「……美鈴」
目を真っ赤にして、タマくんは私が封印されたあとに泣いたのだろう。
「タマくん……置いていって、ごめんね。美琴の分もまとめて、謝らせてほしい」
そう言った途端、タマくんの双眼から涙がこぼれ落ちた。
誰よりも従者として美琴のそばにいたかったはずなのに、猫又を守るように言われ、それが叶わなかった。
そして、そばにいたかった彼女は……愛する夫のもとへ行ってしまった。
私も同じ、タマくんを置いて封印されることを望んだ。
だから前世の分と合わせると、私は二度もタマくんを置いていってしまったことになる。
私は美琴ではないけれど、でもその事実を知ってしまった。だから無関係ではいられない、大切なタマくんのことだから。
「きみには本当に……敵わないよ。そうやって僕の欲しい言葉をくれるところも、従者としての人生ではなく、きみの幼馴染としての人生のほうが大事だと思わせてくれるところも」
タマくんは肩を竦めて、困ったように口角を上げた。
子供の頃からよく知る笑顔が目の前にある、私はようやくタマくんに向き合えたのだ。
「確かに僕は姫に置いて行かれた。でも……僕も従者としての僕を、きみと出会った日に置いてきたんだよ。そして僕は、きみと重ねた時間を選んだんだ。美琴様が姫としての人生ではなく、晴明の妻であることを選んだように」
「タマくん、好きにはたくさん種類があるんだよ。私は光明さんが好き、だけど……あなたを置いて行ったりはしない。だって、家族と同じくらい大好きな幼馴染のあなたに、そばにいてほしいんだ」
私が伸ばした手を、タマくんは従者のように跪くことなく握り返す。
「どこまでも、そばにいるよ。僕の大好きな女の子のそばに」
笑みを交わしていると、急に辺りが陰った。『キシャーッ』と八岐大蛇が鳴き、顔を上げたときには──。
「え……」
私たちを潰そうと、八岐大蛇の頭が振り下ろされるところだった。
「美鈴!」
タマくんが私に覆い被さるのと、光明さんが前に出たのは同時。
「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(ちん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)──。結界、急急如律令!」
光明さんが咄嗟に結界を張り、八岐大蛇は透明な壁に弾かれて後ろに体勢を崩した。
「英城! しっかりしろ!」
いつの間にか江永さんが、頭を押さえながら「ぐうっ」とうめく所長さんに付き添っている。
「まずいな……悪業罰示式神(あくぎょうばっししきがみ)の力は強いんや。陰陽師の精神力が弱まれば、飲み込まれる……!」
「ぐううっ、ああっ」
所長さんは勢いよく江永さんを突き飛ばした。腰を折り、「ああああっ」と声をあげながら後ずさる。
所長さんの動揺に比例して、八岐大蛇も『グギャアアアアッ』と叫んだ。
何度も長い首を振って、頭を地面に打ちつける。そのたびに大地が揺れ、よろけた私をタマくんが支えてくれた。
「僕に掴まって」
「ありが……」
返事をしようとしたとき、八岐大蛇は大きく口を開け、ぱくりと所長さんを飲み込んだ。
その光景があまりに衝撃的で、悲鳴をあげることすらできない。おそらく、その場にいた全員が放心状態だった。
「えい、じ……そんな、嘘だろう。英城……!」
江永さんが駆け寄ろうとするが、所長さんを飲み込んだ八岐大蛇の妖力が増す。その妖力の波動が、江永さんを吹き飛ばした。
「比呂さん!」
光明さんが走り出そうとしたとき、「変化!」と聞き覚えのある声が響いた。
木にぶつかりそうになった江永さんを、モフモフの茶色いクッションが受け止める。
「姫様っ、ご無事でなによりですポン!」
「ポン助!」
「助っ人を呼んで来ましたですポン!」
助っ人?と首を傾げたとき、ビュオンッと後ろから風が吹いた。振り向けば、そこには大きな鎌を構える風切の姿が。
「どうして風切がここに!?」
風切は前に光明さんの仕事で出会った湯佐さんの式神だ。警察に捕まった主を屋敷で待ち続けているはずの彼が、どうして……。
「あなた様にご恩を返すべく、馳せ参じました」
「風切……そうだったんだ……。ありがとう、とっても心強いよ」
