「あやかしに憑かれてる私を両親は捨てました。もちろん両親を恨んだし、そうすることで心が砕け散らないように保ってたこともあった。だけど、孤独は埋まらない。ぽっかり空いた心の穴を埋めてくれたのは、タマくんとおばあちゃんだったんです」

 血の繋がりを超えて、私に帰る場所をくれた人たち。彼らがいなければ、私は蔵に閉じ込められたときのように、ずっと暗闇の中にいただろう。

「そして……おばあちゃんが死んじゃったあと、タマくんとふたりになった私に、安倍家っていう新しい家ができた。急に賑やかになって戸惑ったけど、誰かの声が途切れず聞こえること、それが私の心を温めてくれた」

 赤珠や水珠、そしてポン助の顔を見れば、同じ気持ちだとばかりに頷いてくれる。

 私は彼らの存在を頼もしく思いながら、今度は光明さんに視線を移した。

「愛されないと思っていた私に、求め求められる幸せをくれたのは光明さん」

「俺もおんなじや。美鈴と出会うまでの俺は、憎しみで視野狭まっとったんや思う。いや、憎むこと、復讐だけに目ぇ向けてへんとあかん気ぃしたんや。であらへんと……死んだ親父とお袋に申し訳あらへんって、そないな気になって」

 光明さんが憎しみに囚われていた頃を知っている。

だから幸せになってはいけないと、そんなふうに自分を追い詰めていた彼が、清々しい表情で過去を語れていることに心底ほっとした。

「でも美鈴が……これからの幸せに目を向けさせてくれたんや」

 お互い様だ。私も光明さんのおかげで、自分の人生を諦めずに済んだ。おかげで今、私は好きな人の隣にいられる。

「自分を見守ってくれてる人がいる、それだけでどれだけ心強いか。だから所長さんは、江永さんがそばにいたから、ここまで生きてこられたのだと思います」

「……私には、そんな力は……」

「あるんです。自分を大切に思ってくれる人の言葉、体温、存在感……そのどれもが、どんな薬よりも心の傷を癒してくれる。江永さんの存在は所長さんを救えます、絶対に。だから……憎む以外の生きる理由を、江永さんが教えてあげてください」

 所長さんの心を救えるのは、江永さんだけだ。

「……不思議な方だ。これも魔性の瞳の力……いえ、あなたの魅力でしょうか。その言葉を、信じたいと思ってしまう」

 江永さんは涙こそ流していなかったが、泣きそうな笑みを浮かべて長く息を吐く。そして決意を固めたような瞳で、所長さんを見た。

「お前を止める。……親友として、お前がこれ以上傷つくことがないように」

 所長さんは操られているのか、がくがくと不自然な動きで腕を上げた。

それに合わせて八岐大蛇の首が伸び、手を下ろすと、一気に頭がこちらに向かってくる。

「今日は蛇の丸焼きがいいんじゃないか、な? 水珠」

「光明様とお嫁様を苦しめた蛇なんて……食べたくないです。兄さん」

 蛇たちの頭を赤珠が焼き、水珠が水柱を起こして吹き飛ばした。だが、切れた首の断面から千切れたはずの頭がまた生えてくる。

「やっかいだな、所長の霊力を吸ってるんや。美鈴、魔性の瞳で所長の自我を引きずり出せるか」

「わかった、やってみる」

 意識を所長さんに集中する。そんな私を助けるようにタマくんが前に出て、こちらを振り向きながらふっと笑った。

「足止めは僕らに任せて」

 そう言って獣に化けた彼は『皆、息を合わせろ』と猫又のみんなを先導しながら、一斉に八岐大蛇に飛びかかる。

「あなたは私を自由にしてくださった。今度は私が、あなたが自由に動けるように尽くす番です」

 隣に並んだのは、風切だった。

 主である湯佐さんに自由を奪われていた彼を魔性の瞳の力で自由にしたとき、自分がかけた言葉を思い出す。

『──大丈夫、もうあなたは自由だよ。だから、あなたが助けたい人を、あなたのやり方で助けるの』

 風切の思いに胸がじんとする。

「そっか、今度はその自由になった身体で、私のことも助けてくれるんだ」

 風切は頷き、そして鎌を手に強く大地を蹴った。

猫又や陰陽師、そして土蜘蛛たちも互いを守りながら、切っても切っても無限に生えてくる八岐大蛇の頭を落としていく。

「我が糸で、絡めとってやろう」

 紫苑が所長さんの四肢を糸で拘束し、私に向かってにやりとした。

「美鈴姫、存分にやるといい」

「うん!」

 みんなが足止めしてくれている。私は深呼吸をして、ありったけの声で叫ぶ。

「──目覚めて」

 自我を呼び起こすように語りかければ、所長さんの身体がびくりと揺れる。

 もっと深く、所長さんの瞳の奥を覗き込んで……その心に届けないと。

「──目覚めて、所長さん!」

 またビクッと震えた所長さんは、ゆっくり目を閉じ……再び瞼を開く。現れた双眼には、意思の光が宿っていた。

「私は……そうか、自分の式神に乗っ取られてしまったんだね。不甲斐ない……」

 所長さんは自分の変わり果てた姿を見て、すべてを悟ったらしい。目を伏せ、自分を嘲るような笑みを唇に滲ませている。

「身体の自由が利かない……。このまま、あやかしに成り果てるくらいなら……」

 顔を上げた所長さんは、私と光明さんに目を留めた。

「すまない、私を殺してくれ」

「英城!」

「比呂ならわかるだろう。私は雪奈を死に追いやったあやかしとなって、人間を殺すのだけは絶対に嫌なんだよ」

 雪奈さんって、死んでしまった婚約者さんのことだよね?

