

 怖がっている化け狸が不憫で間に入ると、安倍さんは睨み潰す勢いで私を見る。

放たれた威圧感に竦み上がりそうになった。

視線のナイフを喉元に突きつけられているようで、生きた心地がしない。

 両親を殺されたことで、安倍さんの脳裏には『あやかしは人間に害なす存在だ』と深く刻まれてしまっているのだ、きっと。

 タマくんの言った通り、もうどんな言葉をかけても届かないのだろうか?

「あやかしは知性のあらへん獣と同じや」

 どくりと、心臓の奥でどす黒いなにかが疼いた気がした。

「生かす価値もあらへん。これ以上の被害が出る前に駆除させてもらう」

 頭の中で警鐘がけたたましく鳴り、頭痛がしてくる。激流のように胸に押し寄せてくるのは、『痛い』『苦しい』『憎い』という感情。

これは誰のものなのか、そんなふうに自分に問いかけている間にも、血の気が失せて四肢の末端が冷たくなっていく。

『また、皆殺しにするのか』

 そんな声が頭の中でこだまする。

『一方的に、奪うのか』

 心の中に黒い染みが広がっていくような感覚に襲われながら、私は下を向いた。

「許せない……」

 そんな言葉が勝手に口をつき、隣にいたタマくんが「美鈴?」と顔を覗き込んでくる。

 ああ、これはいけない。また、私の〝あの力〟が目覚めてしまう──。

 抑えなければと、そう自分に言い聞かせても、もうコントロールが利かない。身の内で膨れ上がる力の放流を止められない。

「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(ちん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)……」

 ──やめて、殺さないで。

 願いに応えるように、ドクンッと心臓が跳ねた。鼓動は次第に早くなり、冷え切った身体が今度は熱を持ち始める。

「助けてぇ……助けてぇ……死にたくないぽん……っ」

 あやかしが助けを求めている。私が救わなくては、守らなくては……。そんな使命感に思考が塗り替えられていく。

「滅せよ、急急如律──」

 最後のトリガーを引いたのは、安倍さんだった。私はすうっと静かに息を吸い、言い放つ。

「──動くな」

 声が、マイクのエコーのように辺りに響き渡った。その瞬間、振り返ろうとした安倍さんの身体が硬直する。

「なっ……くっ……お前、なにをした……。それに、その目……妖気も強なってるし……」

 この瞳は、今は紫色に変わっているのだろう。こうなったとき、私は目が合った者を従わせることができる。

これが耳や尻尾が出てしまうことの他に抱えていた、長年の悩みの正体。

私が化け物である証のようなこの力を、ずっと嫌ってきたはずなのに、また人前で使ってしまった。

「そ、それは……猫又の姫にだけあるとされる、魔性の瞳ぽん!? 見た者を魅了し、従わせる力……」

「魔性の……瞳……?」

 初めて聞く力の名前。どうして、その姫の力が私に……?

「そうだポン! あなた様は鬼(おに)、妖狐(ようこ)、烏天狗(からすてんぐ)、大蛇(だいじゃ)、猫又(ねこまた)、土蜘蛛(つちぐも)、犬神(いぬがみ)……あやかし七衆(ななしゅう)の頭首のひとりであらせられる猫又の姫様にございますポン!」