笑みを返したとき、後ろから伸びてきた腕が私の首に回った。間髪入れずに耳元で「私もいるぞ」と囁かれる。
肩口から顔を覗き込んできたのは、京都の光明さんの屋敷にいるはずの紫苑だった。
「私の糸はどこにいても、どんな声も拾える。前にお前たちにこっそりつけておいたのだ。そこの狸が援軍を集めると言うから、手伝ったまで。役に立ったようでなりよりだ」
「紫苑……これはあやかし七衆のよしみで?」
「いいや、新しい茶飲み友達のよしみだ」
ちらりと目を背後に向けると、そこには土蜘蛛の大群が。紫苑は仲間と一緒に駆けつけてくれたようだ。
「あ……ふふっ、うん。まだお茶会も実現できてないしね、こんなところで死ねない」
本当に、心強い。ひとりぼっちだった私の周りは、光明さんや赤珠や水珠、そしてポン助の他にも紫苑や風切、所長さんや江永さん……いつの間にか賑やかになっていた。彼らがいてくれるだけで、少しも怖くない。
「なんや、八岐大蛇の様子がおかしないか」
光明さんの声で八岐大蛇に視線を移せば、その体表がボコボコと動いていた。
やがて八岐大蛇は人のシルエットを象り……。白い着物を纏い、虚ろな金の瞳をした所長さんへと変わった。
所長さんの右肩からは、八つの蛇の頭が飛び出ていて、ふしゅうーっと白い息を吐いている。
「あれは……所長さん?」
「そらちゃう、あら八岐大蛇や。所長の身体を乗っ取ったんやろ。手遅れになる前に、八岐大蛇と所長を引き剝がすぞ」
光明さんはそう言ってこちらに向き直ると、私の両肩に手を載せてきた。
「美鈴、猫又と陰陽師にかけた暗示を解くんや。でないと所長を攻撃できひん。今は協力して、八岐大蛇を食い止めなあかん」
「でも私、うまくできるかな……」
自分の手を見つめれば、少し震えている。
美琴は光明さんに任せれば大丈夫だって言ってたけど、それでも怖いんだ。力をコントロールできなくなるかもしれないことが。
その不安を感じとったように、光明さんが手を私の手のひらに重ねる。
「お前はもう俺に使役されてる。暴走なんかさせへん、俺がちゃんと抑え込んだる」
「光明さん……」
迷ってしまう心を、光明さんはいつだって強くしてくれる。
彼ほど心強い陰陽師はいるだろうか。彼ほど信じられる人はいるだろうか。きっと、いや絶対に、彼以上に全てを委ねられる人などいない。
「うん、わかった。あなたの言葉に従う。それが正しい道だと、断言できるから」
「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(ちん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)──悪業罰示式神(あくぎょうばっししきがみ)! 猫井美鈴、急急如律令!」
胸元の蓮の印が熱くなり、青白くて温かい光明さんの光が私を包み込む。
「──あなたたちに自由を返します」
ピキンッと私の声が波紋となって辺りに広がると、陰陽師や猫又たちが自分の手を握ったり開いたり、腕を回したりして自由になった感覚を確かめていた。
「そして、これは命令じゃありません。今は生きるために協力しましょう」
そう説得するも、陰陽師たちは助けに来てくれたあやかしに敵意がこもった眼差しを向けている。
駆けつけたあやかしたちもそれを感じ取って、「あの調子じゃあな」「共闘なんて無理だろ」と警戒していた。
前世からの因縁は簡単には断ち切れない、それは紫苑や光明さんの一件でよくわかっているつもりだ。
でも、この状況になっても私怨を捨てられないなんて……。命よりも大事なものなんてないのに、なんて、なんて……。
──愚かだろう。
「愚かやな」
私の心の声と、光明さんの声が重なった。弾かれたように光明さんを見上げると、皆を凛々しく見据える横顔がある。
「復讐は命よりも大事なのか? 八岐大蛇は人もあやかしも関係のうて、俺らを喰らうで。所長も町の人も、それにあやかしも……誰ひとり犠牲者を出さへんために戦う。これ以上に大事なことなんて、あらへんやろ!」
わかり合えないと否定する声が止まった。
所長さんを取り込んだ八岐大蛇は、まだ新しい身体に慣れていないのか、よたよたと右へ左へ歩いては転ぶ。説得するなら、今しかなかった。
