──ゴツンッ。

 翌朝、庭を歩いていると、変な音がした。

ガサガサと茂みを掻き分けて、音を頼りに屋敷の竹の塀沿いを歩く。

 やがて門に辿り着き、外へ出ようとすると、後ろから腕を引かれた。

「出たらあかん。結界の外に出た瞬間、他の陰陽師に捕えられるかもしれへんのやぞ」

「光明さん……?」

 額に汗をかき、肩で息をしている光明さんに呆気にとられる。

「寝室にいーひんさかい、どこ行ったかと思うたやろ。出ていくとか、けったいなこと考えてへんやろうな?」

 私が出ていくかもしれないと思って、そんなに焦って追いかけてきてくれたの?

 掴まれた腕が熱い、鼓動が驚きとは別の意味で騒いでいる。

 まただ……また、光明さんと見つめ合うと、時が止まったみたいに世界の音が遠ざかって──。

「……! なんや、あやかしの気配──!?」

 さらに強く腕を引かれ、光明さんの胸に鼻をぶつける。強引に抱き寄せられて顔を上げれば、厳しい目付きで私の背後を睨んでいた。

 ごくりと唾を飲み、怖々と後ろを向いてみると……。

「……え、どうしてここに?」

よく、私の住んでいた屋敷に来ては、タマくんのご飯を摘んでいた一つ目小僧がいる。

 一つ目小僧は中に入ろうとして、ゴツンッと頭を透明な壁にぶつける。結界だ、先程の変な音は一つ目小僧が結界にぶつかる音だったようだ。

 突然現れた一つ目小僧に目を瞬かせていると、光明さんが印を切ろうと指を構えた。

「ま、待って!」

 私は慌てて光明さんの手を掴み、下ろさせる。

「なんで邪魔するんや」

「し、知り合いです!」

「……あやかしの知り合いがおるんか」

「うちの屋敷によく来てたんです。タマくんの──」

 彼の名前を口にしただけで、息が出来ないほど胸が詰まった。

 ふう、と息を吐けば、光明さんは「もうええ」と私の背に手を添える。おかげで少しだけ、胸の重りが軽くなった気がした。

「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(ちん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)。結界解除、急急如律令!」

 素早く指で印を切り、光明さんは結界を解く。そして一つ目小僧に向かって「ん」と言い、中に入れと顔を動かした。

 一つ目小僧は下駄を鳴らしながら、無言でそばにやってくる。

 光明さんが再び結界を張り直している間に、一つ目小僧がずいっと私に顔を近づけてきた。その大きな瞳に波紋が広がり、まるで水面のようになにかを映し出す。

「これは……」

「商店街やな。前に俺とお前とポン助で行った」

 そういえば、三人で夕飯の買い出しに行ったな。そこで光明さんの同僚の陰陽師に会って、魔性の瞳を使ってしまった……。

 あの出来事がなければ、光明さんが陰陽寮に行けなくなることも、タマくんが離れることも、私が封印されることもなかったのだろうか。

 胸に罪悪感がわく中、私は一つ目小僧の瞳に映し出される映像を見つめる。

商店街の骨董品店に虱潰しに入っていく陰陽師たちの姿、それになぜか記憶の奥底を揺すぶられた。

「これ……」

「前、同僚の陰陽師が言うとったな。商店街の骨董品店で、曰く付きの日本刀が出たって」

 私は返事の代わりに頷く。

『お前らがいるってことは、ここでなにかあったのか?』

『ええ、この商店街の骨董品店で曰く付きの日本刀が出たとかで。妖刀の可能性もあるので、私たちが出向くことになったんです』

 あの妖刀騒ぎの……。でも、なんでこれを一つ目小僧が見せてくるのか。

 募る疑問を飲み込んで、私は映像に集中する。

 刀のようなものを数本、手に持った陰陽師が骨董品店から出てくる。立ち去る彼らの背を鋭い眼差しで見送る猫が五匹いるのが気になった。

 猫たちはくるりと身を翻し、陰陽師たちとは反対方向に歩いていく。

一つ目小僧は自分が見たものを私たちに見せているのだろうか。

猫のあとをつけていき路地に入るや、しゅるしゅると猫たちが大きくなり……。

キジトラやサバトラ、三毛猫やハチワレといったいろんな柄の猫耳や二股に分かれた尻尾がついた人間へと化けた。

「嘘……猫又……?」

 私やタマくんの他にも存在したの? でも、土蜘蛛の紫苑と美琴の話では……。

『もう陰陽師たちに利用されるのはたくさんだ。残った仲間も数少ない。美琴姫、お前に至っては……』

『……そうだな。 猫又の一族は、もう……』

 猫又の一族はもういない、というような口ぶりだった。だからてっきり、もうこの世に猫又は存在しないのだと思っていた。

 だけど……いたんだ、仲間。

 胸が弾み出したとき、猫又たちは顔を突き合わせ『陰陽師の連中が嗅ぎ回ってるな』と小声で話し始める。

『妖刀で人間たちを狂わせる。暴走した人間が、同族の人間を襲う。滑稽だな』

『これも我らが姫を奪い、多くの仲間を奪った人間たちへの復讐。玉貴様の言う通りにすれば、うまくいくはずだ』

 玉貴……様……? 

