「ここで出会うたんやな、俺ら」
八岐大蛇の一件から、数日後。
私は光明さんと町を一望できる小山の頂上、その中央にある桜の木を見上げていた。
今日はここで、みんなとピクニックをする予定なのだが……。
『夫婦の時間、足りてへん気ぃする』
そう誘われて、私は光明さんと一足先にここへ来た。あのときは恥ずかしくて、しばらく光明さんの顔が見られなかったな。
照れくささを紛らわせるために、私は優しく降り注ぐ桜の花びらを仰ぐ。
「まるで祝福してくれてるみたい」
隣にいる光明さんが不思議そうに私のほうを向く気配がする。でも、私は桜を見つめ続けた。
「私、前世の記憶の中でも桜を見たんだ。あのときは冷たい月光を浴びた桜の花びらを見て、命が散っていくみたいだなと思ったんだけど……」
「今も、そう見えるんか?」
私はううん、と首を横に振った。
「この桜も同じ桜のはずなのにね、今は私たちがこうして一緒にいることを祝福してくれてるみたいだって思う」
「奇遇やな、俺も同意見や」
見る者の心次第で、景色の見え方は変わる。
美琴が最期に見た桜は心も冷え切らせてしまう悲しい雨のようだったけれど、今私たちに優しく降り注いでいる桜は心を温かくしてくれた。
「お前と見る月は綺麗に見えるし、雨音も柔らこう聞こえる。いつも春の空気で満ちてるみたいに、世界が優しゅう見えるんや」
「じゃあ、これからも一緒にいれば、私たちの世界は私たちに微笑み続けてくれるわけだ」
「なに詩人みたいなこと言うてるんや」
こつんっと、光明さんの拳が私の頭を小突く。
「もう、やめ……て……よ……」
頬を膨らませて頭をさすりながら光明さんを見ると、愛しそうに笑いかけられる。
その表情に目を奪われてしまった私は、きっと間抜けな顔をしているんだろう。
光明さんは私の前髪を撫で、顔の輪郭をなぞるように指を滑らせてくる。
その仕草のひとつひとつが、『好きだ』『大切だ』『愛している』と伝えてくれているようだった。
「なあ、もういっぺん始めへんか」
「始めるってなにを?」
私の問いには答えず、光明さんは私に向き直る。私たちの間を春風が通り過ぎ、光明さんは深呼吸をして告げた。
「──俺の妻になってくれへんか」
「え……」
「呪いを解くためちゃう、お前の心が欲しいんや。そやさかい、応えてくれ」
真剣な面持ちで、光明さんは私の答えを待っている。だから私も、偽らずにありのままの心で答えないと。
「心から、あなたの妻になりたいって、そう思ってるよ。だから光明さんも、観念して私の夫になってね」
「なんで上から目線なんや……。けど、まあ……観念してお前に捕まることにする」
吸い寄せられるように顔を近づけたとき、「おーい」とタマくんの声がした。
バッとお互いに離れれば、タマくんが手を挙げて坂を上がってくる。その後ろには赤珠や水珠、ポン助や紫苑の姿もあった。
「図ったみたいなタイミングやな。本気で滅しとうなってきた」
「もう、光明さん!」
なんて、さも平静を装って突っ込んでみたものの……。
タマくんたちが来なかったら、私……光明さんとキス、してたのかな。
そう思ったら顔に熱が集まって、じっとりと肌が汗ばむ。
「おい、なんで顔が赤いんだよ?」
赤珠に目ざとく気づかれ、私は「ええと、あのー……」と言い訳を探す。
すると水珠がため息をつき、桜の木の下にレジャーシートを敷きながら赤珠に非難の目を向けた。
「……兄さん、空気を読んでください……」
「いいや、美鈴を困らせる安倍さんが悪いんだよ」
タマくんは光明さん相手だと、清々しいくらいに毒を吐く。
「美鈴姫、男に取り合われる気分はどうだ?」
いつの間にか紫苑がちゃっかりレジャーシートの上に寝そべり、楽しげな眼差しを私に向けていた。
不服を申し立てたいところだが、それよりも紫苑が食べている糸の塊のほうが気になってしまう。
「それはなんですか?」
「蜘蛛糸饅頭だ」
「ああ、晴明さんがおねだりしてた……」