「誰かを憎んでは殺して……そんなんじゃ、最後にはなにも残らなくなる。許せとか、わかり合えとか、そんな無茶苦茶言わない。ただ……大事な人を失わないために必要なことはなんなのか、ちゃんと考えて!」
皆は顔を見合わせて渋い顔をしていたけれど、「姫の言うことなら」と猫又たちが先に動いた。
八岐大蛇の攻撃を受けて倒れている陰陽師たちに歩み寄り、「ほら……」と手を差し伸べる。
「あ、ああ……どうも……」
陰陽師たちは猫又の手を困惑気味に取った。
今はこれだけで十分だ。今日繋がった手のように、心でも繋がれる日が来るように、これから私たちが証明していけばいい。
あやかしと陰陽師がなりゆきとはいえ夫婦になって、愛し合えたのだから。
「八岐大蛇を外に出すわけにはいかない。いや……違うな」
江永さんが人間に化けたポン助の手を借りながら、立ち上がる。
「俺は英城を人間の敵にしたくないんだ。そうなったら、あいつはあやかしを否定できなくなる。それどころか……自分もあやかしと変わらないと、自害するかもしれない」
「どういうこと?」
話が読めなくて眉を寄せると、光明さんが所長さんの過去をかいつまんで教えてくれる。
「そう……婚約者さんがあやかしに……」
「俺は、陰陽師としてのあいつまで死なせるわけにはいかない。……この辺一帯に結界を張れ!」
陰陽師に指示を飛ばし、結界を張らせる江永さん。こんなときに悠長だと怒られてしまうかもしれないが、私は問わずにいられなかった。
「あやかしと同じだと、陰陽師でなくなると、所長さんは生きていけないの?」
「そうだ。あやかしを憎むことで、あいつは生きてこられたからな」
「……所長さんがここまで生きてこられたのは、憎しみだけじゃないと思います」
江永さんの目が他になにがあるのだと、私に問うている。
「憎しみだけじゃ、人って生きられません。……私がそうだったように」
タマくんのほうを向けば、優しい笑みが返ってくる。こうして、見守ってくれる誰かがいるかどうか、それが大事なのだ。
目を真っ赤にして、タマくんは私が封印されたあとに泣いたのだろう。
「タマくん……置いていって、ごめんね。美琴の分もまとめて、謝らせてほしい」
そう言った途端、タマくんの双眼から涙がこぼれ落ちた。
誰よりも従者として美琴のそばにいたかったはずなのに、猫又を守るように言われ、それが叶わなかった。
そして、そばにいたかった彼女は……愛する夫のもとへ行ってしまった。
私も同じ、タマくんを置いて封印されることを望んだ。
だから前世の分と合わせると、私は二度もタマくんを置いていってしまったことになる。
私は美琴ではないけれど、でもその事実を知ってしまった。だから無関係ではいられない、大切なタマくんのことだから。
「きみには本当に……敵わないよ。そうやって僕の欲しい言葉をくれるところも、従者としての人生ではなく、きみの幼馴染としての人生のほうが大事だと思わせてくれるところも」
タマくんは肩を竦めて、困ったように口角を上げた。
子供の頃からよく知る笑顔が目の前にある、私はようやくタマくんに向き合えたのだ。
「確かに僕は姫に置いて行かれた。でも……僕も従者としての僕を、きみと出会った日に置いてきたんだよ。そして僕は、きみと重ねた時間を選んだんだ。美琴様が姫としての人生ではなく、晴明の妻であることを選んだように」
「タマくん、好きにはたくさん種類があるんだよ。私は光明さんが好き、だけど……あなたを置いて行ったりはしない。だって、家族と同じくらい大好きな幼馴染のあなたに、そばにいてほしいんだ」
私が伸ばした手を、タマくんは従者のように跪くことなく握り返す。
「どこまでも、そばにいるよ。僕の大好きな女の子のそばに」
笑みを交わしていると、急に辺りが陰った。『キシャーッ』と八岐大蛇が鳴き、顔を上げたときには──。
「え……」
私たちを潰そうと、八岐大蛇の頭が振り下ろされるところだった。
「美鈴!」
タマくんが私に覆い被さるのと、光明さんが前に出たのは同時。