 こんなところで、彼の名前を聞くことになるとは思っていなかった。

「どうして、タマくんが……」

 どうしてと言いながら、答えはちゃんと頭に浮かんでいる。人間たちへの復讐のために、タマくんが妖刀をばら撒いているのだ。

 なんでこんなことを……?

 ほら、またそんなわかりきった問いかけをして、自分で絶望する。

 憎んでいるんだ。前世の私を、今の私を奪った人間を……タマくんは。

 映像は終わりだとばかりに、一つ目小僧が目を瞑る。

「人間と全面的に戦うつもりか」

「そのことを、知らせに来てくれたんだね」

 私は一つ目小僧の頭を撫でた。一つ目小僧はタマくんのご飯を気に入っていたし、心配して私のところまで来てくれたんだろう。

「──光明さん」

 行かなきゃ。なにができるかわからないけど、猫又が妖刀をばら撒いているのなら、それを止めてタマくんに会わないと。

タマくんたちが陰陽師に先に見つかってしまったら、殺されてしまう……!

「陰陽寮のやつらよりも早う妖刀を回収するで。話がしたいんやろ、あいつと……猫又と」

「──っ、うん!」

 私の意図を汲んでくれた。あやかしを恨んでいた彼が、あやかしを守ろうとしてくれている。

こうして関わり合っていけば、すぐにとはいかなくても、わかり合えるはずなのだ。だからタマくん、猫又のみんな、諦めないで──。




 妖刀回収のために私は光明さんと商店街の東側を、赤珠と水珠、ポン助は西側にある骨董品店を訪ね歩いていた。

 暖簾を避けて店の外に出ると、光明さんと同時にはあっと肩を落とす。

「妖刀は陰陽師たちが全部回収したあとやったな」

 前に商店街で光明さんの同僚さんたちに会ったときには、すでに妖刀の件は陰陽寮側に知られていた。

 一つ目小僧が見せてくれた映像は、つい数時間前のものだろう。何日も前のものなら、もっと早くに見せに来ているはずだ。つまり……。

「回収されては妖刀をばら撒いてる猫又をなにがなんでも捕まえるべく、陰陽師たちは躍起になってるんやろうな」

「今もこの商店街を探し回ってるかも……」

 なおさら早く、猫又たちを見つけないと。

 焦りに駆り立てられていると、光明さんが「……っ」とうめき、手の甲を押さえた。

「光明さん?」

 その手元を覗き込めば、つうっと血が流れている。

「これ……どうしたの!? いつ怪我を?」

「放った式神、誰かに消されると……こうして傷で返ってくるんや」

「そんな危険があるって知ってたら、止めたのに!」

「だから言わなかったんや」

「もうっ、開き直らないで! とにかく手当て!」

 私はハンカチを鞄から取り出そうとして、「あ……」と固まる。

「ハンカチ……持ってない」

「女やろ、そこは持っとき」

「こういうの、タマくん担当……だったから……」

 ああ、また……タマくんの名前を呼んだら、胸がちくりとした。

「女子力、昔から高かったんだ……タマくん。でも、タマくんは……私が美琴の生まれ変わりだから世話を焼いてくれてただけ……」

 もし、私のことを美琴だと思って接していたのだとしたら、私とタマくんが一緒に過ごした時間はなんだったのだろう。

 どんな姿も見せられた、どんな感情も曝け出せた。そんな相手に、私は今……これからどんな顔で会えばいいのかわからないでいる。

「そんなん考えてもしゃあないやろ。本人にしかわからへんことは、直接聞け」

 光明さんはズボンのポケットから、紺色のハンカチを取り出した。

「正論な上に女子力高い……」

 私はわざとらしく唇を突き出して、光明さんからハンカチを奪い、その手に巻いていく。

 そうだよね、本人に聞いてみないとわからないよね。だけど……。

「怖いな……」

「怖いならやめるか? 傷つきたないなら逃げるか?」

「に、逃げない! それだけは、絶対にしない」

 怖いけど、傷つくかもしれないけど、傷ついてもいいから、知りたい。

 光明さんのおかげで、はっきり自分の心が固まっていくのがわかる。私の顔を見た光明さんは、なぜか満足そうにふっと笑みをこぼした。

「心決まったみたいやな。ええ顔してる」

「ふふっ、光明さんのおかげ。本当にありが──」

 言いかけたとき、身体がぐんっと宙へと上がる。

「きゃああああっ」

 視界を過ぎる二股の尻尾。私は見覚えのある焦げ茶色の大きな猫又の口に咥えられていた。

「美鈴!」

 地上が遠ざかり、私を追いかけて走る光明さんの姿が豆粒みたいに小さくなっていく。

 振り返って自分を連れ去ろうとしている張本人の姿を確かめると、心臓がドクンッと跳ねた。

「……タマくん……」

「迎えに来た。きみが……探してるみたいだったから」

 それが好意的なものなのかは別として、なにか目的があってのことなのかもしれないけれど、私もタマくんに会いたかった。

「……うん、探してた」

 タマくんはなにも言わなかった。静かに目線を前に戻し、私を攫う。

 こんなにも近くにいるのに、誰よりも信じていた人なのに、その心はなにひとつ汲み取れない。だからこそ、私は抵抗せずに身を委ねた。大切な人の気持ちを知るために。