美琴の前世の記憶の中で晴明さんが紫苑に頼んでいたのを思い出し、私はふふっと笑った。
「なんだ、なぜ知っている」
「ちょっと、美琴の記憶を見る機会があって。お茶会、こうして実現できてうれしいです」
「そうか……私もしばらく退屈しないで済みそうで、気分がいいぞ」
こっちに来たのならついでにと、紫苑をお茶に誘ったのがこのお花見宴会開催のきっかけだ。
他の土蜘蛛は都会を散策したいとかで、人間に化けて各々観光しているらしい。
無論、土蜘蛛を野放しにはできないので、所長さんや江永さんたちは今頃、その監督業務で大忙しだろう。
「そうだ、参加できなかったお詫びにって、所長さんからは日本酒とタバスコ、江永さんからは茶菓子を預かったよ」
タマくんが苦笑いしながら日本酒をつぎ、さりげなくタバスコを遠くに置く。
「ではこのポン助、皆様を楽しませるために腹踊りを御覧に入れましょう! ポン、ポ、ポン! ほれほれ、ポンッ」
変なリズムを刻みながら、お腹に作ったしわを顔に見立てて踊り出す。それが最初はくだらないと思っていたのに、段々と笑えてくるから不思議だ。
「ぷっ、あはは……もう、乾杯してからにしようよ、ポン助」
これじゃあ、日本酒を飲んでも吹き出してしまう。
「締まりがない集団やな」
「乾杯の音頭などなくとも、楽しめるであろう?」
光明さんの手からおちょこを奪い、お酒を煽る紫苑さん。私は水珠と赤珠が作った鮭おにぎりにかぶりつきながら、晴天の空を仰ぐ。
ああ、今日もいい天気。
空の青をときどきよぎる桜の花びら。今日の桜はこれまでの人生の中で、いちばん美しい。
だけど来年は、来年見た桜がいちばんだと思うのだろう。
だから今この瞬間を大切にしたくて、視界に入る桜の花びら一枚一枚を目に焼き付けていると……。
ふいに地面についていた手の指に、彼の指が絡む。
光明さん……。
視線が合わなくても、言葉がなくても、私たちの間にある空気が教えてくれる。
今ある幸せは、あなたがいてこそ成り立つのだと。
(終)
八岐大蛇の一件から、数日後。
私は光明さんと町を一望できる小山の頂上、その中央にある桜の木を見上げていた。
今日はここで、みんなとピクニックをする予定なのだが……。
『夫婦の時間、足りてへん気ぃする』
そう誘われて、私は光明さんと一足先にここへ来た。あのときは恥ずかしくて、しばらく光明さんの顔が見られなかったな。
照れくささを紛らわせるために、私は優しく降り注ぐ桜の花びらを仰ぐ。
「まるで祝福してくれてるみたい」
隣にいる光明さんが不思議そうに私のほうを向く気配がする。でも、私は桜を見つめ続けた。
「私、前世の記憶の中でも桜を見たんだ。あのときは冷たい月光を浴びた桜の花びらを見て、命が散っていくみたいだなと思ったんだけど……」
「今も、そう見えるんか?」
私はううん、と首を横に振った。
「この桜も同じ桜のはずなのにね、今は私たちがこうして一緒にいることを祝福してくれてるみたいだって思う」
「奇遇やな、俺も同意見や」
見る者の心次第で、景色の見え方は変わる。
美琴が最期に見た桜は心も冷え切らせてしまう悲しい雨のようだったけれど、今私たちに優しく降り注いでいる桜は心を温かくしてくれた。
「お前と見る月は綺麗に見えるし、雨音も柔らこう聞こえる。いつも春の空気で満ちてるみたいに、世界が優しゅう見えるんや」
「じゃあ、これからも一緒にいれば、私たちの世界は私たちに微笑み続けてくれるわけだ」
「なに詩人みたいなこと言うてるんや」
こつんっと、光明さんの拳が私の頭を小突く。
「もう、やめ……て……よ……」
頬を膨らませて頭をさすりながら光明さんを見ると、愛しそうに笑いかけられる。
その表情に目を奪われてしまった私は、きっと間抜けな顔をしているんだろう。
光明さんは私の前髪を撫で、顔の輪郭をなぞるように指を滑らせてくる。
その仕草のひとつひとつが、『好きだ』『大切だ』『愛している』と伝えてくれているようだった。