「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(ちん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)──。結界、急急如律令!」
光明さんが咄嗟に結界を張り、八岐大蛇は透明な壁に弾かれて後ろに体勢を崩した。
「英城! しっかりしろ!」
いつの間にか江永さんが、頭を押さえながら「ぐうっ」とうめく所長さんに付き添っている。
「まずいな……悪業罰示式神(あくぎょうばっししきがみ)の力は強いんや。陰陽師の精神力が弱まれば、飲み込まれる……!」
「ぐううっ、ああっ」
所長さんは勢いよく江永さんを突き飛ばした。腰を折り、「ああああっ」と声をあげながら後ずさる。
所長さんの動揺に比例して、八岐大蛇も『グギャアアアアッ』と叫んだ。
何度も長い首を振って、頭を地面に打ちつける。そのたびに大地が揺れ、よろけた私をタマくんが支えてくれた。
「僕に掴まって」
「ありが……」
返事をしようとしたとき、八岐大蛇は大きく口を開け、ぱくりと所長さんを飲み込んだ。
その光景があまりに衝撃的で、悲鳴をあげることすらできない。おそらく、その場にいた全員が放心状態だった。
「えい、じ……そんな、嘘だろう。英城……!」
江永さんが駆け寄ろうとするが、所長さんを飲み込んだ八岐大蛇の妖力が増す。その妖力の波動が、江永さんを吹き飛ばした。
「比呂さん!」
光明さんが走り出そうとしたとき、「変化!」と聞き覚えのある声が響いた。
木にぶつかりそうになった江永さんを、モフモフの茶色いクッションが受け止める。
「姫様っ、ご無事でなによりですポン!」
「ポン助!」
「助っ人を呼んで来ましたですポン!」
助っ人?と首を傾げたとき、ビュオンッと後ろから風が吹いた。振り向けば、そこには大きな鎌を構える風切の姿が。
「どうして風切がここに!?」
風切は前に光明さんの仕事で出会った湯佐さんの式神だ。警察に捕まった主を屋敷で待ち続けているはずの彼が、どうして……。
「あなた様にご恩を返すべく、馳せ参じました」
「風切……そうだったんだ……。ありがとう、とっても心強いよ」
笑みを返したとき、後ろから伸びてきた腕が私の首に回った。間髪入れずに耳元で「私もいるぞ」と囁かれる。
肩口から顔を覗き込んできたのは、京都の光明さんの屋敷にいるはずの紫苑だった。
「私の糸はどこにいても、どんな声も拾える。前にお前たちにこっそりつけておいたのだ。そこの狸が援軍を集めると言うから、手伝ったまで。役に立ったようでなりよりだ」
「紫苑……これはあやかし七衆のよしみで?」
「いいや、新しい茶飲み友達のよしみだ」
ちらりと目を背後に向けると、そこには土蜘蛛の大群が。紫苑は仲間と一緒に駆けつけてくれたようだ。
「あ……ふふっ、うん。まだお茶会も実現できてないしね、こんなところで死ねない」
本当に、心強い。ひとりぼっちだった私の周りは、光明さんや赤珠や水珠、そしてポン助の他にも紫苑や風切、所長さんや江永さん……いつの間にか賑やかになっていた。彼らがいてくれるだけで、少しも怖くない。
「なんや、八岐大蛇の様子がおかしないか」
光明さんの声で八岐大蛇に視線を移せば、その体表がボコボコと動いていた。
やがて八岐大蛇は人のシルエットを象り……。白い着物を纏い、虚ろな金の瞳をした所長さんへと変わった。
所長さんの右肩からは、八つの蛇の頭が飛び出ていて、ふしゅうーっと白い息を吐いている。
「あれは……所長さん?」
「そらちゃう、あら八岐大蛇や。所長の身体を乗っ取ったんやろ。手遅れになる前に、八岐大蛇と所長を引き剝がすぞ」
光明さんはそう言ってこちらに向き直ると、私の両肩に手を載せてきた。
「美鈴、猫又と陰陽師にかけた暗示を解くんや。でないと所長を攻撃できひん。今は協力して、八岐大蛇を食い止めなあかん」
「でも私、うまくできるかな……」
自分の手を見つめれば、少し震えている。
美琴は光明さんに任せれば大丈夫だって言ってたけど、それでも怖いんだ。力をコントロールできなくなるかもしれないことが。
その不安を感じとったように、光明さんが手を私の手のひらに重ねる。
「お前はもう俺に使役されてる。暴走なんかさせへん、俺がちゃんと抑え込んだる」