 雪奈さんを死に追いやったあやかしになったから、人間を殺してしまうかもしれないから殺してくれって所長さんは言ってるけど、それは建前な気がする。

「所長さん、私もあやかしになりました。だけど私は私、人間もあやかしも殺しません。自分の意思で、みんなをこの力で守ります」

 話に水を差すのは躊躇われたが、口を挟まずにはいられなかった。だって所長さんは、〝死ぬ理由〟にあやかしを使っている。

「所長さんだって身体があやかしに取り込まれようと、人間を襲いたいとは思っていないでしょう? もうわかってるはずです、あやかしと人に違いなんてない。人間に善人と悪人がいるように、あやかしにも善と悪が存在するって」

「でも、それ知ってまうのが怖かったんやな」

 光明さんは誰よりも所長さんの気持ちがわかるんだろうな。憎んでいないと、生きていられないほどの喪失感を味わったことがあるから。

 息を詰まらせた所長さんの瞳が揺れている。そこへ付け入るのは今だとばかりに、肩の八岐大蛇が巨大化した。

「ぐああああああっ」

 苦しむ所長さんに胸が痛む。私が惑わせたせいで、八岐大蛇が力を持ったのだ。これ以上の説得は、所長さんが危険かもしれない。

 言葉をかけるのを躊躇していると、後ろから伸びてきた光明さん手が私の両肩に載る。

「業罰示式神(あくぎょうばっししきがみ)は過去に悪行をおこなったあやかし。弱なった心の隙に入り込んで、抱える闇を餌に巣くうんや。そやさかい、所長自身が強い心で生きることを望まな、引き剥がせへん。だから美鈴、お前は間違うてへん」

「光明さん……うん、わかった」

 彼がそう言うのだ、私は信じて所長さんの心に訴えかけよう。所長さんの無事を願う人たちのためにも。

「所長さん、もう自分を許してあげてください。復讐をやめても、雪奈さんは所長さんを責めたりしません」

 あやかしを憎めなくなり苦しんでいた光明さんにかけてあげたかった言葉を、所長さんにもかける。

「憎しみがのうなっても、所長を必要としてくれる人たちがおる限り、所長は生きられるはずや。俺がそうやったように」

「それに……雪奈さんはいなくなってしまったけど、ちゃんと所長さんの心にいます。肉体を失っても、想いは残るでしょう? なにを糧に生きていったらいいかわからなくなったら、雪奈さんが今の所長さんを見て幸せになれるかどうかを考えてみてください」

 今の所長さんを見た雪奈さんは、きっと悲しむ。愛する人が苦しんで生きているなんて耐えられない、ましてやそれが自分のせいだなんてつらすぎる。

「美鈴さんは……光明と同じことを言うんだね」

 所長さんはどこか観念したように、苦い笑みをこぼした。

「雪奈はあやかしとわかり合えると信じていたのに……そのあやかしに裏切られて殺された……皮肉だろう? その無念を晴らしてやらないと、そう憎悪を抱いている間は雪奈を失った痛みから目を背けられて楽だったんだ」

 光明さんは、その痛みを自分のことのように感じているだろう。

私は肩に載っている光明さんの手の甲に、自分の手を重ねる。消えない傷の疼きが、少しでも和らぐようにと。

「全部……自分のためだった。雪奈を理由にして、悲しみから逃れたかっただけだ。私は比呂や慕ってくれている部下を、それに付き合わせていたんだな」

「英城、俺は付き合わされたなどとは思っていない。おそらく、ここにいる陰陽寮の陰陽師たちも」

 江永さんに賛同するように、陰陽師たちは頷く。

「そうですよ、所長。あやかしに家族を殺された陰陽師は少なくありません」

「そんな俺たちを先導する所長の背中は、いつだって立ち止まるなと鼓舞してくれました。だから、ここまで来れたんです」

 彼らの言葉を聞けば、所長さんがどれだけ仲間に慕われているのかがわかる。

「きみたちは……」

 目を見張る所長さんに、私の頬も緩んだ。

「帰る場所が……拠り所があるじゃないですか。だから所長さん、みんなのところに帰ってあげてください。あなたを必要としてくれている人たちのそばにいること、これが生きる理由にはなりませんか?」

「……! そう、か……そう、だね。その生きる理由は、雪奈を守れなかった私にはもったいないくらいだ」

 所長さんは涙を薄っすら浮かべた目を細め、意を決したように力強く言い放つ。

「すまないが、死ねなくなってしまった。散々あやかしたちを傷つけてきて言えた義理ではないが……どうか、助けてほしい」

 お互いに仲間を傷つけられた、だから複雑な感情もあるだろう。でも、光明さんがこの場に立ち込める迷いを払拭する。