「なあ、もういっぺん始めへんか」
「始めるってなにを?」
私の問いには答えず、光明さんは私に向き直る。私たちの間を春風が通り過ぎ、光明さんは深呼吸をして告げた。
「──俺の妻になってくれへんか」
「え……」
「呪いを解くためちゃう、お前の心が欲しいんや。そやさかい、応えてくれ」
真剣な面持ちで、光明さんは私の答えを待っている。だから私も、偽らずにありのままの心で答えないと。
「心から、あなたの妻になりたいって、そう思ってるよ。だから光明さんも、観念して私の夫になってね」
「なんで上から目線なんや……。けど、まあ……観念してお前に捕まることにする」
吸い寄せられるように顔を近づけたとき、「おーい」とタマくんの声がした。
バッとお互いに離れれば、タマくんが手を挙げて坂を上がってくる。その後ろには赤珠や水珠、ポン助や紫苑の姿もあった。
「図ったみたいなタイミングやな。本気で滅しとうなってきた」
「もう、光明さん!」
なんて、さも平静を装って突っ込んでみたものの……。
タマくんたちが来なかったら、私……光明さんとキス、してたのかな。
そう思ったら顔に熱が集まって、じっとりと肌が汗ばむ。
「おい、なんで顔が赤いんだよ?」
赤珠に目ざとく気づかれ、私は「ええと、あのー……」と言い訳を探す。
すると水珠がため息をつき、桜の木の下にレジャーシートを敷きながら赤珠に非難の目を向けた。
「……兄さん、空気を読んでください……」
「いいや、美鈴を困らせる安倍さんが悪いんだよ」
タマくんは光明さん相手だと、清々しいくらいに毒を吐く。
「美鈴姫、男に取り合われる気分はどうだ?」
いつの間にか紫苑がちゃっかりレジャーシートの上に寝そべり、楽しげな眼差しを私に向けていた。
不服を申し立てたいところだが、それよりも紫苑が食べている糸の塊のほうが気になってしまう。
「それはなんですか?」
「蜘蛛糸饅頭だ」
「ああ、晴明さんがおねだりしてた……」
美琴の前世の記憶の中で晴明さんが紫苑に頼んでいたのを思い出し、私はふふっと笑った。
「なんだ、なぜ知っている」
「ちょっと、美琴の記憶を見る機会があって。お茶会、こうして実現できてうれしいです」
「そうか……私もしばらく退屈しないで済みそうで、気分がいいぞ」
こっちに来たのならついでにと、紫苑をお茶に誘ったのがこのお花見宴会開催のきっかけだ。
他の土蜘蛛は都会を散策したいとかで、人間に化けて各々観光しているらしい。
無論、土蜘蛛を野放しにはできないので、所長さんや江永さんたちは今頃、その監督業務で大忙しだろう。
「そうだ、参加できなかったお詫びにって、所長さんからは日本酒とタバスコ、江永さんからは茶菓子を預かったよ」
タマくんが苦笑いしながら日本酒をつぎ、さりげなくタバスコを遠くに置く。
「ではこのポン助、皆様を楽しませるために腹踊りを御覧に入れましょう! ポン、ポ、ポン! ほれほれ、ポンッ」
変なリズムを刻みながら、お腹に作ったしわを顔に見立てて踊り出す。それが最初はくだらないと思っていたのに、段々と笑えてくるから不思議だ。
「ぷっ、あはは……もう、乾杯してからにしようよ、ポン助」
これじゃあ、日本酒を飲んでも吹き出してしまう。
「締まりがない集団やな」
「乾杯の音頭などなくとも、楽しめるであろう?」
光明さんの手からおちょこを奪い、お酒を煽る紫苑さん。私は水珠と赤珠が作った鮭おにぎりにかぶりつきながら、晴天の空を仰ぐ。
ああ、今日もいい天気。
空の青をときどきよぎる桜の花びら。今日の桜はこれまでの人生の中で、いちばん美しい。
だけど来年は、来年見た桜がいちばんだと思うのだろう。
だから今この瞬間を大切にしたくて、視界に入る桜の花びら一枚一枚を目に焼き付けていると……。
ふいに地面についていた手の指に、彼の指が絡む。
光明さん……。
視線が合わなくても、言葉がなくても、私たちの間にある空気が教えてくれる。
今ある幸せは、あなたがいてこそ成り立つのだと。
(終)