「光明さん……」
迷ってしまう心を、光明さんはいつだって強くしてくれる。
彼ほど心強い陰陽師はいるだろうか。彼ほど信じられる人はいるだろうか。きっと、いや絶対に、彼以上に全てを委ねられる人などいない。
「うん、わかった。あなたの言葉に従う。それが正しい道だと、断言できるから」
「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(ちん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)──悪業罰示式神(あくぎょうばっししきがみ)! 猫井美鈴、急急如律令!」
胸元の蓮の印が熱くなり、青白くて温かい光明さんの光が私を包み込む。
「──あなたたちに自由を返します」
ピキンッと私の声が波紋となって辺りに広がると、陰陽師や猫又たちが自分の手を握ったり開いたり、腕を回したりして自由になった感覚を確かめていた。
「そして、これは命令じゃありません。今は生きるために協力しましょう」
そう説得するも、陰陽師たちは助けに来てくれたあやかしに敵意がこもった眼差しを向けている。
駆けつけたあやかしたちもそれを感じ取って、「あの調子じゃあな」「共闘なんて無理だろ」と警戒していた。
前世からの因縁は簡単には断ち切れない、それは紫苑や光明さんの一件でよくわかっているつもりだ。
でも、この状況になっても私怨を捨てられないなんて……。命よりも大事なものなんてないのに、なんて、なんて……。
──愚かだろう。
「愚かやな」
私の心の声と、光明さんの声が重なった。弾かれたように光明さんを見上げると、皆を凛々しく見据える横顔がある。
「復讐は命よりも大事なのか? 八岐大蛇は人もあやかしも関係のうて、俺らを喰らうで。所長も町の人も、それにあやかしも……誰ひとり犠牲者を出さへんために戦う。これ以上に大事なことなんて、あらへんやろ!」
わかり合えないと否定する声が止まった。
所長さんを取り込んだ八岐大蛇は、まだ新しい身体に慣れていないのか、よたよたと右へ左へ歩いては転ぶ。説得するなら、今しかなかった。
「誰かを憎んでは殺して……そんなんじゃ、最後にはなにも残らなくなる。許せとか、わかり合えとか、そんな無茶苦茶言わない。ただ……大事な人を失わないために必要なことはなんなのか、ちゃんと考えて!」
皆は顔を見合わせて渋い顔をしていたけれど、「姫の言うことなら」と猫又たちが先に動いた。
八岐大蛇の攻撃を受けて倒れている陰陽師たちに歩み寄り、「ほら……」と手を差し伸べる。
「あ、ああ……どうも……」
陰陽師たちは猫又の手を困惑気味に取った。
今はこれだけで十分だ。今日繋がった手のように、心でも繋がれる日が来るように、これから私たちが証明していけばいい。
あやかしと陰陽師がなりゆきとはいえ夫婦になって、愛し合えたのだから。
「八岐大蛇を外に出すわけにはいかない。いや……違うな」
江永さんが人間に化けたポン助の手を借りながら、立ち上がる。
「俺は英城を人間の敵にしたくないんだ。そうなったら、あいつはあやかしを否定できなくなる。それどころか……自分もあやかしと変わらないと、自害するかもしれない」
「どういうこと?」
話が読めなくて眉を寄せると、光明さんが所長さんの過去をかいつまんで教えてくれる。
「そう……婚約者さんがあやかしに……」
「俺は、陰陽師としてのあいつまで死なせるわけにはいかない。……この辺一帯に結界を張れ!」
陰陽師に指示を飛ばし、結界を張らせる江永さん。こんなときに悠長だと怒られてしまうかもしれないが、私は問わずにいられなかった。
「あやかしと同じだと、陰陽師でなくなると、所長さんは生きていけないの?」
「そうだ。あやかしを憎むことで、あいつは生きてこられたからな」
「……所長さんがここまで生きてこられたのは、憎しみだけじゃないと思います」
江永さんの目が他になにがあるのだと、私に問うている。
「憎しみだけじゃ、人って生きられません。……私がそうだったように」
タマくんのほうを向けば、優しい笑みが返ってくる。こうして、見守ってくれる誰かがいるかどうか、それが大事なのだ。