 信じられないといった顔で、一歩、また一歩と近づいてきた化け狸は、私の前にひれ伏す。

「うう、今世でお会い出来るなんて、光栄の極みですポン……。オラを姫様の家来にして欲しいですポン」

 家来にだなんて、私はただ化け狸が殺されなければそれでよかった。仕えてほしいとも思っていない。けれど、私の口は勝手に動いて──。

「よかろう、私の配下となることを許す」

 そう返事をしていた。 

 なんで……。

 自分じゃない誰かに身体を乗っ取られているようで、怖くなる。

「ふざけるな。なら俺の前世やらいう安倍晴明は、人間のくせにあやかしの姫と結婚したっちゅうんか?」

「なんと! では、あなた様がかの有名な安倍晴明様の生まれ変わりで? 安倍晴明様は、あやかしに寛容とお聞きしてましたが……」

 化け狸は私の背後に隠れ、ひょこっと顔を出すや安倍さんを怖々と見上げた。

「今の晴明様は……ちょっと噂と違いますポン」

「俺は晴明ちゃう、安倍光明や。昔はどうやったか知らへんが、今はあやかしの敵かてこと覚えとけ」

 安倍さんは聞き取れないほど小声で、ブツブツとなにやら唱え始める。

 そして、最後にふっと息を吐くと──私の拘束を解いてしまった。

「美鈴の力を解くなんて、希代の陰陽師っていうのもあながち嘘じゃなさそうだ」

 タマくんの声がすぐ後ろで聞こえ、両肩に手が載る。タマくんは私の力のことを知っているので、魔性の瞳の力を目の当たりにしても至って冷静だった。

「ここでやり合ったら、商店街に被害が出る。ここは穏便に済ませられるなら、それに越したことはないと思わないか」

「……穏便やと? それでそこのあやかしを見過ごせば、今度はおっきな事件を起こすかもしれへんのやぞ」

「冷静になりなよ。化け狸に敵意はない」

「俺は冷静や。そっちこそ、死人出る前に滅するしかあらへんってこと、なんでわからへんねん」

 滅するなんて……どうして、この子は誰も傷つけてないのに……。

 怒りが込み上げてきて、自分の中の力が……おそらく、安倍さんの言った妖気が暴れそうになるのがわかる。

 それに気づいたのか、タマくんが「落ち着いて」と、私の耳元で宥めるように囁いた。

 そのおかげで少しだけ気が静まり、力が弱まる。

「きみの力は、まだ覚醒しきってないから不安定なんだ。安倍さんを完全に縛れなかったのも、そのせいだと思う」

 どうして、タマくんがそんなことを知ってるの?

 そんな疑問がわくが、タマくんの前で力を使ってしまうことはたくさんあった。頭のいい彼のことだから、タマくんなりに推測を立てたのかもしれない。

「安倍さん、美鈴はあなたが引くまで魔性の瞳の力を解けない。もとはあやかしの力だ、人間の身で使い続ければ、命に関わる」

「──っ」

「なにが言いたいか、わかるだろ? 美鈴になにかあれば、きみも無事では済まない」

 ぐうの音が出ないのか、安倍さんは悔しそうに私たちから顔を背けた。

「それは、化け狸がもう盗みをしなければ、この場は見逃してくれる……そう解釈しても?」

「見逃すんは、今回だけや」

 安倍さんは不本意そうだが、ひとまず化け狸が殺されないとわかり、ほっとする。

「美鈴、この化け狸に『なにがあっても、うまく人間に化けられる』って言うんだ」

「あ……そっか、暗示をかけるんだね」

「そういうこと。できるね?」

 タマくんはすごい。嫌でたまらなかったこの力の、正しい使い方を示してくれたんだから。

「化け狸くん、きみはなにがあっても、うまく変化できる」

「姫様……」

「私を信じて」

 最後のはお願いだ。化け狸はこくこくと頷き、「変化!」と空中で一回転する。すると、今度はきちんと人間に化けることができていた。

「お前は……あやかしを従わせられる。人間にとって、脅威や」

 ああ、この安倍さんの視線には覚えがある。化け物を見るような眼差し、私はよく両親に向けられていた。

「……っ、私は人間の敵になんてなりません。だって、今は人なんですから」

 安倍さんとの関係がますます冷え切るのを感じて、切なくなる。

 これが、当然の反応だ。私を受け入れてくれたタマくんやおばあちゃんが珍しいだけ。 

 安倍さんが私を嫌うのは当然だから責められず、ぎこちない笑みを返すことしかできなかった。

「お前、なんで笑うて……」

 痛みを堪えるような表情で、安倍さんは私を見つめていた。

 どうして安倍さんが、そんな顔をするの?

 その問いが言葉になることはなく、身体がさらに熱を持ったと思ったら──。

 ボンッと、完全なる猫の姿になってしまった。身体が縮んだせいで、着ていた服に埋もれてしまう。

 苦しい……けど、身体が怠くて動けない。

 ぐったりと倒れていると、タマくんが私を抱き上げてくれる。

「魔性の瞳を使った反動だ」

「おい、そいつは無事なのか」

 安倍さんの声が心なしか頼りなさげで……心配してくれたのかもしれないなんて、そんな幻想を抱いてしまった。

「命に別状はないけど、数日は寝込むだろうね。きみがもっと早く引いてくれてれば、彼女はここまで消耗することはなかったのに」
 
「…………」

 ぼやける視界、薄れゆく意識の中で見えたのは、安倍さんの傷ついた表情だった。