「生きるために、未来のために、もういっぺん手ぇ取り合うんや。ここから始めよう、大事な者を失わへんための戦いを」

 それは単に八岐大蛇と戦うという意味ではなく、葛藤や復讐心という名の、自分の心に住む怪物との戦いを指しているのだろう。

 皆が改めて戦闘態勢に入る中、所長さんも八岐大蛇を押さえ込もうと霊力を高めていくのを感じる。

「美鈴」

 光明さんに名前を呼ばれただけで、自分がなにをすべきかが手に取るようにわかる。

 彼の式神になったからなのか、光明さんの力が私の中に流れ込んできた。

 今なら神話のあやかしでさえ、支配できる気がする……!

「うん──八岐大蛇! 私に従え……!」

 ピキンッと甲高い音が鳴り、八岐大蛇の動きがぴたりと止まると、光明さんが二本の指を立てた。

「安倍晴明の名において、汝を悪業罰示式神(あくぎょうばっししきがみ)として使役せん! 八岐大蛇、我が配下に下れ……!」

 光る指先を横に大きく切る光明さん。その光の線が紐のように伸びて、八岐大蛇の首に巻き付くと、そのまま強く引き寄せる。

『グギャアアアアッ』

 七つの蛇の悲鳴がこだまし、光明さんの指先に吸い込まれていく。

その勢いは凄まじく、光明さんは吹き飛びそうになる私の腰を片腕で引き寄せた。

 私も光明さんを支えるように、一緒に踏ん張る。

「「従え……!」」

 光明さんと声が重なる。八岐大蛇は完全に光明さんの式神になり、姿を消した。静寂が訪れ、そしてぶわっと歓声が上がる。

「英城」

 八岐大蛇が封じられて皆が喜んでいる中、江永さんが所長さんに歩み寄った。

「俺は、お前が行く先が地獄だろうと、どこまでもついて行くつもりだった。けどな、それは間違っていたのだと気づいた」

 そう言って腰を屈め、手を差し出す。

「お前が苦しむ道なら……引きずってでも止める。お前の親友として」

「……私がここまで陰陽師で在れたのは、お前のおかげだよ、比呂。憎しみにかられる自分が嫌いでたまらなかったんだけどね、比呂や部下に慕われる自分だけは……好きになれたんだ。これからも、私が道を踏み外さないように頼むよ」

 江永さんの手を取って立ち上がり、所長さんは皆の顔を見回した。

「こたびのこと、本当に申し訳なかった。あやかしも人も、こうして協力し合える。現に私は、その双方に救われたのだからね」

「そうですよ、俺らの選択がこれからのあやかしと人間の未来を左右するんです。俺らはそないな責任ある立場におるんやさかい、理想こそ抱かなあかんのや」

 できるのならこの時代で、お互いの偏見がなくなればいい。

それが叶わなくても、私たちの子供が、孫が私たちの意思を引き継げるくらいには理解が深まればいい。

それが前世の記憶を受け継いで、そして陰陽師やあやかしに関わる立場にいる者のやるべきことだと思うから。

「あやかしと人間が共に生きられるように、私も陰陽師としてできることをしよう。……あやかしと人に救われた者として」

 所長さんの言葉に、パッと光明さんの表情が明るくなる。

「俺も、あやかしと人間の懸け橋になるための陰陽師になる。……あやかしと人に救われた者として」

 美琴、そして晴明さん……この光景を見ていますか?

 誰もがあやかしと人の共存を否定し、そんなの夢物語だと嘲笑ったあの時代で、あなたたちが信じた世界への入口がここにあります。

 そして私は……その夢物語のような理想の世界を信じて、まっすぐ突き進もうとする光明さんの手を取る。

「あなたを支えます。理想を現実にするために、愛する人を失わない世界にするために」

 壮大すぎて途方のない話だけれど、私はこの先なにがあろうと彼と同じ夢を見続けると決めた。

 向き合って見つめ合っていると、

「じゃあ僕は、そんなきみについていくよ」

 タマくんが私と光明さんの間に割り込むように顔を出す。にこりとするタマくんに、光明さんは露骨に嫌そうな表情をする。

「腹立つな、そのさも純朴そうな笑顔」

「これから毎日見ることになるんだから、いい加減に慣れなよ」

 相変わらずのふたりに苦笑いしていると、私の着物の袖が引っ張られた。

両脇を照れ隠しの仏頂面をした赤珠と、くすぐったそうに頬を赤らめながら微笑む水珠に固められている。

「お嫁様、なにか……食べたいものはありますか?」

「え?」

「今日は大変な一日でしたから……。サバの煮つけ、アジの塩焼き、シシャモフライ……なんでも作ります」

 珍しく水珠が饒舌だ。全部、私の好物の魚料理なのも、愛を感じるなあ。

「あ、甘やかしもどうかと思うけどな、今のうちに恩を売っておくのも悪くない! 来年の誕生日に倍にして、恩を返してもらうからな!」

 赤珠は素直じゃないけど、そこが主の光明さんに似て可愛いところでもある。

「赤珠は素直じゃないポン」

 ──ここにも私と同意見の者が。

 赤珠の頭の上に一匹の狸が乗っかった。

「このっ、ポン助! 人の頭の上に乗るな! 狸の丸焼きにされたいのか!」

 赤珠はポン助を自分の頭から引き剥がし、ヘッドロックをかけた。

 ぎゃーっと暴れるポン助に、平和だなと視線を上げた私は……。目に飛び込んできた景色に、はっとした。
 
 光明さんとタマくん、水珠と赤珠、そしてポン助……。私の周りは、いつの間にこんなに賑やかになったんだろう。

「あ……」

 私を助けに来てくれた紫苑や土蜘蛛たち、風切や所長さんや江永さん、そして猫又や陰陽師たちも、みんな笑っている。

 気を抜けば、いつだって闇の中から聞こえた『化け物』と私を蔑む声。それが今は、みんなの笑い声しか聞こえない。

 涙が、自然と頬を伝った。するとみんながいっせいにこっちを見て、心配そうに表情を曇らせる。私は慌てて、顔の前で両手を振った。

「あー、違う違うっ。みんなと出会えてよかったなって、ちょっとしみじみ思って……」

 涙を拭いながら笑えば、光明さんの手が伸びてきて、私の頬に添えられる。

「そう思てるんは、お前だけちゃう。俺らも同じや」

 みんなが頷いてくれる。

「光明さん……みんな……」

 誰が欠けてもいけなかった。改めて思う、封印されなくてよかった。みんなのところに帰ってこれてよかった。

 光明さんの手に自分の手を重ねて、私は満面の笑みを返す。

「大好きだよ、みんな!」